「母さん……痛いぃ」
「ぐっ、うぇっ」
俺は痛みに耐えながら母親に縋る子供の背に触れながら、真横で吐き気を催した患者に、サッと桶を渡す。
当初と比べて手際が良くなったと、こっそり自画自賛する。
「く、苦しい……」
「ワン!」
「おい、あっちで倒れたぞ!」
めまいや息苦しさを訴え、倒れそうになった者をレジルスが知らせる。
倒れた拍子に頭を打ったりしないよう、跳ねて宙でクッションになってから、地面に転がす。
レジルスは随分と手慣れている。
「すぐにこっちへ運べ!」
患者を運んでいたラルフが、昏睡後に低体温となる患者を運ぶよう指示を出す。
看病に回る流民の1人が倒れた仲間に駆け寄る中、リリは高熱に苦しむ子供の氷嚢を取り替えている。
あらかじめ積まれていた大量の薪。
それを壁のようにして雨風をしのぐ一角に、ラルフは運んでいた患者を寝かせた。
吹き曝しの地面に簡易テントを幾つも張り、病で苦しむ流民達を集めている。
教会の敷地内とは言え、寒風吹きすさぶ更地だ。
初めて見た時は絶句した。
こんなもの、教会は受け入れたと言えないだろう!
思わず怒りがこみ上げた。
俺の時代に聞いていた話と過去に起きた事実。
それがこんなにも違うとは。
それでも衝撃を口にせず、今も飲みこんでいる。
不用意な一言で流民達の不満が爆発しても、他に行く当てがないと察しているからだ。
『人目に曝されず、安全な場所で看病できれば、ひとまず良いんだよ』
俺達をこの場に連れてきた王女は、左右にいた俺とラルフにだけ聞こえる声で言った。
恐らく流行病や流民への偏見から、流民達に危害を加えようとしたロベニア国民がいたんだろう。
見た目は、病人がいる場とは思えない酷さだ。
しかしテント内に風が入りこむ事はない。
これみよがしにテントの隅にそれっぽい魔石を置いて、いかにも風避けしているように見せかけている。
しかし違う。
魔石はしょせん、魔石。
風避けの魔法具ではない。
テントの周囲に緑光が煌めいているから、聖獣キャスケットか、キャスケットの眷族が風を防いでいる。
患者が横たわる地面。
かなりふかふかの柔らかい地面にして、その上に敷物を敷いている。
『硬いベッドより、体も楽。
吐瀉物なんかの処理もしやすい。
物は考えようでしょ』
無表情ながらも、王女はちょっと得意気だった。
敷物は、リリが定期的に魔法で清浄しているが、全ては王女が整えた場。
なのに王女の功績は将来、全てが他人の物になる。
そう思うと、遣る瀬無い気持ちになってしまう。
「ミハイル」
不意に王女の声が聞こえた。
驚いて振り向く。
王女は共に1日過ごし、新参者の俺達が患者対応に慣れ、かつ流民への偏見もなく安全だと判断したのだろう。
リリや流民達も含め、この場の全員が王女に休憩を勧めると、頷いてこの場を離れていた。
まだほんの数時間しか経っていないのに……。
「もう少し休んでも……」
「ミハイルが少しの間、席を外す。
リリ、ポチ。
状態が急変する患者がいれば、すぐに知らせに走って」
「「はい(ワン)!」」
言外に、ついて来いと告げる王女の後ろを歩く。
「少しは眠ったんですか?」
「ちゃんと休んだよ」
「……眠ってませんね」
「……」
無言になる王女。
僅かな時間しか接していないが、王女が基本的に嘘を吐かない性格だと確信している。
ただ、しれっと誤魔化す性格なのも気づいている。
人間版レジルスと、同じ人種だ。
いや、人間版という言葉は正しくないな。
レジルスは今も人間だ。
ちょっと犬になっただけで……人間に戻る、よな?
レジルスは、ちょっと離れていただけで犬生活が年単位になっている。
何なら王女の飼い犬として人生、いや、犬生を満喫している。
しかし本来の姿は人間。
人間に戻る……よな?
内心、妙な不安に襲われている間も、王女と再会した部屋に入る。
放置していたはずの実験器が片づけられた机の前を通り過ぎ、奥にあった扉の前に辿り着いた。
「入って」
言いながら中に入った王女に続いて、扉の向こうに足を踏み入れた。
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【小話】
テントに高く積んだ薪は、蠱毒の箱庭産。
ラグォンドルがベルジャンヌの為に、定期的に貢いで(?)います。
ラビアンジェに転生した後も実は貢いでいて、今では薪だけでなく炭作りも担当しています。
ラビ:蠱毒の箱庭産の薪や炭は質が良くて、お料理にも最適よ♪