天幕を出ると、野営地の設営がほぼ完了していた。
「ついてこい!」
先ほどの件についてまだ怒っているラウルにつれられて、尋問前に来た道を戻っていく。草地の脇に到着すると、吐き捨てるようにここで待機すると告げられた。
――このままラウルが夜通し見張りを続けるのか?
それはさすがに現実的じゃないと考え直す。
――脱走兵一人のためにわざわざ労力を割いて独房を準備するはずがない。かといって想定外の見張りを兵にさせて悪戯に疲弊させるのも良しとしないだろう……
色々とエスペランザ軍視点で考えると、嫌な可能性も思い浮かぶ。
――そこら辺の木に縛り付けられて朝まで野晒しで放置するのが一番楽か? いや……そもそも脱走兵なんていなかったことにするのが一番楽だろうな……
相手の出方は分からないが、最悪の事態も想定しておいたほうが良いかもしれない。
――おとなしく捕まったのはミスだったかもしれないな。
逃げる算段を立て始め思考の海に沈んだ後、声が聞こえ意識が浮上する。
「ラウル、ご苦労だった。彼の枷を外してもらえるか?」
「しかし、ジステイン様!」
「良いんだ、ミケルから話は聞かせてもらった」
無意識に足元に向けていた視線を上げると、ミケルがそのまま年齢を重ねたような偉丈夫と相対した。
「ここからは私が案内しよう」
「ジステイン様!」
「ラウルは昼からずっと見張りをしていたんだろう? 彼の枷を外したら食事をとって、明日に備えて休んでくれ」
有無を言わさずジステインがそう告げるとラウルは了承し、枷を外されそのまま一張りの天幕まで連れていかれた。
「今夜はここで休んでもらう。本当は隊の夕食に招待したかったんだが、事前に皆に説明する時間がなくてな。食事は後ほど届けさせてもらう」
急かつ予想外な厚遇に、感謝よりも先に疑いの気持ちが生まれる。
「警戒させてしまったようだな。少し話をしようか」
返事も待たず、ジステインは天幕に入って行ってしまった。意を決して自分も天幕の中に入る。
「さぁ、立ったまま話すのもなんだから座ってくれ」
「……分かりました」
やり取りに既視感を覚えながら、ジステインに続き床の上で胡坐をかく。
「まずはお互い自己紹介しよう。私はアイカー・ジステイン、今日君が会ったミケルの父親だ」
何となく察していた情報以上の補足もなく、少し間を置いてもジステインが自己紹介を続ける気配がなかったので仕方なく自己紹介を返す。
「……デミトリです、ガナディア王国から亡命を求めに来た脱走兵です」
「グラードフ領軍から抜け出したと聞いた。一人でよくここまでたどり着けたな」
「生きるか死ぬかだったので、死に物狂いでした」
「たどり着いても亡命が許可されないとは考えなかったのか?」
「……確実な死を待つより、一縷の望みに賭けた方が良いと思いました」
「見たところミケルとそう年が離れていないようだが、中々豪胆だな」
ミケルの尋問でも思ったが、この親子との問答に感じる妙な引っ掛かりはなんだ?
「はは、怪訝な表情をしているな」
ジステインが柔らかな表情で笑う。
「これ以上はさすがに意地悪だな、順を追って説明しよう」
「お願いします……」
こちらが困惑しているのに気づいてわざとやっていたのであれば、ここまでも十分意地悪だったのでないか? と腑に落ちないが、ジステインの説明を待つ。
「ガナディア王国出身の君には馴染みないだろうが、ヴィーダ王国では時として異能という能力を授かる人間がいる」
「異能……?」
マサトの事が脳裏をよぎる。
「そう、異能だ。魔法とは異なる特殊な能力。といっても異能力者の数自体は少ないんだが」
「……あなたとミケルは異能力者なんですか?」
ジステインが不敵に笑う。
「察しがいいね。君は私達がどんな異能を持っていると思う?」
――この話の誘導の仕方、答えられる事を想定した質問みたいだが……
ジステインが相当なひねくれ者でもない限り、ここまで勿体ぶって答えられないような質問はしないだろうと考える。
――私達と言ったからには、二人とも同じ異能を持っている? 共通点は、会話の中で感じた引っ掛かり……
二人との会話を頭の中で反芻し、その原因を探る。
――もしかして……そうなのか?
頭の中で答えを思い浮かべながら、ジステインに告げる。
「分かりません」
「はっはっは!嘘はいけないな!」
満足そうに笑いながら手を叩くと、ジステインがずいっと体をこちらに寄せながら質問する。
「どこで気づいたんだ?」
「お二人との会話中、一度も発言した内容を否定されたり、発言の真偽を疑われませんでした」
素性不明の脱走兵なのにも関わらずだ。
「一番の決め手はミケルさんが、自分が嘘をついていないと言っていたので……なぜ自分が嘘をついていないと確信していたのか疑問に思いました」
「正解だ! 正直に答えていたら嘘をついていないのが異能で分かるからな。私達の異能は真実を見抜く異能。話し方に気を付けないと君みたいな正直者には会話の違和感で勘付かれてしまうんだ」
――恐ろしい能力だ。
「グラードフ領にいたのなら知っていると思うが、城塞都市エスペランザはヴィーダ王国とガナディア王国の国境警備の要だ。外敵の侵入を阻むだけでなく、当然国内の謀反人や不穏分子にも目を光らせている」
謀反人と言ったあたりで苦虫をかみつぶしたような顔になった事から察するに、ヴィーダ王国も一枚岩ではないらしい。
「結果エスペランザは都入りするのすら厳正な審査が必要で、この異能が中々重宝されていてね。まぁ、部下たちが優秀なおかげで私がわざわざ出張る機会は少ないんだが」
――となると、ジステインはエスペランザでもかなり上位の立場の人間なのでは……
無意識に姿勢を正す。
「ガナディアと不戦条約が結ばれて以降、ストラーク大森林から人が訪れるのは本当に稀でね。私が就任してからは君が初めてだ! 息子からの報せが届いて飛んできたよ」
――報せ? 飛んできた?
言われてみればジステインは鎧ではなく軍服を身に纏っている。俺が捕まった時、兵士の中で彼を見かけた記憶はないが……元々同行していなかったのか?
「……それは、ご迷惑をおかけしてしまいすみません……」
色々と疑問が残るが、取り合えず謝罪をしてごまかす。
「気にしないでくれ! ミケルと私の二人で確認して問題なかったのは僥倖。いくら戦時中ではないと言えガナディアの脱走兵だと主張する人物が少しでも嘘を付いていたら処……厳正に対処する必要があったから君が正直者で良かったよ」
――処……?
ジステインが聞き捨てならない事を言いかけて、回答の仕方を間違えていたらかなりまずい状況になっていた事実に気づき冷たい汗が背筋を伝う。
「最後に一つだけ聞きたいんだが……」
先ほどまでの明るさが鳴りを潜め、ジステインの雰囲気が変わる。