「よかったですね、ミケル様!」
ミケルの心のつかえが取れたのが余程うれしいみたいだ。今にも踊りだしそうなラウルの背後で、天幕の入口が開き炎の様に赤い髪をした兵士が顔を覗かせる。
「ミケル隊長、お取り込み中にすみません。班の編成で確認したいことがあって」
「アルノー、もしかしてみんなを待たせちゃってる?」
「えーっと……」
アルノーと呼ばれた兵士が口籠る。
気づかぬうちに大分話し込んでしまったのか、天幕の外は既に明るくなっていた。
「すぐに行くって伝言をお願いできる?」
「了解です!」
元気よく返事した後アルノーの顔が天幕の入口から消え、ドタバタと走り去っていく足音が聞こえる。
「朝早くから長々と付き合わせてしまってごめんね、デミトリ殿。これは君に返すよ」
ミケルから、カテリナの日記を受け取る。
「隊のみんなを待たせちゃってるから、僕は先に失礼するよ。ラウル、後は任せても大丈夫かな?」
「お任せください」
「それじゃあまた後でね」
頷くと、ミケルがアルノーの後を追って去って行った。
「デミトリ殿、こちらもお返しする」
ラウルから収納鞄を受け取り、カテリナの日記をしまい込む。収納鞄をベルトに固定していると、ラウルから声が掛かる。
「剣に関しては申し訳ないのだが、引き続きこちらで預かる形になる」
「分かりました」
――武器を預かるのは妥当だな、むしろ剣以外を返してくれたのがおかしいぐらいだ。
ヴィセンテの遺体の一件があったから、ミケル達なりに誠意を見せてくれたんだろう。それはそれとして、さすがに帯刀する許可が出ないのは納得できる。
「今後の予定について説明したいのだが、その前に……」
ラウルが黙ってしまった。不思議に思っていると、何かを言い淀んでいたラウルが意を決したかのように言葉を続ける。
「デミトリ殿、すまなかった」
「ラウル殿?」
「昨晩、ミケル様に敵意があると思い必要以上にきつく当たってしまった。そしてカテリナ殿の日記を読んだ件について、ミケル様が代表して謝罪して下さったが個人として謝りたい。申し訳なかった。」
――律義な人だな。
「謝罪を受け取ります」
「感謝する」
照れくさそうに鼻を掻きながら、ラウルが天幕の入口を開く。
「ついてきてくれ」
「分かりました」
天幕を出て、小川の横にある焚火後まで案内された。横たわっている丸太に腰を掛けながら、ラウルが続いて座るように手招きする。ラウルに倣って丸太に腰を掛ける。
「偵察任務が完了するまで、ここで待機することになる。気を悪くしてほしく無いのだが、一応私が見張りと言うことになる。楽にしてくれと言いたい所だが、その様子だと少し気まずそうだな」
居心地の悪さが顔に出ていたのだろうか。辺りで兵士たちが忙しなく行きかっている中、ラウルと横並びで座っている状況に確かな場違いさを感じていた。
「周りが動いているのに座っているのが、慣れなくて……」
「私も主を差し置いて休んでいるようなものだ! 気持ちは分かる」
ラウルは笑いながらそう言うと、小川へと視線を向ける。つられて、自分も小川に目を向ける。澄んだ水面に反射する光を眺めていると、なんだか落ち着く。
――ラウルの気遣いのおかげで、大分気が楽になった。
そんなことを考えていると、小川を見つめたままラウルが話始める。
「今回の遠征はすでに終盤に差し掛かっている。元々数日程この付近の偵察をしたら、帰路に就く予定だった。ただデミトリ殿の件もある。ミケル様が予定を繰り上げると言っていたので、明日にはエスペランザへ向けて出発するだろう」
「夕刻には戻るはずだから、エスペランザに着いてからの話はその時にしよう」
急に背後から声を掛けられ、丸太から飛び退きそうになる。
「ミケル様! ご準備は……」
「万全だよ、これから出発しようと思う」
ミケルの背後で、兵士達が列をなしている。
「デミトリ殿の事は任せたよ」
「承知致しました!」
ラウルが胸の前で右腕を折り敬礼する。ミケルは満足そうに微笑むと、兵士達を引き連れて野営地を出発していった。
――――――――
ミケル達が出発してから、どれだけの時間が経ったのだろうか。日の傾き具合から、もうそろそろ夕刻に迫っている頃合いだろう。
こんなにゆっくりとした時間を過ごしたのは、本当に久しぶりだった。
ここ数週間の緊張感から解放され、最初は緩やかに過ぎていく時間を楽しめていたのだが……今は妙な焦燥感に駆られている。
――何か話しかけるべきだろうか?
グラードフ領に居た頃から、人と会話という会話をしたことがない。誰かと長時間、ただ一緒に座るだけの時間を過ごしたことも無い。
やきもきしながら小川を眺めていると、永遠に続くかと思っていた沈黙がラウルの発言で唐突に終わりを告げる。
「デミトリ殿、一つ聞いても良いだろうか?」
「はい!?」
急に声を掛けられ、思わず声が上擦る。
「ストラーク大森林は、一言で片づけられない程の脅威に満ちている。この目で貴殿が森の中から出てくるのを見ていなければ、一人で大森林を横断してきたのもにわかには信じられなかっただろう」
改めてそう言われると、反論ができない。
「自分でも、良く死ななかったなと思います……」
「だからこそ聞きたい。どうやってここまで辿り着いたのか教えてもらえないだろうか?」
「そうですね……」
ミケルとの尋問も中途半端なところで終わってしまったし、エスペランザに着いたら同じような質問を改めてされるだろう。
――いい機会かもしれないな。
「初めから、順を追って説明してもいいでしょうか?」
「むしろ、そうしてもらえると有難い」
「分かりました――」
そこから、ここまで辿り着いた経緯を順序を追って説明した。遠征中に脱走を決心したこと、逃げている最中にヴィセンテとカテリナを発見したこと、二人の物資があったからこそ無理をしながらも魔物や魔獣に遭遇しにくい経路でヴィーダ王国を目指せたこと。
カテリナ達とは旧知の仲ではなく、カテリナの日記を読んで物資を借り受ける代わりに二人を故郷に送り届けると勝手に決めただけだと。そう説明した時はどう受け取られるのかかなり不安だったが、ラウルは驚きつつ納得してくれたみたいだった。
「――なので基本的に魔物や魔獣との戦闘を避けて移動していたので、一人でもなんとか辿り着けたんだと思います。それでも、何回か遭遇してしまい死にかけましたが……」
「やはり、魔物や魔獣との戦闘は避けられなかったか。ミケル様から……不躾な物言いで申し訳ないが、貴殿はあまり戦闘に長けていないと聞いている」
「お恥ずかしながら、その通りです」
「だが、衣類に戦闘の跡が見受けられるのに傷を負っていないようだが?」
ストラーク大森林で酷使した結果、もはや原型を留めていなかった皮の胸当ては外している。今身に着けているのは、ぼろぼろのチュニックに皮ズボンのみ。
魔獣や魔物との戦闘後、血と汚れを落とすために大量に確保していた水で洗濯を試みたものの酷い有様だ。
「カテリナ達が持っていたポーションで命を繋いでいました。先日最後の一本を飲んでしまったので、正直に言うとかなりぎりぎりの状態でした」
「なるほど……」
「運が良かっただけで、ポーションがあったとしてもまたあの化け物達に遭遇したら生き残れる自信はないです。クァールや名も知らぬ泥色の化け物と遭遇した時は死を覚悟しました」
「……クァールだと!?」
一拍置いて、驚愕したラウルが叫びながら立ち上がる。反射的にだろうが右手を剣の柄に伸ばし、中腰のままこちらを見つめている。
「クァールと遭遇したのは、グラードフ領の近くでした!」
「そ、そうか……」
まだ若干落ち着きを取り戻せていないようだが、ラウルが再び丸太の上に着席する。
「取り乱してしまってすまなかった。討伐に参加したことがあるが、あれは……出来れば二度と会いたくない」
「それは……激しく同意します」
動悸を収めようと深呼吸するラウルを待っていると、胸騒ぎがする。
――あの違和感だ。
今まで感じたことがないほど強烈な違和感に眉を顰める。静かだった森から、微かにではあるが戦いの喧騒が聞こえてくる。