土砂降りの中、街道沿いにメリシアへ向けて進む。濃い霧となった靄と雨に視界を遮られ、足元に見える街道がなければ平原を彷徨うはめになったかもしれない。
――魔力感知擬きを維持するのは厳しいな……
雨に打たれて魔法で作った霧が乱れる上、既存の霧を押し退けながら進むのは無理があったかもしれない。より濃い霧を作り出せば良いのかもしれないが、慣れていない事を移動しながら試すのは断念した。
――どうやってメリシアに入るのか決めていないんだ。なるべく体力と魔力を温存しないとな……
街道を進みながらずっと考えていたが、妙案は浮かばなかった。
――あの盗賊達も、食料の調達や金を使うために街に出入りしていたはずだが……
今更ながら、もう少し丁寧にデニスを尋問するべきだったと後悔しながら走っていると街道沿いに明かりが見える。走る速度を落としながら、体を伏せながらゆっくりと明かりの方へと近づく。
――あれは……野営場か?
草が生えていない空地に、馬車が停車している。御者台は空で、馬車の荷台の中から発せられる光が、防水布に人の影を映し出している。
――この雨の中仕方がない部分もあるかもしれないが、あまりにも警戒心が薄すぎないか?
周囲を注意深く観察するが、盗賊が出没する街道なのにも関わらず見張りらしき人物は見当たらない。ゆっくりと馬車に近づくと中から話し声が聞こえてくる。
「本当に見張りをしないで良いんですかね、旦那」
「いいさいいさ、メリシアまで後半日も掛からないだろう? 安全だし休めばいいさ」
「モルテロ盗賊団は、街の近くでも馬車を襲うと聞いたんですが……」
「盗賊が出るなんて、真に受けたらいけないよ。あれは関税や通行税を上げてワシみたいな商人から金を搾り取る為の方便さ」
「そういうもんでしょうか?」
「本当に盗賊が居たら、領主様も放置しないだろう? 現にワシは一度も襲われたことがない! ほら、固い話はやめて乾杯しようじゃないか」
――……本気で言ってるのか?
開いた口が塞がらない。商人と御者と思わしき男達は、談笑しながら酒を嗜み始めた様だ。
――他に誰もいないが、本当に護衛も付けずに旅をしていたのか?
呆れてしまうが、好都合だ。馬車の荷台の下に潜り込む。
――検問で見られないのを祈るしかないな。
前輪の車軸を荷台に繋ぐ軸受に、収納鞄から取り出したクリプトウィーバーの糸を貼り付ける。糸を伸ばし、後輪の軸受けにも同じように糸を貼り付け、何回か繰り返す。ある程度糸を張り巡らした後、その上に外套を被せてから水魔法を糸に染み込ませて固形化させる。
簡易的な釣床の上に、そっと体を預ける。すこし軋むような音がしたが、幸いなことに雨音にかき消され馬車の中の二人には聞こえなかったようだ。問題なく体重を支えられるのを確認できたので、釣床から降りて荷台の下から這い出る。
――荷台の下を覗き込まれたらすぐにばれるな……
流石は商人と言うべきか、大きめの馬車のため立っていればぎりぎり釣床が見えない。ただ少しでも屈んだり馬車から距離を取ってしまえば丸見えだ。
馬車の正面に回ると、馬と御者台越しには見えない事に安心する。
「ブルル……」
雨に晒され白い息を吐きながら、年老いた茶色い馬が鼻を鳴らす。
――護衛の件と言い、馬の雨よけさえ用意しないあたり相当な守銭奴か……いや、盗賊の出る街道で呑気に酒を楽しんでるあたりただの馬鹿か……
小屋の保存棚から持ってきた干し果物を収納鞄から取り出し、掌の上に置く。恐る恐るだったが、干し果物を食べてくれた馬が手に頭を擦りつけながら満足そうに眼を閉じる。
「お互い、頑張ろうな」
馬の頭を優しく撫でてから、荷台の下の釣床に戻る。横になると、頭上では男達が盛り上がっているのが聞こえる。
「この酒、本当にうまいです!」
「そうだろうそうだろう! バレスタ商会は最高の品しか用意しないのさ。ワシの代まで掛かってしまったが、ようやく王家御用達になれる見込みも立った――」
まだまだ続きそうな男たちの晩酌を無視しながら、目を閉じる。
――早く寝てくれると助かるんだが……
――――――――
雨が止み、太陽の光が草に滴る雫に反射して輝く。
街道を移動する馬車の振動を、固形化した糸越しに全身で感じながら流れていく景色を眺める。
結局二人の晩酌は深夜まで続き、二人が起きてきて出発したのは昼過ぎだった。定期的に固形化が解けないように糸に魔力を流しながら、一睡もせずにじっと横になっていたので身体的と言うよりも精神的な疲労が大きい。
「バレスタの旦那、着きましたぜ!」
御者がそう叫ぶが今の体勢だと確認のしようがない。馬車が速度を落とし、しばらくして停車した頃には兵士の物と思われる足と堅牢そうな街壁が見える。
「メリシアへの訪問理由を教えてくれ」
「ワシはバレスタ商会、商会長のシモン・バレスタだ! 知っているだろう! 急いでいるから、早くしてくれ」
「バレスタさん……毎回言ってるが早く通りたいなら訪問理由を言うかさっさと商会ギルドの会員証を提示してくれ」
「門番のくせに生意気言うなよ小僧! ほら、お目当ての会員証を見るがいいさ!」
「なんでいつも喧嘩腰なんだよ」
――本当になんなんだ。
ばれたくないのでなるべく穏便に検問を済ませて欲しいのに、商人が無駄に事を荒立てている原因が分からずに焦る。昨日と比べて大分気性が激しいが……
「うっぷ、飲みすぎて頭が痛いんだ、さっさとしてくれ!」
――二日酔い……
「二日酔いかよ……」
検問をしている兵士と同じく呆れていると、他の兵士が馬車に近づいてくるのが見える。
「じゃあ簡単に馬車の中を確認しますね」
兵士が馬車に乗ると、荷台の中身を確認するために頭上で動き回っているのが分かる。
「バレスタさん、お酒以外も取り扱った方がいいですよ」
「うるさい! うっ、頭が……」
「馬車の確認終わりました、問題ありません」
「うむ、行っていいぞバレスタさん」
「ふん! 早く出してくれ!」
「了解です、旦那」
検問所を離れ、馬車が街壁に設置された門をくぐる。先程まで見えていた平原から様変わりして、街並みが視界の前に広がる。
「旦那、商会まであと少しです!」
御者が荷台の商人に呼びかけているが、相当気分が悪いのか呻き声しか聞こえてこない。
――そろそろ頃合いだな。
馬車が大通りから反れて脇道に入るために減速したタイミングで、車輪に轢かれないよう注意しながら釣床から転がり降りる。頭上を馬車が通過したのを確認してから、すぐに立ち上がり馬車を追う形で脇道に入る。
――見られては……なさそうだな。
周囲に人がいないことに安堵しながら、人気のない脇道を走り去っていく馬車を見送る。
――夜になる前に、色々と済ませないとな。