「……私、前世の記憶を取り戻した時少しだけワクワクしていたんです。父との生活に満足していたので、冒険に出ようとかそんな大それた事は考えなかったけど……ちょっとだけ物語の主人公になった気がして」
遠い目をしながら、ヴァネッサが小声で呟く。
「すぐに、全部めちゃくちゃになっちゃったけど……」
――普通に暮らしたいだけと言っていたが……前世も今世も変わらず、普通の幸せを掴むのが一番難しいのかもしれないな……
「はぁ……こんなに異世界から招かれてる人間がいるなら、特別でもなんでもなくただの気まぐれで呼ばれてるような気がしませんか? 月の女神は、私の事を面白がって……」
急激に膨れ上がるヴァネッサの魔力の揺らぎを感じて、慌てて彼女の手を取る。
「気持ちは……本当に、本当に痛いほど分かるが堪えてくれ」
「……すみません……」
ヴァネッサの手を取るためにしゃがんだ状態から、そのまま地面に座り込む。
「おれの故郷……ガナディア王国で勇者召喚に成功した噂が出回っている。確証はないが、俺が転生させられた時転移者が三人神の使いに案内されていたから、そいつらかもしれない」
「異世界人のバーゲンセールじゃないですか……」
大きなため息を吐きながら、ヴァネッサもしゃがんだ体勢を崩し地面にへたり込む。
「……勇者と、賢者と聖女と呼ばれていた……全員が全員適当に異世界から呼ばれている訳じゃないと思う……」
「神様の目的はなんなんですか? 魔王とか出てきても、私は戦いたくないですよ?」
「万が一魔王なんか出てきたら、勇者様にまかせておけばいいんじゃないか?」
「私はともかく、これだけトラブルに巻き込まれてるデミトリは気を付けた方が良いと思います……」
「冗談でもそう言う事は言わないでくれ……」
想像するだけで身震いがする。出来れば、カテリナとヴィセンテを送り届けた後は俺もどこかで異世界人と関わらず静かに暮らしたいと切に願う。
しばらくそのまま無言で路地裏で過ごしていたが、ちらりとヴァネッサの方を見る。大分頬の赤みは引いているが、もう少し待った方が良さそうだ。
「……力加減を間違えた。痛い思いをさせてすまない……」
「……お父さんにもぶたれたことないのに……」
「何か言ったか?」
「……なんでもないです」
「謝罪だけで気が済まなければ、俺を殴ってくれ」
「二人して顔が赤くなっていたら、余計に目立ちます」
「そうだな……」
ヴァネッサと会話しながら、空を見上げる。
人目を避けるために公園に向かいたかったが、もうすぐ昼時だ。昼食をとるために公園を訪れる住民も多い。出発できるのにはもう少し掛かりそうだし、このままパティオ・ヴェルデを目指した方が良いかもしれない。
「ギルドを出たときに公園に向かうと言ったが昼時で混みそうだし、準備が出来たら宿に向かってもいいか?」
「大丈夫ですけど……」
「気になる事があったら、なんでも聞いてくれ」
「着替えも何も、持っていなくて……」
今更ながら、ヴァネッサを着の身着のままで連れまわしていることに気付く。
「気が利かなくて申し訳ない……俺もメリシアに来てまだ日が浅くてあまり服屋に詳しくないんだが、丁度宿に戻る途中に行きつけの古着屋がある。新品じゃなくて申し訳ないが、一旦当分の着替えをそこで買い揃えてしまっても良いか?」
「お金が……」
「そこは……気にしないでくれ」
――手元に三万ゼル、口座にタスク・ボアの報酬含めて三十六万ゼル程残っているが……ギルドに引き返して引き下ろすわけにもいかない。気は進まないが、渡されていた生活費に手を出すか……
オブレド伯爵とジステインから渡されていた金には極力頼りたくなかったが、背に腹は代えられない。またバレスタ商会の近くで問題に巻き込まれたら堪らない。
「大丈夫そうですか?」
ヴァネッサがこちらに頬を突き出しながら顔を寄せてくる。薄っすらと、最早手形と判別できないぐらい淡く赤みは残っているがこれなら問題なさそだ。
「ああ、それじゃあ行こうか」
――――――――
マルタの古着屋を後にして、パティオ・ヴェルデに到着したのは夕方頃だった。女性の客が余程嬉しかったのか、店主の着せ替え人形と化したヴァネッサの服選びが終わるまで心を無にしながらひたすら待った。
――十八万ゼルか……
相変わらず質のいい品ばかりだったが、金欠かつ自分のお金で買っていないため支払いをした時は気が気じゃなかった。ヴァネッサに変に気を遣わせないように気を付けていたつもりだが、かなりぎこちなかったと思う。
『彼女に良いところを見せたいんだろう? けちけちしちゃだめだよ』
店主にそう冷やかされた時も、訂正する気力すら湧かなかった。
「デミトリ君、今日は早めに帰って来たね?」
パティオ・ヴェルデの店主が、いつも通りカウンター越しに出迎えてくれて安心する。
「実は、部屋について相談したいんですけど……」
「彼女さんも一緒に泊まるのかな? おすすめのお部屋があるよ」
こういった冷やかしは商売人の十八番なんだろうか。気にしないように務めながら会話を続ける。
「いえ、一緒に泊まるつもりはないんです。もう一部屋、出来れば自分の部屋に隣接している部屋を取れると嬉しいんですが……」
「んー、今は丁度一人部屋が埋まっちゃってるね。二人で泊まれる部屋なら案内できるんだけど」
――部屋が空いてないのは困るな、最悪二人部屋を借りてヴァネッサだけそっちに泊まってもらうか……?