「デミトリ殿、頭を上げてくれ。急にドルミル村まで貴方とルーベン殿に付き添ってくれと殿下に命令された時は困惑したが、そう言う事情なら幾らでも協力する」
「……私は帰りの転移の為の魔力を温存しながら黙って付いて行くので、好きにしてください。早く帰りたいのでさっさと済ませますよ!」
イヴァンの言葉を聞き頭を上げると、彼から同情的な視線を向けられていた。肝心のルーベンは懐疑的な姿勢は崩していないものの、取り敢えずは村で騒ぎを起こしたりはしなさそうだ。
――イヴァンは殿下の護衛とは言え軍属だ、死地で受けた恩について理解を示してくれると思ったが……宮廷魔術士のルーベンにはあまり納得は得られなかったみたいだな。
「二人共ありがとう、恩に着る。早速村へ向かいたいんだが……」
微妙な沈黙が流れる中、ルーベンが眉間に青筋を立てながら口を開いた。
「……村がどこにあるのか分からないならそう言ってください! 東はこっちです!」
苛立ちを隠せず早速沈黙を破ったルーベンがずかずかと木々の奥へと進んで行き、苦笑を漏らしたイヴァンと共に彼の後を付いて行く。
ジステインからドルミル村はジステイン伯爵領の隣領、アルティガス子爵領内に位置すると聞いていたことを思い出しながら森の植生を観察しつつ進んでいく。
ガナディアの国境から馬車で数週間掛かる王都から、本来であれば更に数週間かけて北東に進まなければ辿り着けない村だ。飛んでいる鳥や生えている植物、木々の様子も様変わりしている。
――気温も、大分涼しいな……寒冷地なのか?
ストラーク大森林やヴァシアの森と比べて丈の低い草が多く、木々の枝にびっしりと生えている細長い線形の葉も前世の記憶のトウヒの木を彷彿とさせた。
「デミトリ殿はガナディア出身だろう? 私もヴィーダ王国の南部出身でアルティガス子爵領には初めてきたが、驚くほど涼しいな」
周囲を観察しながら歩いているのに気づいたのか、イヴァンが話題を振ってくれた。
「同じことを思っていた。秋前でこの涼しさなら、冬場の寒さは相当なものだろう」
「寒くなると、鎧が冷えて大変だ。私は護衛業務で殿下と共に室内にいる事が多い手前、甲冑を身に纏いながら冬の寒空の下城外で警備に当たっている同僚達から良く愚痴られるんだが……王都よりも更に寒い北部の冬は想像したくもないな」
――殿下の護衛に気軽に愚痴を溢せるのは……王国騎士団の気風なのか、イヴァンの人柄なのか気になる所だ。ルーベンもイヴァン相手に一目置いているような発言をしていたから、後者の可能性が高いかもしれないが……
「ちなみにだが、我々はこの格好で問題ないのか?」
「……正直、そこまで考えていなかったな」
俺は普段通り着まわしている一張羅だが、イヴァンは明らかに高貴な人間を守る者だと分かるような恰好をしている上、ルーベンも一目見て高級品だとわかる繊細な装飾を施されたローブを身に纏っている。
「会話は、俺に任せて欲しい。イヴァンとルーベンは、できるだけ威圧感を出さないようにしてくれれば助かる」
「はぁ……アルティガス子爵領の端にある村に、急にこんな恰好をした人間が三人も来たら騒ぎになりますよ」
今まで黙って先導していたルーベンが立ち止まり、溜息を吐きながら振り返る。
「……三人?」
「私とイヴァン殿より、むしろあなたの恰好が問題です」
「ルーベン殿?」
「そんなに、おかしいだろうか……」
「ヴィーダ王国北部の人間にとって一番の脅威と言っても良い、アッシュ・ワイバーンの素材を使った上着なんか着てたら大騒ぎになるに決まってるじゃないですか!」
久しぶりにアッシュ・ワイバーンの名を聞いて一瞬頭が真っ白になったが、確かコスタ工房の店員にそんな事を言われていたなと思い出す。
「アッシュ・ワイバーンは北部に生息しているのか? 別に、そいつの素材を使った上着を着ているだけで問題が起こりそうにはないが……」
「各領に点在している村規模の集落はある程度自衛しているものの、強大な魔物や魔獣相手には成す術ないんですよ? 急に村の存続にかかわる様な魔物の素材を使った装備を着た人間が訪れたら、警戒されるに決まってます」
「やけに詳しいんだな」
「……私も元は小さな村出身なだけです!」
ルーベンが何に怒っているのか分からないが、忠告は正直有難い。ぷんぷんしている彼を横目に上着を脱いで、収納鞄に仕舞う。
――いつの間にかエンツォに背中から貫かれた穴も塞がっていたし、気温に関わらず快適に過ごせるから何かしらの魔術が付与されていると踏んでいたが正解みたいだな。脱いで改めて分かったが、物凄く寒い。
上着一枚脱いだだけでこれほどまでに体感温度が変わるのはおかしい。軽く左腕の袖をまくって確認すると急な温度の変化で鳥肌が立っている。
「……馬鹿にしないんですか?」
「何をだ……?」
「私は、小さな村の出身です」
「……? それがどうかしたのか? 経験に基づく忠告をしてくれて感謝している」
「デミトリ殿、ちなみに私は南部の町出身です」
「そうなのか……? 心強いな。俺はヴィーダに亡命してから、王都を除けばエスペランザとメリシアにしか訪れた事がない。ガナディアでも、グラードフ領で軟禁されていたから常識に疎い可能性がある……何か粗相をしそうになったら、面倒を掛けるが二人に指摘して欲しい」
ルーベンはぽかんとしていたが、イヴァンが俺の返答に満足そうに頷くとルーベンの肩を叩いて再び歩き出した。
一連のやり取りの意味は良く分からなかったが、少しだけルーベンの纏う空気が柔らかくなった気がした。