「前世の話になっちゃうけど、色々あって……私、一人になるのが怖い癖に人を信じられないから孤立してたの。ずっと一人ぼっちで誰も頼れなかったから、今世は自分を大切にしてくれたお父さんを大事にしようと思ってたけど……お父さんを失った後はもう何もかも諦めようと思ってた」
「精一杯生きたいと――」
「目標設定が高すぎたのかな? 少なくともデミトリと出会った時はもう諦めかけてたよ」
困ったように笑ったヴァネッサがそっと俺の頬に手を添えた。
「デミトリと出会ってもう一回頑張ろうと思ったの。色々と無茶なお願いをして……試してごめんね? 本当に頼っても大丈夫なのか確かめようとしてたのかも……助けて貰ったのに何様って感じだよね……」
自己嫌悪に満ちたヴァネッサの吐露に掛けるべき言葉が見つからない。
「でも今はね? デミトリが何でも応えようとしてくれて、全部一人で背負っちゃう所が心配だよ」
「すまない……」
「謝らないで……そんなデミトリだから私はあなたの事を信じてるし力になりたいって思うの。もう諦めたくないし、何があっても私はデミトリの味方だから……離れてもいいなんて言わないで?」
頬に添えられたヴァネッサの手を握り、彼女と視線が交わる。
「俺は……これからも今回の様に迷惑を掛けるかもしれないがヴァネッサと一緒に居たい」
「振り回してるのは私の方だと思うけど……私もデミトリと一緒にいたい。必要ないと思うかもしれないけど、もっと力になりたい」
「……もっと頼るようにする」
「私も今回みたいに溜め込んで爆発しない様に、もっと小まめに相談するね……」
互いに本音をぶつけて話し合い、蟠りが解けたのは良かったが妙に気恥ずかしい。ヴァネッサの手を離して、視線を外しながらソファにもたれ掛かった。
「ヴァネッサ、その……改めてよろしく」
「こちらこそ……改めてよろしく、デミトリ」
――――――――
「殿下からはデミトリだけ呼んで来いと言われてるんだが」
「ヴァネッサも王家の影だ。同席しても問題ないだろう」
溜息を吐きながらやれやれと言いたげな様子でニルが作業を続ける。夜の帳が落ち切った頃、殿下の使いで俺を呼びに来たニルに連れられてヴァネッサと共に迎賓館の主賓室を訪れていた。
俺達に割り当てられた客室も大概だったが、贅の限りを尽くして作られた豪奢な主賓室は逆に居心地の悪さ感じる。
――とにかく高価な物を敷き詰めたら良いってものじゃないだろう……
「……ザ・成金みたいな内装だね」
「そうだな……」
小声でそう漏らしたヴァネッサが視線を落としていた初雪の様に白いクァールの敷物に注目しながら静かに同意した。ストラーク大森林で対峙した個体よりも一回り小さいが、妖しく輝く瑠璃色の義眼がはめ込まれたクァールの形相は死して尚こちらに襲い掛かって来そうな迫力がある。
――王族や高位貴族の場合、こう言った物は権力の象徴だったりするのかもしれないな。
大型魔獣の敷物だけでなく意味も無く贅を凝らした純金の花瓶や何を描いたのか判別すらできない壁を覆う抽象画。これらを好んで配置する程庶民と美的感覚がずれていない事を願いたい。
「よし、準備が出来た」
部屋の隅でしゃがみ込んで居たニルが立ち上がると床の板材が捲れて梯子付きの穴が露になった。粗削りな壁面と無骨な鉄製のはしごが、煌びやかな室内で異様な存在感を放っている。
「……ここは二階のはずだが――」
「この抜け道は階下の部屋と部屋の壁の中を通ってそのまま地下まで繋がっている。そこから王城まで一直線だ」
「……他国の人間が泊まる迎賓館にこんなものがあって問題ないのか?」
「デミトリなら、大体予想が付くんじゃないか?」
ニルに投げかけた質問を質問で返されてしまい、少しだけ考えてみる。
「……有事の際、賓客を王城に避難させるためか? 恐らく王城の内部に辿り着けても最深部ではないだろうし……人一人が通れる狭さだ。出口が常に警備されてさえいれば仮に賊に利用されても守り切れる自信があり、保険として王城側で瞬時に抜け道を封鎖する仕組みもあるとしか思えないが」
「ほぼ正解だ」
含みのある笑顔でニルがそう言ってまるでこちらを試すかの様に沈黙した。
――ほぼ正解と言う事は……
「敢えて不埒な考えを持った敵国の人間を誘い出す罠――」
「王家の影としていずれ知る事になるかもしれないが今はそれ以上話すのはやめておこう。君が急にヴァネッサを連れて行きたいと言い出して準備に時間が掛かったと言えば察しの良い君は大体分かると思うが」
ニルの口振りからして、恐らく正しい手順で準備をした規定の人数以外が抜け道に侵入した時に発動する何かしらかの防衛機構があるに違いない。
「手間を掛けてすまない……」
「謝る必要はない、君の気持は良く分かる。私もアロアと一時も離れたくないと駄々をこねて、事あるごとに上司に怒られている」
「……ニルさんって、物凄い愛妻家ですよね」
「フッ、褒めてもなにも出ないぞ! これ以上殿下をお待たせしたくない、そろそろ行こうか」
ヴァネッサに愛妻家と呼ばれたのが余程嬉しかったのか、上機嫌なニルがそう言って穴の中へと沈んで消えて行った。ヴァネッサと顔を見合わせて互いに微妙な表情を浮かべていたのに気づき苦笑する。
「……スカートを押さえながら梯子を下りるのは難しいだろう? ニルに限ってそんな事はしないと思う……いや、しないと断言できてしまいそうだが覗かれてしまったら嫌だろう? 俺から先に降りて上を見えない様にするからヴァネッサは後を付いて来てくれ」
「それって結局デミトリが見放題になるだけじゃない?」
「俺はそんな事決してしない!」
「冗談だよ、行こ?」