夜が明けたばかりでまだ日が昇り切っていない王都は、生まれ育ったグラードフ領と比べると気温がかなり低い。肌寒さを感じる薄暗い応接室の中、アルフォンソ殿下と彼の護衛達と静かに招かれざる客を待つ。
――まだ王城の使用人達すら起きていない者達が居ると言うのに……非常識極まりない時間に王城を訪れたのは、恐らく殿下に心理的な負担を強いる為だろうな。
昨晩、グローリアから手短に教会の戦力と異能について聞いて後すぐに迎賓館に戻る事になった。千里眼の異能で一晩中監視されているとも考えにくいが、念には念を入れた方が良いというヴィーダ王の決定に皆従った。
時間に制限があったため満足に対策を講じる事も出来ず、結局各々考えを纏めてから夜明け前にまた王城で集合する事になった。
――もしも千里眼の異能で俺が王城に戻ったのが気づかれていた場合も考えたが……ここまで来ると奴らがどう捉えるか次第だな。怪しまれるかもしれないし、逆にグローリアの容体が急変したため王城に呼ばれただけと考えるかもしれない。
物語の方のデミトリはともかく俺自身はそれほどグローリアと親交を深めていない。物語ではそうだったと言うグローリアの言葉を信じ、対策会議が終わった後流れでセルセロ侯爵の訪問に同席する事になったがこれで本当にいいのかどうか分からない。
――既に現実が物語とかなり乖離してしまっている……どこまでグローリアの未来の情報が頼りになるのか少し心配だな。
寝不足と部屋の暗さのせいだろうか、思考が自然と後ろ向きになっていたのに気づき両手で頬を叩く。アルフォンソ殿下達に苦笑いされたが、彼等もかなり疲労しているように見える。
「失礼致します」
返事も待たずに扉を開いたのは、いつの日か王城で見かけた姿とは掛け離れた男だった。気のせいかもしれないが目の焦点が合っていないように見え、声も以前と比べて若干上擦っている様に聞こえる。
「アルフォンソ殿下! 急な訪問にも関わらず、色々とお忙しい中貴重なお時間を頂き恐縮です。茶会の件を聞いた時は心が痛みました! グローリア様の具合はその後いかがでしょうか?」
息子のオリオルとは似ても似つかない貧相な体付きをしたセルセロ侯爵が、応接室に入るや否や席につかず立ったまま殿下を見下ろし慇懃無礼な態度でそう言い放った。
以前王城で付きまとわれた時は貴族服に身を包んでいたが、今は七三分けにされた長髪をだらりと宝石のあしらわれた白いローブに乗せており、その風貌は高位貴族と言うよりも成金の牧師と言われた方がしっくりとくる。
「自分も息子を失ったばかりだと言うのに、私の婚約者の心配をしている余裕があるのか?」
アルフォンソ殿下の嫌味を聞き、にやにやとしながら悪意の満ちた瞳で殿下を見つめていたセルセロ侯爵の顔が狂喜に歪められた。
「私の躍進に寄与できたのです。あの子も天国で泣いて喜んでいるはずです」
「躍進か……息子のオリオルが謀反を起こしたのにセルセロ家当主のお前は行方をくらましたと思ったら、昨日の今日でのこのこと王城を訪れて私に会わせろと騒いでいると聞いた時は耳を疑った。セルセロ侯爵……裁かれる覚悟を持ってこの場に来たんだろうな?」
「青いなアルフォンソ……グローリア嬢を助ける手段があると言った途端手のひらを返して私を王城に招いたのに、今更脅そうとしても意味はない」
へりくだった口調を止め、躊躇なく殿下を呼び捨てにしたにも関わらずセルセロ侯爵は一切動じた様子が見えない。
それが侯爵家当主として貴族界を渡り歩いてきたからの余裕なのか、その身に宿している狂気からなのかは判断が付かなかった。
「グローリア嬢を救いたければお前は我々の言う事に従う事しかできない」
「……誰に向かって口を利いているのか忘れた様だな!」
「旧ヴィーダ王国を終焉に導く最後の王子、我々が導かなければいけない愚鈍の象徴だ」
――頼むから感情を抑えてくれ……
セルセロ侯爵が働く無礼についてはグローリアから事前に殿下に共有している。ある程度物語通りに進める為に殿下は事前に決めていた受けごたえをしているのだが、端から見ていると激高しているようにしか見えない。
――セルセロ侯爵が王城に来た時点で拘束出来てしまえば色々と楽だったんだが……
その案はヴィーダ王に却下されてしまった。セルセロ侯爵が戻らなければ教会側がどう動くのかが分からない。下手に拘束して今日出会えるはずの黒幕であるラベリーニ枢機卿が逃げ出してしまう恐れがあったからだ。ある程度物語に沿った行動をしつつ、敵の本陣で一網打尽にしようと言うのだ。
――未来を変えたいのか変えたくないのか、良く分からなくなってくるな……
個人的にはグローリアの恐れていた通り、行動を起こしても基本的に未来が物語の筋書に収束してしまうのであれば、ある程度無茶をしてでも事前に排除できる敵は片付けてしまったほうが良いと考えている。
――……俺個人で動いたとして責任を取れない以上方針は任せるしかないが……もどかしいな。
雁字搦めに色々なものに縛られて、結局物語通りに進んでいる事が気掛かりだ。