「これからよろしく頼む、デミトリ殿!ヴァネッサ殿!」
「「よろしくお願いします」」
セヴィラ辺境伯は馬車だけでなくわざわざ護衛まで手配したらしく、宿を出て馬車で待つナタリア達と合流した際早速自己紹介をされた。
――ナタリアの従弟か……
アルセと名乗った青年はまだ幼さが残る顔立ちをしており、ナタリアによく似た深緑の瞳を長い茶髪の前髪で隠し、細い体躯とは不釣り合いな身長を超す長さの槍を背負っていた。
動きを阻害される事なく悠々と動き回っている事から、背伸びをして自分に扱えない武器を携帯している訳でもなさそうだ。
――ナタリアの親戚と聞いた時はセヴィラ辺境伯夫人の差し金かと一瞬考えてしまったが、ナタリアも警戒していないし考え過ぎの様で良かった。
「王都までは護衛を兼ねて私が御者として馬車を運転する、レズリー殿はナタリア姉さんと一緒に屋形に乗っていてくれ」
「ありがとうございますアルセ様」
「デミトリ殿。客人にこの様な申し出をするのは不躾かもしれないが、今夜は私と一緒に御者台に座って頂けないだろうか?」
「私は構いませんが――」
遮る様にアルセが片手を上げ、俺の発言を制止した。
「ナタリア姉さんからある程度話は聞いている。これから王都まで共に旅をするんだ、いつも通りの言葉遣いで接して欲しい」
「そうか……そうだな。俺は構わないが、何か心配事でもあるのか?」
「心配事と言う程でもないが、セヴィラから近領のレマトラ男爵領へと続く街道は稀に魔物が現れる」
「魔物か……」
自分で発生させたモータル・シェイドを除けば久しく魔物や魔獣の類と遭遇していない。ストラーク大森林から抜け出しヴィーダに入国して以降他者との命のやり取りが続いたため、魔物であれば気が楽だと安心感を覚えた事に驚く。
――人の命を奪うことに対して忌避感を抱ける位には心は保てているみたいだな……魔物や魔獣であってもみだりに命を奪うような行為はしたくないが。
「運が悪ければはぐれのウルス・グリィあたりに遭遇するかもしれないが街道は巡回が多い。基本的には問題ないだろう、万が一遭遇しても私一人で問題なく対処できる……ただ夜間の移動だ。用心するに越した事はないと思ってな」
「そう言う事なら是非協力させてくれ」
アルセとの打ち合わせを手短に終わらせ、ヴァネッサ達が馬車に乗り込んだ事を確認したアルセが馬車の扉を閉めた段階で御者台の方へと二人で移動し、アルセが馬車を走らせた。
停まっていた宿は繁華街の中心に位置しており、人の海を掻き分けながら進むのにかなりの時間を要したが気づけば道行く人々もまばらになり、ついには人通りが完全に無くなってしまった。
繁華街の喧騒を置き去りにした静寂は、全く違う街に迷い込んだのではないかと思わせる程だ。
「静かだろう?」
街の変わり様に驚いていると、横からアルセに声を掛けられた。
「……繁華街が賑やかすぎるだけだと思うが」
「はは、間違いないな……全く、母さんも余計な事を……」
「……?」
アルセの発言が気になり彼の方を見ると、街灯にわずかに照らされた薄明りの中でもバツの悪い表情を浮かべているのが分かる。
「セヴィラ辺境伯夫人が何か……?」
小声でそう問いかけると、アルセが一瞬だけ馬車の屋形の方に振り返ってからこちらに顔を寄せ小声で話しかけてきた。
「母さ―― 母は、ナタリア姉さんを痛く気に入っていてな……我が家は私と兄二人の三人兄弟だから、ナタリア姉さんの事を昔から娘の様に可愛がっている」
「それはいい事じゃないのか?」
「……ヴィーダ王国からアムール王国に嫁いだ叔母の立場で、頼まれてもいないのにナタリア姉さんに婚約者を宛がおうとしていてもそう思えるだろうか?」
「それは……」
――いくら叔母でも干渉しすぎではないか……?
アルセの問いにどう答えればいいのか分からず、馬車を引く馬の蹄が道路を踏む音と回り続ける車輪の僅かな回転音だけが虚しく静まり返った街中に響く。
「デミトリ殿も、朝を待たずに逃げるようにセヴィラを発とうとしている現状を疑問に思ったんじゃないか?」
「……少し気にはなっていたな」
――ナタリアが俺とヴァネッサの準備さえ整っていればすぐにでも出発したいと言っていた時点で、何か理由がありそうだとは思っていた。
「王命でアムールを訪れているナタリア姉さんを、これ以上母の我儘で引き留めるわけにはいかない。そう判断した父の計らいで逃がす事にしたんだ。我が家の事情でデミトリ殿達に迷惑かけた事を謝罪する」
馬車を繰りながら器用に頭を下げたアルセが顔を上げた時、彼の表情から心から申し訳なく思っているだろう事が伝わって来る。
「俺とヴァネッサの目的はアムールを訪れた時点で半ば達成できている。少し足止めを食らった位で謝罪してもらう必要はないが……ナタリア様は大丈夫なのか?」
「かな―― 若干、面倒な事になっているな」
――言い換えた意味がなさそうな位面倒な事になっていそうだな……
「母の干渉がなければ貴殿達も繁華街以外の、情熱区域に指定されていない商業区の宿を取らせてあげられたのに……」