収納鞄から木彫りの皿を取り出し、その上に事前に細かく刻んでおいた生肉を乗せる。
シエルは元気そうに食事を始めたが、育成手順を間違えていないのか不安がないわけではない。
ファビアン曰く魔獣は成体になれば一度の食事で数日間は食事を摂らなくても済む種が多いものの、幼体の場合毎日自分の体積と同等の食料を摂取する必要があるらしい。そして魔獣の幼体はおよそ一週間から二週間おきに、体重と体格が倍々に増えて行く事が多いと聞いていた。
出会った当初から大きさが変わらず、今でも上着のポケットに収まる程度の大きさのシエルが今の環境でちゃんと成長できているのかという疑問はどうしても拭えない。
――正解が分からない以上、最善を尽くすしかないな……
元気よく食事を続けるシエルから目を逸らし、自分も殿下に薦められたサンドイッチにかぶりつく。
時間を置いて少し冷めてしまったが甘辛いたれが絡んだ焼き魚と、刻んだ野菜の相性が絶品の一品だ。エリック殿下がおすすめするのも頷ける。
「ぴー……」
「相変わらず食べるのが早いな。でも残さずに食べて偉いぞ」
満腹そうにしているシエルの頭を撫で、濡らしたハンカチでくちばしの周りと食べる時に勢い余ったのか、胸にまで付着した血を簡単に拭き落とす。
――授業の開始までまだ時間があるな……
シエルの為に出した木皿とサンドイッチが巻かれていた蝋引き紙を纏めて収納鞄に仕舞い、お腹がいっぱいになりうとうとし始めたシエルを持ち上げてポケットの中に入れて一息つく。
「美味しかった?」
「あぁ……は!?」
俺自身も満腹になり陽光に当てられ気が緩んでいたのかもしれない。不覚にも急な問いかけに反応してしまったが、すぐに立ち上がり周囲を警戒する。
「誰だ!?」
先程まで誰も居なかったはずの大樹の傍に、明らかにおかしい存在が居る事にすぐ気付いた。
「食べ終わるまで待ってたのに、その反応はあんまりだよ?」
「……誰だと聞いている」
桃色のボンデージスーツのような物を身にまとった長身のピンク色の髪を伸ばした美女が、前かがみになりながら親指と人差し指を交差させる奇妙な形で突き出している。
「私は愛の女神。フィーネって呼んでくれてもいいよ」
――何故神がここに!?
落ち着いた声色とその様相が一致しない女神の登場に思考が追いつかないまま、女神が話始める。
「デミトリ君と話したい事があるの」
――なぜ俺の名を……
「……断る」
「セレーナを見守ってる時から思ってたけど、もうちょっと心を開いてくれないと話し辛いよ?」
セレーナ? 見守っている? まさか――
「愛し子だったのか……」
「うん。セレーナは私の愛し子だよ。話したいのはセレーナの事なんだけど」
「……俺には関係ないだろう」
立ち上がって去ろうとした瞬間、ティシアやミネアと相対した時に感じた妙な圧力が場を支配した。
「お願いだから……」
クソ……体が動かない。抵抗しても意味がなさそうだな。
「体の自由を奪うような相手の話を聞く筋合いはない……」
「だって、そうでもしないとどこかに行っちゃいそうだったから……どうしても話を聞いてくれない?」
「俺は既に何個も神呪を授かっている、何の話か分からないがこれ以上呪われるのはごめんだ」
「え……え!?」
今まで平坦な声しか出していなかった女神が初めて動揺した。
「どういう事……? え、なにこれ……しかもこの加護、もしかしてトリスの愛し子!?」
顔をひきつらせた女神がその場で土下座をした。
「ごめんなさい! トリスには言わないで!!」
「意味が分からないんだが……」
「トリスの愛し子にちょっかいを掛けたってばれたら私……」
――神にも序列があるのか、トリスティシアが恐れられているだけなのか分からないな……
「……言わないから、それでいいだろう。じゃあな」
そのまま離れようとしたが、いつの間にか背後まで移動していた女神にがっしりと肩を掴まれた。女神を振り切って進もうとするが、掴んできている手はどれだけ力を入れても振り解けそうにない。
「焦ってて、体の自由を奪ったりしてごめん。デミトリ君は私の事も、多分セレーナの事も嫌いなんだよね?」
「……」
「セレーナがあんな状態なのは……私が色々と間違えちゃったせいなの。私の事は嫌っても良いから、彼女だけでも助けてあげて欲しいの」
この女神のせい……?
振り向くと、申し訳なさそうな表情を浮かべた愛の女神と視線が交わる。
「お前のせいとはどういう事だ?」
「セレーナは私が授けた神呪の影響で自制心が上手く働かないの……君を襲ったのも神呪が原因なの」
「……そもそも自制が働かなければ人を襲ってしまう人間性なだけ――」
「あの子はそんな子じゃない……!」
焦りや驚きからではなく、初めて女神が怒りを露にしながら声を荒げたため身構える。
「……! 私……また失敗したみたい。引き留めてごめんね……?」
愛の女神は掴んでいた俺の肩を離し、両手をぎゅっと握りしめながら俯いてしまった。