「面倒事、ですか?」
ピンと来ていない様子のマチスに、頭の中で整理しながら懸念点を共有する。
「俺は……依頼主が不在のため勝手に依頼に着手せず、依頼の関係者にはその理由をしっかりと説明した上で、依頼主の代理人として依頼を進めたい場合はギルドと交渉してくれと伝えた。冒険者として、ギルドの決まり事などを守り正しい行動を取ったつもりだ」
「私も同じ認識です」
――ここまでは問題ないが……
「気掛かりなのは、依頼主視点から見た時見栄えが最悪な事だ」
「!! それは……」
俺の言いたい事に気付き、マチスの頬が少しだけ引きつる。
「ただでさえ緊急の依頼なのに現れた冒険者が理由を付けて依頼に着手せず、言う事を聞いてわざわざ環境大臣が署名した委任状まで準備をしたのに依頼を破棄なんてされたら……文句の一つや二つ言われてもおかしくないだろう?」
「……大丈夫です。万が一今回の件について環境省が重く受け止め、ギルドに正式に抗議してもデミトリさんが不利益を講じないようにします」
考え過ぎではなく、やはり事と次第によっては環境省からギルドに文句を言われる可能性があるのか……
「俺の事は良いんだ。俺が依頼を継続して起こる可能性がある問題と、依頼を破棄したことによってギルドが被る可能性のある不利益を天秤に掛けた時、どちらがギルドにとって被害が少ないのかマチスの意見を聞かせてくれないか?」
「……そこまで気にして頂く必要はありません」
「気にしないのは無理だろう……実際の所、どうなんだ?」
マチスが口を固く閉じて黙ってしまった。それが答えなんだろう。
「分かった。依頼は継続する」
「デミトリさん……!?」
目を丸くしながらマチスがこちらを見上げてきたが、長居してしまえば考え直してほしいと説得されそうなので割署名を収納鞄に仕舞ってから窓口を後にする。
「何かあったらまた報告に来る」
「ま、待ってくださいデミトリさん!」
慌ててこちらに声を掛けるマチスを残してギルド出て、留学生寮に向けて歩き出す。
――色々と準備しないといけないな。
――――――――
「公園の中、屋外なのにちょっとだけ暖かいんだね?」
「ピー!」
「学園の中庭にも温風の魔道具が設置されていたが、似たような装置があるのかもしれないな?」
事情を一通り説明したヴァネッサとシエルと共に夜の公園の奥へと進んでいく。
問題を一人で抱え込まないと約束した直後の相談だったので、ヴァネッサにまた新たな問題に巻き込まれたのかと呆れられないか不安だったが……彼女は潔く協力を了承してくれた。
話し合いの結果不測の事態に備えて、ヴァネッサと臨時パーティーを組んで共に依頼に当たる事になった。
「これが例の池? 本当に一人で作業するの?」
「ああ。俺が潜って作業をしている間、ヴァネッサとシエルはベンチで待ちながら周囲に目を配って貰えると助かる。退屈な思いをさせて申し訳ないが……」
「任せて!」
「ピー!」
簡単な作戦会議を終え、池に潜る準備に取り掛かる。事前に用意していた縄を収納鞄から取り出し、片方をベルトに固定してからヴァネッサにもう片方の縄の端を手渡す。
「息継ぎの為に定期的に浮上するから使う機会は無いと思うが、万が一何か異常が発生したら引っ張って合図してくれ」
「分かった」
「よし……それじゃあ行って来る。シエル、ヴァネッサの事を頼んだぞ?」
「ピッ!!」
「気を付けてね」
シエルをヴァネッサに預けて、池の前に設置された木製の柵を乗り越える。ジャリジャリと音を立てながら中途半端に凍った水分を含んだ土の上を進み、池のほとりで立ち止まった。
上手く行くかどうか分からないので、少しだけ緊張しながら水魔法を発動する。
身に着けている装備ごと、体と水魔法の間に薄い空気の層を残しながら池の水の侵入を防ぐために隙間なく全身に水を纏う。呼吸をするために口元の水だけ唇に固定する事によって、息をする時以外は完全に密閉されている水膜が完成した。
屈んでから試しに水膜に覆われた右手を池の水に晒してみる。思惑通り水膜の中に含ませた空気の層が断冷効果を発揮し、体熱が急速に奪われるような事にはならなかった。
問題はこの状態で体と水膜に含まれた空気の浮力に抗って池の中に潜れるかどうかだが、試してみない事には始まらない。深呼吸をしてから一歩、また一歩と池の水面に浮かんだ薄い氷の膜を砕きながら奥へと踏み入れて行く。
膝辺りまで池に浸かった時点で浮力のせいで足元がおぼつかなくなり始めたが、全身を纏う水膜に魔力を注ぎ水膜ごと体を池の底に押し付ける事で浮力を相殺した。そのまま進んで行き、首元まで池に浸かった段階で大きく息を吸い意を決して池の中に潜った。
いつの間にか閉じていた目を開いた先に広がっていたのは不思議な光景だった。
捨てられた枝やゴミが散乱する中、俺が池の中へと踏み入れた事で沈殿していた汚泥が静かに舞い上がり月明かりに照らされ、まるで打ち捨てられた荒野のようだった。
――これを週末までに片付けて欲しいとは、本当に滅茶苦茶な依頼だな。