「本当に声を掛けに行くの?」
「死体を発見した以上仕方がない」
「でも……」
ヴァネッサが心配するのも分かる。クリスチャン殿下に目の敵にされている俺が、あの状態の殿下達を邪魔したら確実に面倒な事になりそうだが……
「決めつけるべきではないが、封鎖された井戸の中に隠されたあの死体は事件性があるように思えてならない」
「……自殺かも知れないよ?」
「その線も無くは無いが……自殺だったとしても他殺だったとしても、第一発見者の俺達が周囲に報せずこの場を去るのは不味い」
死体の腐敗の進行具合から可能性は低いと思うが、万が一犯人がまだ公園に潜んでいたらと思うと……殿下達に話さずに去るのは無責任すぎる。
「俺が説明しに行くから、ヴァネッサは少し離れてシエルと一緒に待っていてくれ」
「一緒に行くよ?」
「……ヴァネッサはアムールに来てからほぼ確実に男に絡まれているだろう?」
「え、でも恋人が居たり結婚してる人が相手なら平気だったよ? クリスチャン殿下もデート中の相手がいるし、流石に私を口説こうとしないと思うけど――」
「婚約者が居るのに、他の女性に目移りしたら平気で婚約を破棄するような人間だぞ?」
ヴァネッサの顔が引きつる。
「ここで待ってるね……」
「ああ、すぐに戻る」
遊歩道にヴァネッサ達を残し池のほとりの木まで足を運ぶ。暗闇の中、木の根元でもぞもぞと動く物体から聞きたくない嬌声が漏れ聞こえる程度まで近づいてからわざとらしく咳払いをする。
「きゃー!!!!」
「な、誰だ!!」
慌てふためきながら服を着始めた二人組から視線を逸らしながらしばらく待つ。視界の端でなんとかズボンを履き、シャツのボタンを一段ずらした状態で留め終えたクリスチャン殿下が立ち上がったのを確認してから彼等の方に向き直った。
「貴様、デミトリ!? ここは王家の所有する公園だぞ!? 侵入してただで済むと思ってるのか!?」
「俺はメリネッテ王妃記念公園の池の清掃依頼を受けている。もちろん、閉園後の入園も許可されている」
依頼票を差し出すとクリスチャン殿下が乱暴に奪い取り、月明かりの元四苦八苦しながら内容を確認し始めた。ある程度依頼票の内容を読み、俺の言っている事が事実だと理解した殿下がふてくされながら依頼票をこちらに突き出した。
「ちっ…… 週末まで作業期間があるんだから、俺達の邪魔をする様な無粋な真似をせず帰ってくれ。これは学園の生徒としてではなく、王子としてのお願いだ」
まだ学園での出来事を引きずっているのか……
クリスチャン殿下のあまりに横暴な物言いに眩暈がする。妖しく輝く月を映す波一つない池の水面とは対照的に、心の内で暴れ出そうとする様々な感情を無理やり押し殺して殿下に言い返しそうになる自分を止める。
――ここでクリスチャン殿下と言い合いになったら、ヴァネッサとシエルに迷惑が掛かる。
「邪魔をするつもりは無いし、俺はこれから帰る所だがクリスチャン殿下とお連れの方も帰った方が良い」
着替えが間に合わず、殿下の背後で外套を被り顔を隠しているコルドニエ嬢が誰なのか敢えて気づかない振りをする。
「はぁ? お前が居なくなるなら俺達は帰る必要がないだろ」
「公園内で死体を発見した」
「何だと!?」
驚愕したのはほんの一瞬で、クリスチャン殿下の顔がみるみる怒りに染まって行く。
「ほーう、そういう事か。俺の願いを聞いて素直に引き下がる振りをして、俺達が気分を悪くして帰りたくなるような捨て台詞を吐いていくとは見下げたぞ」
何を言っているんだこいつは……
「何を勘違いしているのか分からないが、死体を発見した後殿下達を見かけた以上、共有しない訳には行かな――」
「御託は良い! アムールの治安の良さを知っていたらそんな見え透いた嘘を付かなかったかもしれないが、お前の底の浅さが露呈したな。王族を欺こうとした浅はかな行いはエリック殿下に免じて今回限り見逃してやるからさっさと去れ!!」
勝ち誇ったようにそう言い放ったクリスチャン殿下の様子から、これ以上の話し合いは無駄だと察した。
「……クリスチャン殿下の仰せのままに」
渦巻く感情を抑えきれず、嫌味を込めて慇懃無礼な口調でそう言ってから一礼をしてからその場を離れた。
ヴァネッサの元に向かう途中、背後からコルドニエ嬢の声が微かに聞こえてきる。
「……コルボの雛……」
シエルを見られたのか? 今はそんな事を気にしている場合じゃないのかもしれないが何となく嫌な予感がする。
「大丈夫だった?」
「やれる事はやった……死体の件は嫌がらせの為の嘘と捉えられてしまったが」
「え!? やっぱり声を掛けない方が良かったんじゃ……」
「これでいいんだ。絡まれたら面倒だから、早く公園を出よう」
無駄に時間を浪費してしまったが、あんな奴でも声を掛けずに何かがあったら後味が悪い。
一刻も早く死体について憲兵隊に報告するため急いで遊歩道の先にある公園の正門へと向い、そのまま公園を後に出来たら良かったのだが、門を潜った瞬間甲冑を身に纏った兵士達に囲まれてしまった。