「舐めてるのかな……」
「学園でクリスチャンに絡まれた時俺は学がないと奴に言っただろう? 言葉の通り受け取られてしまったのかもしれないな」
苦々しい表情で二つの誓約書を見比べていたエリック殿下が大きく息を吐く。
「わざわざ読みにくいように小さな文字で書いてるけど本気でバレないと思ったのかな? 『大会出場の対価としてこの身を生涯アムール王国に捧げる』って……騙し討ちみたいにこんなことをしても僕が訴えれば法的な効力なんてないに等しいのに」
「内容も確認せずに誓約書に署名してくれれば儲けもの程度に思ってるんだろう。個人的に問題視しているのは、もう片方の誓約書だ」
受付から渡された本来武闘技大会に出場する選手全員に配られる誓約書の方を指さす。
「まだ署名してないみたいだけど……?」
「俺がアムール王国の法に疎い事と学が無いのは事実だ。申し訳ないが、代わりに記載されている内容に問題が無いか確認して貰えないだろうか? 読んだ限り問題は無さそうだが……」
「どこか気になる所があるのかな?」
「少しな……単純に最後の条項の意味が分からないというのもある。『武人の礼に必ず応える』とは一体……?」
「あー……」
エリック殿下が俺が指摘した部分を読み気まずそうに視線を窓の方に泳がせる。
「アムール流の武人の礼があるんだけど、対戦相手が戦いを誰かに捧げる宣誓をしたら自分も嘘偽りなくそれを返さないといけないんだ。代表的なのは自分の恋人か、好きな人に捧げる事なんだけど」
「……戦う前にそんな事をしている場合か?」
「あまり気にする必要はないと思うよ? 去年の武闘技大会を観戦した時は誰もしてなかったから」
そう言う事ならその条項についてはあまり気にする必要はないかもしれないな……。破った時点で判定負けと書かれているのがどうしても気になってしまうが。
「それ以外の部分は僕から見ても問題ないと思うよ」
「ありがとう。それが分かっただけで助かる」
「……まだ心配そうだけど、本当に大丈夫?」
上手く隠していたつもりだったが、俺がまだ誓約書について不安を抱いている事をエリック殿下に勘付かれてしまった。
「クリスチャンが誓約書に施した小細工があまりにも杜撰なものだったからな……俺が奴の立場なら、すぐに見破られる細工は油断を誘うためで本命は別に仕掛けると、どうしてもそう考えてしまう」
そんな素振りは見せなかったが闘技場の受付もグルだった場合、出場する選手達に渡していると言っていた誓約書にも細工が施されていてもおかしくはない。
俺とエリック殿下の二人で確認して異変に気づけないとなると、一目見て気づけない様な呪術か魔術が施されている可能性すらある。俺が誓約書に触れた時点で何も反応はなかったため呪術の可能性は低いが……がどうしても安心できない。
「んー、今更言葉を濁しても仕方がないね。クリスチャン殿下は馬鹿だからそこまで頭が回らないと思うよ?」
アムール王国と敵対する事に踏み切ってから少しずつエリック殿下が本音で話してくれる機会も増えてきたが、今までクリスチャンの振る舞いに我慢してきた分相当腹に据えかねた怒りが溜まっているようだ。
「そうだとしても、念のため知り合いにも見せてから署名しようと思う。クリスチャンの周りに、悪知恵の働く人間がいないとは限らない」
頼りすぎている事がもどかしいが背に腹は代えられない。最善を尽くすため署名してしまう前に誓約書をトリスティシアに確認して貰おう。
「デミトリが納得する形で進めるのが一番だから、そうすると良いと思うよ! 僕の知ってる限り、クリスチャン殿下の取り巻き達は側近候補と呼ぶのも烏滸がましい無能の集まりだったはずだけど、デミトリの言う通り入れ知恵をしてる人物がいたら厄介だ」
それこそ、謹慎中のはずのクリスチャンが憲兵隊を動かし武闘技大会にまで手を回せるほど自由に動けているのは王家の支援があるからとしか思えない。王か王妃か、はたまた別の誰かなのかは分からないが……。
ヴィーダ王国として出した抗議の返答もまだのようだし、出来ればエリック殿下に状況を聞きたいが……そこまで首を突っ込むのは俺の領分を超えているな。
必要になったら共有してくれると信じて自分の出来る事に集中しようと心の中で覚悟していると、慌てた様子で誰かが執務室の扉を叩いた。
「入っても良いよ」
「エリック殿下、失礼します。ルーシェ公爵家のレイナ・ルーシェ様が殿下との面会を求めに来ています」
「ルーシェ公爵令嬢が……? 要件はなんだって言ってた?」
「王家の代表として謝罪をしに来たと……」
王家の代表として? アムールでは婚約の段階でもう王家の一員扱いなのか??
「分かった。伝えに来てくれてありがとう。後少ししたら僕も向かうから、応接室に通してくれないかな?」
「畏まりました!」
エリック殿下の指示を聞き、失礼にならない程度に足早に部屋を去った従者が扉を閉めたのと同時に背後で破裂音がしたため急いで振り向く。
エリック殿下の握っていた羽ペンの先が、力を込め過ぎたのか無数の罅を残し砕けていた。
「これだけ待ってあげたのに、謝罪をクリスチャン殿下の婚約者まかせにするつもりなんだ」
政については詳しくない俺でも対応の酷さが分かる位だ、エリック殿下が怒るのも仕方がない。
「そういえば、舞踏会と婚約破棄計画の件もあったね! デミトリも同席してくれないかな?」
「わ、分かった」