「えっと……」
「ルーシェ公爵領はヴィーダ王国の国境沿いに位置するセヴィラ辺境伯領と、その北に位置するレマトラ男爵領と隣接してるでしょ? 言い方が悪くなっちゃうけどルーシェ公爵領はヴィーダ王国とはフォンダン山脈を挟んでるけど一応国境越しに隣合わせの土地だから、今回の件に対する賠償としてアムールの国土を譲渡してもらう上で一番都合が良いんだ」
「それは……」
急に切り出されても答えようが無いと思うが……。
これまでの態度からルーシェ公爵令嬢は当事者でもないのに事態をかなり重く受け止めていたのは分かっている。そんな彼女も、まさか制裁として国土の譲渡まで求められるとは思っていなかったのか明らかに返答に困っている。
「私の一存では是か非をこの場でお答えすることは――」
「それはおかしいよ。だってレイナ嬢はアムール王家を代表してこの場に臨んでいるんだよね?」
「っ!? 仰る通りですが……」
「レイナ嬢は良くも悪くも僕の要望に応えるかどうか決める立場になっちゃってるんだ。でも変に気負う必要はないよ? どう答えてどんな結果を招いたとしても、それは今回の騒動の尻拭いをレイナ嬢に任せて王家の代表に任命したアムール王家と、それを受け入れたルーシェ公爵家の落ち度だから」
先程自分から『王家の代表として認めない』と言っていたのに、エリック殿下にしては珍しく二枚舌な発言だ。ここまでの話の組み立て方からしてルーシェ公爵令嬢の動揺を誘うためだろうが……。
「レイナ嬢にとっても悪い相談じゃないって言ったよね? 受け入れてくれればヴィーダ王国とアムール王国の外交上の信頼を取り戻せてない状態で、我が国の公爵令嬢とアムール第一王子の婚姻を認められないって宣言する。クリスチャン殿下との婚約を、不名誉で一方的な破棄なんかじゃなくて彼に瑕疵のある形で解消する事ができるよ?」
「……!! それでも―― 申し訳ありません! 領民の今後の生活にも関わるような決断をこの場で勝手にする事は出来ません!」
ゴドフリーのような善良な人間が意味も無く殺され、自分の事ではなく国と民を優先するルーシェ公爵令嬢の様な方に外交問題の解決が押し付けられ、クリスチャンのような下衆が好き放題しながら生きられるのは……人生とはままならないものだな。
別にエリック殿下も好んでルーシェ公爵令嬢を困らせようとしている訳ではないだろう。彼女が損しない形で諸々着地させようと彼なりに頑張っているはずだ。
それでもまともな人間同士で神経をすり減らしながらこんな話し合いを強いられ、馬鹿共がのうのうと生きているこの状況の理不尽さに心の中で燻っていた怒りが再び燃え上がって行く。
「……ヴィーダ王国との関係が余計にこじれるとしても考えは変わらない?」
「こ、この場でのやり取りの責は全て私にあります。如何なる罰でも、甘んじて受け入れます。非礼に非礼を重ねてもうしわけありません。恥を忍んでお願い致しますが、何卒、何卒民にはご容赦頂けると……」
「どうかな、デミトリ? レイナ嬢の事を信用できると思う?」
「!?」
心の準備が出来ていない状態で、急に俺に振らないで欲しいんだが……こういう事は事前に打ち合わせて欲しい。エリック殿下がルーシェ公爵令嬢に対して厳しく接しているので、前世の尋問の技術で言う所の「良い警官・悪い警官」をしたいのだろうか?
「……エリック殿下がご用意された逃げ道を自ら塞いでいますし、これまでのやり取りだけで全幅の信頼を寄せられるのかと聞かれてしまえば即答は出来かねますが、ルーシェ公爵令嬢の誠意ある行動は信用に値するかと思います」
「そうかな? 今は聞こえの良い事を言いながらこの場を去ったらアムール王家と共謀するかもしれないよ?」
意地悪な言い方だな。そう疑ってしまっても仕方が無いがそんな事を言っていたら……。
「……疑念に囚われてしまえば誰も信用することなどできません。少なくとも、真摯に王家の代表としてだけでなく公爵家の人間としての役目を全うしようとした事実は評価するべきだと愚考致します」
ルーシェ公爵令嬢が今の発言をどう受け取ったのかは分からないが、猜疑心の塊のような俺が言っても説得力に欠けるな。俺の本性を知っていたら先の発言はただの言葉の羅列でしかない。
「だって、レイナ嬢」
「え、あの――」
「君に対して不義理しか働かないクリスチャン殿下やアムール王家に対して思う所がないとは言わせないよ? それでも聡い君はヴィーダ王国に取り入ろうとするような真似をせず立派に振舞った。それを僕の臣下のデミトリも理解してる」
諭すように、ゆっくりとエリック殿下がルーシェ公爵令嬢に語り掛けているが彼女の表情は硬いままだ。
「迷惑を掛けた僕だけでなくデミトリを前にして自分に都合の良いように決断を下してしまうのは気が引けるかもしれないけど、何も負い目を感じる必要なんてないんだよ?」
「エリック殿下に敬意を持って言葉を選ばずに言います。この話し合いを円滑に進める為という理由だけでなく、本当に私の為を思ってそう仰っている事は理解しています。私如きの為に心を割いて頂きありがとうございます……それでも、無理なんです」
消え入るような声でそう言ったルーシェ公爵令嬢が、大きく息を吸って背筋を正す。
「どれだけ正当な理由で取り繕っても、国を裏切った時点で貴族家の信用は地に落ちます。ヴィーダ王家も、都合が悪くなったら国に背を向けて勝ち馬に乗る貴族家に価値など感じないでしょう? 逆の立場なら私はそう思います。そんな状態では、領民を守れません……!」
「分かったよ。意地悪な質問をしてごめんね? このまま帰したらアムール王家への報告も大変だろうから、謝罪を受け入れなかった事を書面に残そう。もう少しだけ時間を貰ってもいいかな?」