「殿下、もうお休みになられた方がよろしいかと」
「そう言う訳にも行かないよ。今日の顛末を早く父上達に報せないと――」
「しっかりと休んで、明朝に伝書鷹を出したとしても陛下の手元に届くまでの時間は然程変わりません。無理は禁物です」
口調は優しいけど、こうなったらイバイは何を言っても作業を続けさせてくれないのは分かりきってる。握ってた羽ペンを置いて、途中までしたためていた書簡から目を視線を外してイバイの方に振り向く。
「……僕の負けだ! 今日はもう休むよ」
「ご理解頂けて何よりです。出過ぎた真似をしてしまい申し訳ございません」
「謝る必要は無いよ。学園でデミトリが襲われた時もそうだったけど、苛立ちから逃げるように作業に没頭するのは僕の悪い癖だ。こうして指摘して貰えるのは助かるよ」
あの時はデミトリが傷つけられたことに腹が立っていたけど、今は……。
「……殿下のせいではありませんよ」
それだけ言い残してイバイが個室から出て行った。
一人取り残された部屋の中でそりの屋形に当たる雪の音を聞きながら窓の外に視線を移す。暗い上に一面が雪景色だから分かり辛いけど、スレイプニル二頭に牽引されたそりは物凄い速度で夜道を進んでる。
ガタガタ屋形を揺ゆらしながら、時折雪に埋まった岩に衝突してしまっても勢いを殺さず構わずに進む様そりには何度乗っても慣れそうにない。後方のそりに乗ったデミトリ達がちゃんと休めるのか不安だ。
「……休もう」
まだ個室に備えられた小さな机の上に置かれたままの書簡を見て、一瞬イバイが居ない内に作業を進めてしまう事が頭をよぎったけど自制する。今の状態じゃ、どの道明日の朝書き直す事になりそうだ。
『エリック、息子が迷惑を掛けて本当にごめんなさい』
アムール王との謁見の終わり際にエステル王妃……エステル叔母さんに呼び止められて掛けられた言葉がずっと頭の中で木霊してる。
アムールに留学した時に挨拶をして以来、舞踏会を含む行事で年数回は顔を合わせてたはずなのに……久しぶり面と向かって話したエステル叔母さんは酷くやつれてた。
「謝られても困っちゃうよ……」
あの場で敢えて敬称を付けずに謝ったのは、アムール王国の王妃としてではなく個人としての謝罪だなのは分かってるけど……。
「はぁ……」
いくら王家の影が優秀とは言っても、あの短期間であそこまでクリスチャンの不祥事に関わる証拠や色々な情報をなんの妨害も無く集められたのはエステル叔母さんの仕組んだ事なのは何となく分かってる。
ニル達からも夜鷹が異様に協力的だったって聞いてるから、ただの偶然や勘違いでもないのは明らかだ。
「……」
僕がまだヴィーダに居た時、母上を訪ねて訪問したエステル叔母さんには色々と良くしてもらった。
色々な兼ね合いがあってその時はエステル叔母さんが単身でヴィーダ王国に来てたけど、いつか息子達を僕と兄上に紹介したいって嬉しそうに話してた姿は今でも覚えてる。
「なんで……」
なんでこんなことになったんだ?
『エステル叔母さん、どうして――』
『私の行動を見て、納得できない事や理解し難い事はたくさんあると思うわ。願わくば、エリックにはいつまでもそのままでいて欲しいけど……王族として、自分の心に反した行動を取らざるを得ない時が来たら今回の事を思い出して』
『そんな事を言われても……』
いつまでも話している訳にも行かなくて、そこでエステル叔母さんとの対話は打ち切られちゃったけどどう受け止めれば良いのかは未だに分からない。
『さようなら、エリック』
まるで今生の別れの様に告げてたけど、敢えて多く語らなかったのはこれ以上迷惑を掛けたくないから? 気になってたはずなのに母上に言伝も頼まれなかったし……僕では真意を計れなくて心の靄が晴れない。
「……帰国したら母上に相談しよう」