「アルセ殿、例の件は――」
「任せてくれ」
どんよりとした雰囲気の隊員達を集め、アルセと共に氷で創った仮設の壇上に登りながら念のため声を掛けた。
色々と誤解を生んでしまいそうな上に更に隊員達の士気を削ぎかねないので、俺の二つ名については絶対に触れないように先程お願いしたのだが……あの厄介な二つ名がどこまで広まっているのかが心配だ。
ガナディア出身の俺のデミトリという名前自体ヴィーダ王国やアムール王国では珍しいものだ。情報を伏せていても、噂の幽氷の悪鬼と俺が同一人物だと気付く者が居てもおかしくない。
「皆、まずは良く生き延びてくれた!! 家族や恋人、仲間と友……大切な者を守るために幽炎に立ち向かう覚悟を決めた、勇気ある者達を天は見放していない!!」
上手いな。目の前の脅威に思考が囚われていたが、ここに居る人間は危険を承知の上で対策部隊に志願した者達だ。守るべきものを再認識した隊員達の瞳に再び闘志が宿り始める。
「例年に比べて幽氷の悪鬼の攻勢が激しいのは確かだが、我々もただ指をくわえて幽炎の襲来に怯えていた訳ではない!! 訓練を重ね積み上げて来た経験は絶対に裏切らない!! 現に屍人の猛攻を受けても、皆の活躍のお陰で誰一人欠ける事なく屍人の攻撃を退ける事に成功した!!」
アルセは指揮官の才能があるな。隊員達の自信を取り戻させる言葉選びに素直に感心する。
「我々は幽氷の悪鬼に絶対に負けない!! そして屍人と死霊を倒せる強力な仲間が居る!!」
アルセに目配せされ、一歩前に踏み出る。
「屍人と死霊に怯える必要は無い!! 立ち塞がる敵は俺が全て葬ると約束する!!」
「勝機は我々にある!!!!」
「「「「「「うおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」」
「アルセ様の言う通りだ!!」
「滅死の魔術士様が居れば百人力だ!!」
……ん?
「アルセ殿――」
「なんだか盛り上がっているが……二つ名は既にあると訂正した方が良いか?」
「……いや、せっかく回復した士気を下げるだけだ。止めておこう……」
幽氷の悪鬼と同じ位物騒な響きな上に、俺は別に魔術士ではないんだが……今は飲み込むしかない。
「除雪作業を始める前に対策部隊の指揮官と話がしたい!! 前に出てきてくれ!!」
異様な盛り上がりを見せる隊員達を掻き分けながら、見覚えのある壮年の男が壇上に向かって歩き出した。記憶が間違っていなければ風魔法の使い手で、殿を務めていた人間の一人だ。
「アルセ坊ちゃま、お久しぶりです」
「グラハム!? もう幽炎対策には参加しないと言っていなかったか?」
「今年の幽炎の規模はおかしいでしょう? 若い者に任せるにはまだ早いと判断しました……そちらの御仁は――」
「私の盟友のデミトリ殿だ」
「先程は命を救って頂きありがとうございました」
「当然の事をしたまでだ、頭を上げてくれ!」
深々と頭を下げられ、慌てて止める様に伝えるとニカっと笑いながらグラハムが頭を上げた。
「坊ちゃまが良いご友人に恵まれました様で何よりです」
「デミトリ殿が困るだろう、からかうのは止してくれ」
かなりアルセと仲が良さそうだが、グラハムは一体――。
「からかうつもりは無かったのですが……デミトリ殿、私はセヴィラ辺境伯邸の庭師を務めさせて頂いているグラハムです。以後お見知りおきを」
庭師……? 魔力枯渇症寸前になった段階で放っていた風魔法の規模からして、てっきり魔術士だと思っていた。
困惑しているのが顔に出てしまったのか、アルセが補足をし始めた。
「グラハムは私が生まれる前からセヴィラ辺境伯家に仕えている。幽炎対策に参加した回数も今回で三回目だ……経験を買われて指揮官に任命されたのだろう」
「私は断ったのですが、若い衆が私以外に適任が居ないと聞かず……」
「あの規模の魔法が扱えて経験も豊富なら、俺も彼等の意見には納得だな……よろしく頼む、グラハムさん」
白髪交じりの灰色の前髪に隠されたグラハムの瞳に喜色が宿る。
「ふふ、坊ちゃんのご友人なら呼び捨てで構いませんよデミトリ殿」
「なら俺も敬称を付けないで欲しいんだが――」
「坊ちゃんが敬称を付けて呼んでいる方を私が呼び捨てにする訳にはいきませんよ」
くつくつとグラハムが笑っているがまた揶揄われているのかもしれない。
「グラハムさんが敬語を使ってると気持ち悪いですね」
「こら、メルビン! なんでお前も付いて来ているんだ」
誰だ? 赤髪の青年がしかめっ面をしながらグラハムの背後から顔を出した。先程と比べて全く余裕が無いがこちらがグラハムの素か……。
「滅死の魔術士様!! 助けてくれてありがとうございました!」
「ぐっ……気にしないでくれ。それよりも、その呼び方は――」
「皆で考えたんです!! 気に入っていただけたでしょうか!?」
そんな事を考えてる場合じゃないだろう……正直な所妙な二つ名が増えるのは心外だが、否定して士気を下げるのも避けたい。
「……俺はそんな大層な二つ名を賜る様な人間ではないが、好きに呼んでくれて構わない……」
「認めて頂けるんですね!!」
当たり障りのない断り方が思いつかず、なんとか絞り出した言葉の意図はメルビンに全く伝わらなかった。
「メルビン!! アルセ坊ちゃまと今後について話す必要があるからお前は隊の方に戻るんだ」
「グラハムさんはけちだなぁ、分かりました!」
走り去って行くメルビンの背中を見つめながらグラハムが溜息を漏らす。
「申し訳ありません。庭師見習いのかわいい後輩ですが、少し空気が読めない子でして……」
「……確か殿を務めるグラハムの横に居たな。先輩思いの良い子じゃないか……とにかく、俺の二つ名の事は今どうでもいい、幽炎の対策について話し合おう」
「……デミトリ殿、無理をしなくてもいい。すべてが終わった後、私の方から全体に二つ名を広めないで欲しい事を通達しておく」
アルセの気遣いに感謝の意を込めて深く頷いてから、グラハムの方に視線を移す。
「先程も言ったが屍人と死霊は俺が何とかする。一度、奴らが居ない前提で実行する作戦を聞かせて欲しい」