「ヴァアアア――」
氷の棘に襲われた最後の屍人の頭が弾け飛び、ヒエロ山に静寂が訪れる。一息つきながら、肉片と血に塗れた山の斜面から自然と目を背けて山頂付近に視線を移すと再び悪寒に襲われた。
残念ながら今回はただの勘違いで済ませられそうにも無い。幽炎を纏った何かが山の傾斜を無視しながら途轍もない速度でこちらに向かってきている。
「てめぇか!!」
「!?」
怨嗟の籠った雄たけびを上げながらこちらに迫る者が走りながら腕を天高くかざすと、直径二メートルはありそうな氷塊が突如として現れた。
「潰れろ!!」
「ちっ……!」
豪速で放たれた氷塊を避けた直後、轟音が響き渡り地面に散乱していた肉片が飛び散る。俺が元々立っていた位置で地面に半分埋まった氷塊がゆっくりと幽炎に包まれて行く。
「……おい、なんで避けた」
――こいつが幽氷の悪鬼か……。
屍人とよく似た青白い肌に三メートルはありそうな巨躯、そして一度折られたのか額から中途半端に伸びた白い角。見た目は前世で語り継がれていた鬼そのものだ。
「馬鹿な質問は止してくれないか?」
「なんだと!?」
「黙って攻撃を喰らう馬鹿がどこにいる!!」
会話で幽氷の悪鬼の気を逸らしながら殺すつもりで放った氷の槍が、奴の胸に直撃して粉々に砕け散る。
「てめぇ……!? 俺の事を馬鹿にしたな!! 許さねぇ!!!!」
――かすり傷か……かなり不味いな。
俺の攻撃を一切意に介さず、雪崩を起こさないか心配になるほど激しい地団太を踏みながら幽氷の悪鬼が暴れる。その怒りに呼応するかのように、奴の体を纏っている幽炎の勢いが増していく。
目を離さないように注意しながら収納鞄に手を伸ばす。
「絶対に喰ってや――うっ!?」
喚き散らかす幽氷の悪鬼の口の中に放った氷球を、魔力の制御を手放さず無理やり奴の喉を通して胃の中へと侵入させようと試みたが途中で砕かれてしまった。
「……無駄に大きな声だとは思っていたが、まさか喉にまで筋肉が付いてるのか?」
「コケにしやがって!! ぶっ殺――うえっ、うっぷ!? な、なにをしや――おえっ!!」
氷球に忍ばせた毒を吐き出そうとえずく幽氷の悪鬼に接近し、粗雑な毛皮の腰巻に隠された股間に剣を突き立てる。
「ぐぉあああああ!? っぐ、てめ――おえぇ!?」
後で念入りにヴィセンテの剣を綺麗にしなければいけないな……俺を追い払うように振られた幽氷の悪鬼の腕を後方に飛んで避け、地面に積もった雪を一握り拾い上げて剣の刃に付着した液体を拭い落す。
「おれ、に! おえ――何を、した!?」
「常人なら数滴で身動きが取れなくなる毒を盛ったのに……まだそれだけ動けるのか」
砕かれた氷球をそのまま水に変え食道を塞いでいるので毒を吐き出される事は無いが……ここまで効き目が薄いのは想定外だ。このままではいつ毒の効果が切れるか分からない。先程の一撃はまぐれだと思って、常に一定の距離は保っておいた方が良さそうだな。
「ぐ、くそ!!」
まともに戦ったら勝ち目は薄そうだが、鬼とは言え体の構造や急所は人とそう変わらなそうなのは運が良かった。毒も多少効く……これならやり様は色々とある。
本当は幽氷の悪鬼の体内に忍ばせた魔法で気道を塞ぎ息の根を止めたいが、喉を伸縮させて氷を砕く様な奴だ。気道を水や氷で塞ごうとしても、叫んだだけで俺の魔法を体外に出されてしまうかもしれない……迂闊に試すのはやめておいた方がいいな。
「てっめ、俺が――おえ、誰だか分かってるのか!?」
「幽氷の悪鬼だろう?」
「はっ! 人間どもは、おえ――そんな珍妙な名で俺を、うっぷ……恐れているの――がぁ!? ああああああああ!?」
目を潰すつもりで氷棘を放ったがまた失敗したか……耐久力がおかし過ぎる。
「いい加減にしろぉおおお!!!! 俺は次期魔王だぞ!!!!!!」
魔王?
視界を奪われ怒りのまま意味の分からない事を叫びながら周囲に氷塊をまき散らす幽氷の悪鬼を、宙に浮かせた氷の足場の上で眺めながら次の一手を考える。
今は冷静さを失っているが、奴が頭を冷やして俺に構わずそりで待機している対策部隊を襲うと決めたら厄介だ。
――この場から遠ざける事が最優先だな。
ヴィセンテの剣を鞘に納め、ゴドフリーの剣を取り出す。
魔法を放つのを止め、両手で目を覆いながら苦しむ幽氷の悪鬼の背後に音も無く降り立った。これから自分がやる事を心の中でゴドフリーに詫びながら、身体強化を掛けた状態で全力で剣を悪鬼の肛門に突き刺す。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!?!? あぐっ、ああああ!?!?!?」
「こんな醜態をさらしておいて何が魔王だ」
「ぐっ、あ、ああああ、貴様あああああああああ!?!!」
のたうち回る幽氷の悪鬼から距離を取り、ヒエロ山の頂上を背にしながら情けなく自身の尻を掴みながら涙目でこちらを睨む悪鬼を見下ろす。
「バーカ」
なるべく馬鹿にしていると伝わる様に、間延びした言い方でそう告げるとそれまで汚物を散らしながら喚いていた幽氷の悪鬼が沈黙した。
充血した両の目がグルんと上を向き白目になり、今までとは比にならない程大きな雄叫びが空気を震わせる。
「ぶっころしてやるぅあああああああああ――げふ!!!!!!」
気付かれない様に足元に生成していた氷の突起に足を取られ、地面に積もった雪に顔を埋めた幽氷の悪鬼がぷるぷると怒りに震えている。
「雪山では足元に気を付けた方が良いぞ? 後、剣は尻ではなく手で持った方が良い」
「小僧ぉおおおおおおお!!!!」
氷の足場に魔力を込めながら、迫って来る幽氷の悪鬼と一定の距離を保ちながら山の斜面を登る。もう幽氷の悪鬼の眼中にそりで待機している人間は居ないだろう……後はどう始末するかだけが問題だ。
「があああああああ!!!!」
放たれる氷塊を避けながら幽氷の悪鬼を観察する。止めどなく股間と臀部から流れ足を滴る血の量は人間ならすでに死んでいてもおかしくないが……毒の効果も既に切れている様だし、油断はできないな。