「ぼくの足を踏んでも笑顔で何事もなかったかのように踊り続けること。いいね? 姉様」
「それが一番ジーク様のためになるんですよね……了解です」
ジークはみるみる身長がのび、今は百三十ほどある。
カレンは百五十くらいなので、身長差は二十ほど。
カレンはぺったんこの靴を履き、ジークはヒールで十ほど高さを出している。
これで身長差は残り十だ。
「あまり気負わなくていいのですよ、カレンさん」
「そうだ。ジークが元気になった姿を見せるためだけのものだからな」
ヘルフリートとアリーセはそう言うが、ジークのためにも成功させたい。
値踏みするような目でジークを見ている人がいる気がするのは、きっとカレンの気のせいではないのだ。
人々が壁際に移動し、中央のぽっかりと空いた空間にジークとカレンが進み出た。
「ぼくが足を踏んじゃったらごめんね、姉様」
「骨が砕けても踊り続けます」
「恐いよ!」
カレンたちは笑い合うと、踊り出した。
演奏家たちは、普通よりゆっくり演奏してくれているらしい。
もっとゆっくりだって構わない。
「ぷぷ、カレン姉様ってば必死な顔してる。笑顔が大事だよ、姉様」
「そのような余裕はございません」
ダンスを終えたあと、カレンは真っ白になった。
一応、ジークの足は踏まなかったが、途中完全に千鳥足になった覚えがある。
必死なカレンの形相がジークの余裕と軽やかなステップを際立たせるだろう。
カレンは自己暗示をかけることにした。
「これは対比によってジーク様をよく見せるための……作戦!」
「そういう側面もあるよね。付き合ってくれてありがとう、カレン姉様」
ジークはカレンに抱きつくと、背伸びして頰にキスした。
可愛らしさに慰められ、カレンは涙ぐんだ。
あらあらと言わんばかりの温かい拍手が贈られる。
ジークの可愛らしさのおかげでカレンのヒョコヒョコダンスは許されたらしい。
「あ、カレン姉様、ユリウス叔父様が近づいてくるよ。どうしたんだろうね?」
ジークはそう言うとカレンをホールの中央に置き去りにして離れていく。
ユリウスとカレンのこの八百長について、ジークも知っているらしい。
「カレン」
「……ユリウス様」
何かがはじまる雰囲気を感じたらしく、誰もがカレンたちを見守っている。
その視線が少し心地良いくらいだった。
だってこれから、カレンはユリウスに求婚されるのだ。
たとえ演技とはいえ女としては得意にもなる。
それにこれだけの視線があれば、さすがに脳は溶けずに済むだろう。
「この場を借りて、カレンに伝えたいことがあるんだ。どうか皆様にも、私がこれから口にする言葉の証人となってもらいたい」
周囲を見渡したあと、ユリウスがカレンの前にひざまずく。
そこかしこから女性たちの悲鳴じみた声があがると、カレンは得意満面になった。
そんなカレンの表情を見て、ユリウスは笑いをこらえる顔をした。
「カレン、私は君を愛してしまった。どうか私と結婚してほしい」
「その話はお断りしたはずです」
得意すぎて胸を膨らませつつ、なんとか冷静さを保って応えた。
ここまで打ち合わせ通りだ。
すでに話があったこと。だが、カレンが自分の意志でそれを断ったこと。
周知するための前置きだ。
あちこちで悲鳴があがる。黄色い悲鳴は少数で、ほとんどは青ざめた令嬢たちの口から漏れる呻き声のようなもの。
王都で一番結婚したい男が自分にひざまずいて求婚をするシチュエーションが心地よくて、今は誰を敵に回したとしても気にもならなかった。
ただ、気持ちよくても演技はしなければならない。
カレンは咳払いをして言った。
「ジーク様のためにポーションを作っていく過程で、わたしは錬金術師としてもっと人々のためになる仕事をしていきたいと思うようになったんです。結婚はせず、仕事に生きたいのです」
「私と結婚しようと、錬金術師をやめろと言うつもりはない。どうか私の側にいてはくれないかい?」
「何度言われても、わたしは――」
ここから幾度かユリウスの懇願を受けて、やがてカレンが折れて、結婚の話を保留の方向に持っていく。
頭の中で段取りを確認していると、ユリウスがカレンの手を取った。
心音が乱れてカレンは身を引きかけた。
こんなの、段取りには入っていなかった。
「はじめ君と出会ったときは、君の能力さえほとんど信じてはいなかった。私目当てに嘘を吐いて近づいてきたのではないかと疑いさえした。申し訳ないことにね」
「そ、それは仕方のないことでしょう」
突然のアドリブに、カレンは戸惑いつつも応じた。
「だが君のポーションによってジークはみるみるうちに快復した。錬金術師としての君の優秀さを知って、私は家のために君と結婚したいと思うようになった」
ユリウスは事実を語った。
カレンの能力に価値を見出して、結婚を望んでいるという。
それはある意味、錬金術師としては誇らしかった。
「だが君は達成報酬として、私などには目もくれずに鑑定鏡を欲しがった。これがあれば更に研究に打ち込めると言って、ヘルフリート兄上から受け取った鑑定鏡を手にしてはしゃぐ君の横顔が――息を呑むほど美しく見えた」
「そ、そんなことはないと思いますけど」
どうしていちいち本当にあったことを引き合いに出すのだろう。
カレンはつい否定しながら居心地悪く体をゆすった。
そんなカレンを黄金の瞳で射すくめて、ユリウスは微笑んだ。
「美しかったよ、カレン。輝かしい未来を見つめる君の瞳は、まるで晴れ渡る青空のように澄んでいて、眩しくて、息を呑んだよ。失礼ながら、君という人はこんなにも美しい人だったろうかと何度も我が目を疑った。だが、君は今も私の目に目映く映っている」
ユリウスは本当に眩しげに金の瞳を眇めるのだから、芸が細かい。
そう、これは芸なのだ。
カレンは顔を真っ赤にしてわなわなと震えた。
自分に言い聞かせ続けないと、心臓の鼓動がうるさすぎて気が変になりそうだった。
「待ち受けるのが茨の道だとしても、君は前に進んでいくのだろう。私はそんな君の行く手を阻む茨を断ち切る剣となりたい」
あちこちから溜息が漏れた。
女性の溜息ばかりではなく、男性の感心したような、驚いたような溜息までもまじっている。
この反応からして、どうやらユリウスが本気でカレンに求婚している、と伝わったのではないだろうか。
伝わったなら、そろそろ段取り上、終わりに向かってもいいはずだ。
終わりに向かわせなければならない、と、カレンはドコドコ鳴り続ける心臓を抱えて決意した。
だが、ユリウスの攻勢が止まらない。
「私は錬金術師として生きる君を支える伴侶となりたいんだ、カレン」
ユリウスがドレスグローブ越しにカレンの指先に唇を寄せて、悲鳴と共に言葉を飲みこんでしまった。
ユリウスはカレンを上目に見据えて言った。
「君に恋をしてしまった哀れな男に、どうか小さな機会を恵んではくれないだろうか」
鋭い目つきに射すくめられ、カレンは全身から火を噴きそうになりながら言った。
「……お、お友達、でしたら」
「友人から先へつながる関係となれるよう、努力させてもらおう」
甘やかに言われて悲鳴を噛み殺すカレンの前で、ユリウスは立ち上がった。
「皆様、貴重な時間をいただき恐縮です。本当なら、彼女への求婚を成功させるところを見ていただきたかったですがね。一番見せたかったものは見せられたかと思います――彼女が私にとって大事な人である、ということです」
やっと段取りに戻ってきて、カレンはどっと疲れを感じた。
あたかも本気で惚れているかのようなユリウスの演技が壮絶だった。
楽しもうと思っていたのに、破壊力が強すぎる。
演技だとわかっているのにうっかり真に受けかけて、冷や汗がこぼれた。
そんなカレンの額にそっとハンカチを押し当てられる。
「カレンさん、汗がすごいわ」
「アリーセ様……」
アリーセ、ジーク、ヘルフリートがカレンとユリウスに近づいてくる。
ユリウスは、エーレルトの全員が舞踏室の中央に集まると言った。
「錬金術師カレンはエーレルト伯爵家の次期当主が姉と慕う命の恩人であり、伯爵夫人の友人であり、伯爵のよき相談者で、私の想い人です」
アリーセに腕を組まれ、ジークが手を繋いでくる。
大変心強く心臓に優しい布陣だ。
「彼女は私たちにとって家族のような存在です。この場にいらっしゃる皆様には、どうかご留意いただきたい」
「それでは皆様、ぼくの快気祝いを心ゆくまでお楽しみください」
ジークの言葉を合図に、再び音楽がはじまった。