「そう! そうなんですっ! ユリウス様がされて嫌なことは、わたしも嫌! わたしがされて嫌なことは、ユリウス様も嫌ですもんねっ!」
カレンが物陰から飛び出してうなずくと、オティーリエを囲う令嬢たちはぎょっとした顔をした。
当のオティーリエもカレンを見てかすかに目を瞠った。
悪いことをしているという自覚がないのか、実際に貴族社会においては悪いこと――浮気や不倫にあたらないのか、落ち着いたものである。
ユリウスはカレンを見やって微笑んだ。
「たとえその実態がどのようなものであったとしても、私は、カレンの夫の名を冠する存在が私以外に存在することなど耐えられない――カレンもそう思ってくれるのかい?」
「当然ですっ!」
「よかった。君が末席の夫を持ちたがったら私は平静ではいられないだろうからね」
ユリウスは歩み寄ってきたカレンの頬に触れて、切なげな表情になる。
長いユリウスの指がカレンの耳に伸びて、耳朶のピアスに触れてかと思うと、カレンを仰向かせてその顔に顔を近づけて言う。
「君の道行きを邪魔したくはないから、君が望んでしまえば拒めないのだけれどね」
「えっ?」
「だからこそ、懇願させてくれ」
ユリウスはどこか痛々しい微笑みを浮かべた。
カレンの好きな甘い笑みでありながら、どこかユリウスが無理をしているのを感じる。
「カレン。どうか、どうか――私以外の夫を持たないでほしい。望まないでほしい。しかしこの懇願もまた、君を邪魔してしまうことになるのだろうか?」
ユリウスが金の瞳を揺らしながら口にした言葉に、カレンは目を剥いた。
「いや、そもそも望みませんし! 持ちたいとか言い出したら、全然拒んで邪魔していいですよ!? というかこれ、邪魔にはあたりませんので!!」
「邪魔にはあたらない?」
不安に揺れるユリウスの瞳を覗き込み、カレンは頬を覆うユリウスの手に手を重ねた。
「わたしたちは、結婚するんです。お互いだけを愛し、生涯を共にすると女神様に誓い、約束するってことです。この約束をわたしが破ろうとしたなら、わたしが悪いんですから、ちゃんと止めてください。わたしは破りませんけどね!」
カレンはユリウスの大きすぎる手のうち人差し指をぎゅっと掴んだ。
「きっと貴族の結婚とは価値観が違うと思いますが、ユリウス様は嫌ですか?」
「いいや……私も、それがいい」
「よかった。わたしたち、気が合いますね」
何ならこの世界の平民とすら、カレンの結婚観は微妙にずれている。
だとしても、カレンとユリウスの結婚なのだから、その結婚をどういうものにするかは、カレンとユリウスが決めればいい。
見つめ合ううちに、ユリウスの金の瞳を揺らす不安が薄らいでいく。
ユリウスの笑顔の強ばりがほどけていき、温く、甘やかなものへ変わっていく。
カレンが自然とまぶたを閉じて、ユリウスの吐息が近づいてくるのを感じていると――ケフンケフンという、わざとらしい咳払いが口づけの空気をぶち壊した。
「私たちの存在を忘れて、二人の世界に入らないでくれる!?」
咳払いをしたのはロジーネ、真っ先に抗議の声をあげたのがペトラである。
「お二人の熱愛ぶりはよくわかりましたから、戻ってきてください」
ロジーネは呆れ顔だった。
表情管理が上手いだけではなく、本当に嫉妬心なんかの感情はないらしい。
そうとわかるのは、オティーリエ側にいる令嬢たちが笑顔で表情を抑え込もうとしても抑えきれないぐらい、反感の籠もった眼差しを向けてくるからだ。
「エーレルト領のための籠絡でしかないとうかがっていたのに……あれではまるで本当に気持ちがあるような」
「きっと演技ですわよ!」
「そうは見えませんでしたけれど……」
これまでカレンとユリウスの関係がエーレルト領で生温かく見守られていたのは、カレンという有力な錬金術師をエーレルト伯爵家、引いてはエーレルト領に取り込むためという解釈だったのだろう。
つまり、彼女たちはユリウスがカレンを弄んでいるだけだと思っていたからカレンを見逃していたわけだ。
……そこに末席の妻となろうと入り込んでくるオティーリエは、やはりカレンを侮っているのではないか?
再びカレンの思考が闇の迷宮に入りかけた時、オティーリエがパシッと手のひらに叩きつけるように音を立てて扇子を閉じた。
その瞬間、ざわめいていた令嬢たちは一斉に鎮まった。
オティーリエの統率力の高さを目の当たりにし、カレンは気を引き締めた。
「お二人はとても仲がよくていらっしゃるのですね」
「相思相愛ですっ!」
カレンが胸を張って宣言すると、ユリウスが蕩けるように微笑んでみせる。
オティーリエは二人を見比べ、うなずいた。
「貴族でも、恋愛結婚なさった方は時折、お互い以外の妻や夫を欲しがらないことがありますものね。そういえば、エーレルト伯爵家がそうでしたわね……伯爵様はジーク様のために他の妻を娶らないのかと思いましたが」
カレンが知らないだけで、ヘルフリートに第二夫人や末席の妻がいるというわけではないらしい。
もしもヘルフリートに他に妻がいれば、カレンのヘルフリートを見る目が変わるところである。
カレンはこっそり胸を撫で下ろした。
「どうやら、わたくしは手法を間違えたようです」
そう言うと、オティーリエは滑るようにカレンの前にやってきた。
カレンの隣にいるユリウスの方ではなく、間違いなくカレンの目の前でオティーリエは深々と膝を折る。
それはいつかアリーセから習った、貴族女性の最上級の礼だった。
「カレン様、どうかわたくしをカレン様の年季労働者にしてくださいませ。その報酬として、わたくしの家族と領地を保護していただきたいのです」
オティーリエはユリウスには目もくれずに言う。
再びざわめきはじめる令嬢たちを後目に、オティーリエはにっこりと笑って見せる。
カレンが間近で見下ろしたオティーリエの頬には強ばりがあり、笑みを象る唇はかすかに震えていて、赤い瞳には緊張感が浮かんでいる。
オティーリエには彼女なりの理由があってユリウスの末席の妻となろうとし、それが叶わなくなったために次善の策としてカレンの年季労働者になろうとしている。
彼女の目的はユリウスではないのだと、カレンもようやく腑に落ちた。
あと四日!
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