戻ってきたカレンは錬金術をはじめた。
オリハルコンの錬金釜と世界樹の柄杓、それにここはダンジョン影響圏の端の端。
何なら影響圏からほとんど外れていると言っていい場所。
だからあちこちいたるところに薬草が生えている。
薬草を摘みながら戻ってきて、戻るやいなやすぐに回復ポーションを作り始めたカレンの側に、騎士の一人が近づいてくる。
よく騎士たちを代表してゴットフリートから指示を受けている濃紺の髪の男性だ。
騎士たちの中でもリーダー的存在なのだろう。
若そうにも見えるが、無精髭のせいで年齢不詳である。
ヘルフリートの側に仕えている騎士たちは野営生活の中でもピシッとした格好を保っていた。
だが、ゴットフリートが連れている騎士たちの身だしなみには乱れが目立っていた。
「カレン殿、先程伯爵閣下に呼び出されたと聞いたが、何かあったのだろうか?」
「大したことではなかったですよ」
ヘルフリートは狩猟祭を続けることによって平民を蔑ろにする構図になることを懸念して、平民のカレンを慮って説明を設けてくれた。
恐らく、貴族である騎士たちにとっては平民への配慮などどうでもいいことだろう。
商人たちの反抗についても、さっさと殺してしまえばいいのにぐらいにしか思わないはずだ。
カレンがさらっと説明すると、男性はうなだれた。
「そう、か……我々については何もおっしゃってはいなかったのだな」
「ああ~、えっと、別れ際に皆様のことはわたしも見ておきますとお伝えしたところ、ヘルフリート様はうなずいていたと思います、よ?」
多分、とカレンは心のうちで付け加えておく。
照れ隠しに捨て台詞のように言った言葉に、ヘルフリートはうなずいていたような、いなかったような。
騎士は影のある暗い微笑みを浮かべた。
「伯爵閣下にとっては我々など最初から、邪魔な存在だからな……」
カレンはそんなことは一言も言っていないのに、騎士は独り合点してカレンに背を向け、仲間たちが固まる場所に戻っていく。
騎士の哀愁漂う後ろ姿を見送るカレンに、リヒトが近づいてきて言った。
「カレンがエーレルト伯爵に呼び出されたのを見て、自分たちのことが話題になったんじゃないかと期待してたらしい」
「そんなこと期待されても……騎士の処遇の話をするなら騎士団長様を呼びますよね?」
「あいつらもわかってはいるが、不安なんだろう。元々エーレルト伯爵とは敵対はしていないまでも、扱いにくく思われていた連中だ。エーレルトへの忠誠と、自分の力をエーレルトのために使いたいという志は本物だから、こうして守られてはいるんだが」
別の場所に隔離しておくことで、何かが起きた時の犯人にされないように守られてはいる。
だが、カレンから見れば彼らは放置され、腐っていっているようにしか見えなかった。
彼ら騎士たち本人からしても、同じようにしか思えないでいるのだろう。
カレンがポーション作りを再開するのを見下ろして、リヒトは溜息を吐いた。
「あの様子じゃ、狩猟祭が終わったあとには騎士を辞めるかもしれないな」
「そうですか」
カレンは錬金釜の中身をぐるぐるかき混ぜながら言う。
リヒトはじろりとカレンを見て言った。
「興味なさそうだな? カレン」
「わたしからしてみれば、辞めたければ辞めればいいのでは? 以外の感想がなくて……」
「薄情だな。騎士団長殿に彼らについて頼まれているんじゃないのか? 君は」
「だから、濡れ衣を着せられることがないようには見守りますよ」
騎士を辞めれば濡れ衣を着せられることもなくなるのだろうか。
それとも、騎士を辞めても彼らは何者かの手によって離間工作の餌食にされるのだろうか。
そうだとして――彼らを騎士として留めおくことがエーレルトにとっていいのか、悪いのか。
カレンには何もわからないのに、彼らのために一体何ができるのか。
ユリウスを通じた家族としてゴットフリートから頼られているのだとすれば何かしてあげたい気もする。
だが、彼らのために冤罪を防ぐ以上の何かをしてあげたいとは、特に思わない。
「そういえば、君はどうしてエーレルト伯爵に呼ばれたんだ?」
「先日の襲撃で平民の商人が亡くなったことと、それでも狩猟祭を続行する旨の説明を受けてきました。私も平民ですから」
「なるほど。君への配慮か。伯爵は君を気づかっているからな」
カレンの万能薬のためにヘルフリートからサクラを引き受けたリヒトには説明をしておく。
それに、リヒトなら、次の話題には興味津々だろう。
「それと今、ユリウス様は近くのダンジョンの攻略をしているらしいですよ」
親切でカレンが教えてあげたユリウスの行方に、リヒトは顔色を変えた。
「ユリウスがダンジョンに? まさか、仮称森の端ダンジョンかい?」
「仮称? ええと、近くのダンジョンだってことしかヘルフリート様には聞いていませんね」
戻ってきたカレンは言葉に、リヒトは額に手を当てて天を仰いだ。
「近くって言ったらあそこしかないよな」
「……そのダンジョンに何かあるんですか?」
ヘルフリートは何でも無いことのようにカレンに知らせた。
ユリウスの強さを信じるヘルフリートにとってはどうということもない知らせなのだと、その態度からは十分に伝わってきた。
その時でさえ不安に揺れたカレンの心臓が、リヒトの意味ありげな様子にドクドクと音を立て始める。
リヒトは苦い面持ちでカレンを見やった。
「例のダンジョンだよ……ユリウスの親父がユリウスを放り込んだ、あのダンジョンだ」
「なっ……! ヘルフリート様は、どうして……!」
「エーレルト伯爵はユリウスの細かい事情をご存じないからな」
カレンは息を呑んだ。
「そっか……そのことも、ヘルフリート様は知らないんですね……」
盗聴を防ぐ魔道具を発動していないので、カレンは言葉を濁して言う。
ヘルフリートはユリウスの出生の秘密を知らないのだと、ユリウスは言った。
母親が違うことは知っているのか、それとも同母兄弟と思っているのか、細かいことはカレンもまだ聞けていない。
ユリウスが父親の手によってダンジョンに放り込まれ、命をかけた試練に晒されたことを、ヘルフリートは知らないのだ。
「君が言うにはダンジョンでの出来事はユリウスにとっては秘密でもないことらしいが、ユリウスが言わないなら、俺もあえて口外しようとは思わないからな」
「……そうですね。ユリウス様にとってはわたしに隠すようなことじゃなかったはずです。でも、わたしが知っているような他のことでも、ご家族に知られたくないことがあるみたいでしたし、わたしも言おうとは思えません」
かつてカレンのカレーに毒を盛り、ジークたちの命を狙った暗殺者がいた。
その暗殺者と戦って魔力酔いしたユリウスがその姿をヘルフリートたちに隠したがった時から、ユリウスが家族を愛してはいてもどこか壁を作っていることは感じていた。
その壁がどこまで続いているのか、カレンはまだ理解できていない。
ヘルフリートたちがユリウスの事情を知らないなら、カレンが動くしかないだろう。
ポーションに多めの魔力をこめて、完成させる。
できあがったポーションを見下ろし、鑑定をして、中回復ポーションになっていることを確認すると、カレンは立ち上がった。
「ユリウスにとって精神的にきつい場所だとは思うが……まあ、ユリウスが潜る判断をしたなら大丈夫なんだろうな」
そう言って近くの木の根に腰を降ろしたリヒトに、カレンは目を丸くした。