酷い悪寒で全身に鳥肌が立っている。身体の内側からは、内臓をひっくり返されたかのような嫌悪感が湧き起こっていた。
真理の門に触れていた手のひらに、湿ったなにかが絡みついて僕を引き込む。名状し難いが、酷く不快な感覚だ。たとえるならば、化け物の臓腑の中に取り込まれたかのような、気味の悪い生温かさをくぐり抜けるのをどうにか耐え抜いた僕の身体は、やがて真理の門の内側に迎え入れられた。
「ホム……」
僕からやや遅れて、ホムの気配が近づいている。無数の触手が絡み合うように蠢く扉が、ホムのかたちに変化しているのがわかった。間もなくこの空間にホムも通されるのだろう。
この真理の世界に来るのは、今回で四度目だ。一度目は、初めてこの世界に入る資格を与えられた時で、青銅の蛇の錬成法をここで得た。二度目は、僕の魂の器となり得る完全素体ホムンクルスの錬成法を知るため、三度目は真なる叡智の書を保管するためにこの場所を訪れている。
「……何度来ても慣れないな……」
あまりの気持ち悪さに嘔吐しかけるが、空っぽの胃からは酸っぱいものが込み上げるだけで何も出ない。それが苦しくて目に涙が浮かぶ。
「……大丈夫か、ホム」
気がつくと、ホムはいつの間にか傍らに控えていた。呼吸すらままならない僕が多少落ち着くのを待っていたのか、一言も発せずにただ僕を見守っていたようだ。
「問題ありません、マスター」
ホムは思っていたよりも平気そうだ。感情制御で恐れや嫌悪を低く設定しているのが上手く作用しているようだな。僕も一時的にその効果にあやかりたいと思ってしまうほど、この場にいるのが不快で、この苦痛に長くは耐えられそうにない。
酷い嘔吐感に身体中の熱という熱が引いていくようだ。身体が酷く冷たく、足元がふらふらする。この空間の空気を吸っているだけで、寿命が縮まるかのようだ。
「大丈夫ですか、マスター?」
「……正直この空間の空気を吸うのも嫌だが、母上のためだ。先を急ぐぞ、ホム」
「仰せの通りに」
嫌悪と焦りのせいで早口になったが、ホムはそれを理解し歩き始める。真理の門の向こう側にある円形の広場の先には、水晶のように透きとおった赤紫色の鉱石で出来た回廊がある。回廊の外側は星々の煌めきのようなものが散らばっている深い闇で、見つめているだけでその闇に吸い込まれてしまいそうな底の知れない怖さがあった。
グラスが真なる叡智の書を保管したのは、この回廊を抜けた先にある小部屋だ。回廊と同じ素材で出来た小部屋の壁には、無数の台座が掘られており、そのなかのひとつにグラスは真なる叡智の書を置いてきた。
だが、目的の小部屋に入っても台座はどれも空っぽで、真なる叡智の書はどこにも見当たらなかった。
「マスター……?」
小部屋の中央で佇む僕の背に、ホムが呼びかけてくる。
「どうやら、回収されたらしい。『管理者』に会う必要があるな」
この管理者というのは厄介で、出来れば会いたくなかったがやむを得ない。
「では、最深部の祭壇に向かえば宜しいのですね?」
呻くように呟いた僕に、ホムは僕の前世の記憶を見事に引用してみせた。さすがは、僕とともに資格ありと認められただけはあるな。魂は違えど、肉体の複製者にも資格が引き継がれているとは。
「そのとおりだ。進めそうか?」
「もちろんです、マスター」
僕に比べると、ホムはかなり状態がよさそうだな。僕はといえば、鏡で見なくても顔面が蒼白になっているのがわかる。子供の身体だからか、グラスの頃よりも嫌悪感が酷くて目眩で真っ直ぐに歩けない。
小部屋を出ようとしたところで蹌踉けて壁に手をついたが、その感触の気持ち悪さに身体を折って嘔吐く羽目になった。
「わたくしがマスターをお運び致します」
即座にホムがその場に屈み、背に乗るようにと促す。
「すまないな、ホム……」
出来れば自分の足で歩きたかったが、この身体では負担が大きすぎるようだ。ホムに背負われて、僕は真理の世界の最深部を目指すことになった。