東の国境で戦端が開かれる少し前、グリフォニア帝国の帝都グリフィンを訪れる、怪しい影があった。
「殿下、この度は直々のお目通りが叶い、恐悦至極にございます」
薄気味悪い老人は、平伏して挨拶する。
「なあに、前回の戦では其方等の甘言に乗り、我らは散々煮え湯を飲まされたでな。
余自らの手で、そのしわがれ首を取り、死んでいった者たちの墓前に供える、そのための余興よ」
「ふぇふぇふぇっ、その様なご短慮では、折角の皇位継承の機会、みすみす失うことになりましょうぞ」
「言いたいことはそれだけか?
では、我が手にかかる栄誉、地獄まで持って行くが良かろう」
そう言って第一皇子は抜剣した。
「殿下、お待ちを!
討ち捨てる前に、こ奴の申し出を聞いてからでもよろしいでしょう」
部屋に居た、もう一人の男が慌てて立ち上がり、剣を振りかぶろうとしていた彼を制した。
「ハーリー、お前!
まぁ良かろう。貴様の寿命が少し伸びただけのこと。
俺の剣を止める程の進言があるなら、申してみよ!」
この老人、これまでのやり取りに全く動じていない。
それが第一皇子にとっては、不気味にすら思えた。
「まずはハーリー殿、ありがとうございます。
して殿下、今現在、殿下のお立場は非常に危ういもの、我らはそう考えております。
北はカイル王国との休戦協定により、貴方様は矛先を抑えられた形となっておりまする。
片や南、停滞していたスーラ公国との戦は、日増しに第三皇子の優勢で動いているのではないでしょうか?
このまま、座して時を過ごせば、近いうちに第三皇子の皇位継承は、確実となりましょうな」
「そんな事、言われずとも分かっておるわ! 余も対策を講じ、策を巡らしておるところよ」
「それはそれは……
南の戦場で、味方の背中から矢を射る対策ですかな?
その様な行いでは卑怯者の誹りを受け、例え第三皇子を屠ったとして、すんなり皇位継承が進みますかな?
ハーリー殿はその事をご存じだからこそ、殿下の刃を止められた、私めはそう思いまするが」
「くっ……」
第一皇子は痛いころを突かれ、言葉に詰まる。
「おそらくこの情報は、殿下の刃と同じ価値があるかと存じます。
間もなく、カイル王国南部一帯では、大規模な内乱が発生いたします。
参加する貴族の名は、こちらに記しております。
伯爵家を始め、数家の子爵家、男爵家と兵力は5千を超えます。
休戦に安堵しておる国境一帯の貴族共は、これらの決起に際し、さぞ慌てふためくことでしょうな。
そして、肝心の王都騎士団は、その時兵力の殆どを東側の国境戦に振り向けております」
「なっ、誠か!」
「はい、こちらは、決起する貴族たちが、殿下に忠誠を誓う誓書にございます。
イストリア皇王国は現在、西側の国境を侵攻するため3万の軍勢を整え、間もなく軍を向けるでしょう。
どうやら、帝国の皆さま方の休戦協定を知り、業を煮やしたようですな。
彼らは負けない事に徹した戦術を構築しております。
恐らく、いや確実に、国境での戦いはイストリア皇王国優位に進むでしょう。
そうなれば、殿下がこれまで苦労されてきたことに対し、漁夫の利を得るのは、誰となりますかな?」
「ハーリー公爵、これは由々しき事ではないかっ! 其方は奴らの動き、知っておったな?」
公爵は黙って頷いた。
「殿下は火中の栗を拾わずとも良いのです。
先ずはカイル王国との国境で成り行きを傍観される。
そして我らの段取りをご覧になり、勝機と見れば、国境から軍を進められれば良いことです。
反乱軍、いや、殿下に忠誠を尽くす者どもが、休戦協定を破り、国境を越えて偽りの侵攻を行いましょう。
殿下は事前にその情報を察知し、国境に兵を配した。
そして止む無く、休戦協定を破り、侵攻して来たカイル王国軍を撃退するため、国境を越えて軍を進める。
これで大義名分は立ちましょう。
彼らの忠誠にお応えする、そう記した親書を下されば、彼らも殿下の思いのままとなります。
その先にある戦いにも、きっとお役に立つでしょう」
「ふーむ……」
第一皇子は悩んだ。国境線を越えず、軍を展開するだけなら、問題はないであろう。
奴が国境を任せているのは、変わり者の若造で、しかも主力は歩兵中心で、たった5千名程度だ。
「なおこの反乱で、我ら共通の敵である国境防備の軍勢は、恐らく三千にも満たない数でしょうな。
ハストブルク辺境伯や旗下の貴族どもは、それぞれ後背から奇襲を受け、領地から身動きできんでしょう。
休戦協定を破った敵の軍勢を退け、帝国の安寧をもたらした者。国境に対する筈の敵貴族を配下に加え、カイル王国内に一大橋頭保を築かれた者。
これらの功績では、殿下が皇位継承者たる資格を示すのに足りませんかな?」
「……」
第一皇子グロリアスは瞑目する。
確かに、悪い話ではない。
賭けに出て自ら動かずとも、事態が決定的となるまで国境でただ傍観してれば良い話だ。
「良かろう、当面の間、其方の命は預け、国境の防備に当たるとしよう。
だが、腑に落ちん点がひとつだけある。
何故其方は、いやその貴族どもは自国に弓を引く? 余は信義のない者を信じることはできんでな」
「我らは……、遠き昔、初代カイル王に国を奪われた魔の民、氏族の末裔でございます。
かの国は、我ら魔の民の血を受け継ぐ者を蔑み、カイル王の血を引く者だけで国政を壟断しております。
国内に広がる同胞、魔の民の血を受け継ぐ魔法士は、王国では見世物扱いの道化者でございます。
最初にハーリー殿にお会いした際、我ら魔法士の権利を尊重いただく、そうお言葉を頂戴しました。
我らにとって、それが十分すぎる理由でございます」
「貴様ら魔法士も、余に忠誠を誓うと。そういうことだな?
そして余が、魔法士たちを解放する。その期待を受けておると」
「左様でございます。何卒、我らに救いを……」
「ハーリー、余は麾下の兵を率いて国境へ向かう。
其方は後詰の軍を手配せよ。
本格的に侵攻となれば、橋頭堡を維持するにも、一気に侵攻するにしろ、あと二万は欲しい。
休戦協定を破ったとなれば、帝都の軍勢を出す大義名分も立とう」
「承知しました。
先ずは軍を整え、殿下からの吉報をお待ちしております」
こうして、彼らは新たな密約を結び、準備を始めた。
ただお互いの目的だけのために。
『ふん、そんな古ぼけた復讐など、俺は信じん。
必要な時だけ利用し、必要が無くなれば信義のない者たちなど、使い捨てとしてやるわ。
前回の轍は踏まんよ』
第一皇子は心に思った言葉を飲み込み、彼らを信用はしない、ただ利用するだけだ。そう結論を出した。
※
そして時は再び元の流れに戻る。
東部国境でタクヒールたちが戦っているころ、不穏な情報に頭を悩ます男が、グリフォニア帝国の北辺境にいた。
「うーん……、やっぱりこれ、どちらも何かあるな。情報から見た、物資の動きが普通じゃないし」
彼は、カイル王国との休戦を利用し、国境を越えて商いをする商人の活動を活発化させるため、商人たちを様々な施策で優遇し、保護にも努めていた。
そして、彼自身もその流通網に乗り、交易によって収益を確保し、第三皇子の陣営に貢献する段取りを組んでいた。
捕虜返還時に、その対価の一部を莫大な量の砂糖に変えたのには、彼なりに隠れた思惑があった。
大量の砂糖をただ同然で手に入れたカイル王国では、当然の事ながら一時的に砂糖の価格が暴落した。
その影響で、王国内では砂糖を使用した菓子類が、以前と比較するとかなり安価で、一気に世に出ることになった。
一度その味を知ってしまえば、次もまた欲しくなる。
それは人としての業であり、甘味の誘惑に抗えず、通常価格に戻った後も、味を知り、魅了された者たちは高価な買い物を続ける事になる。
事態は彼の思惑通り進んだ。
彼は流行の切っ掛けと商流を作り、その後、砂糖の流通を支配した。
南の国境にいる第三皇子が、支配領域を広げる過程で接収された砂糖、安価で現地購入された砂糖などが、彼の元には大量に送られてきている。
そして彼は、北の国境でそれらの大量の砂糖を、巧妙に商人に卸していた。
彼の提案により帝国内における砂糖の仕入れを、第三皇子の直営事業としたため、そもそも競合はいない。
商人たちは、こぞって彼から砂糖を仕入れ、カイル王国など、国境を超えた各地域で販売した。
帝国の北側国境で仕入れ、カイル王国や、その他諸外国に輸送するだけで砂糖は高値で売れる。
わざわざ交戦状態にある産地に、危険を冒して買い付けに行く必要もなく、遠路輸送する必要もない。
商人たちは、リスクの少ない儲け話に飛びついた。
ジークハルトは、商人達に卸す砂糖を、正当な価格で販売しても、十分な利益を乗せる事ができた。
その結果彼は、第三皇子に送る戦費と、商人たちの歓心、この2つを手に入れていた。
商人達は彼の歓心を得るため、情報という副産物を彼にもたらした。
こうして彼は、事前に考えていた思惑通り、流通の情報を諜報活動の一環として活用し、遠き地で起こる動きも、流通から把握することができていた。
「帝都も嫌な動きだし、超過労働はしたくないなぁ。
まして、皇位継承候補の皇子に手を掛けた、そんな事を言われて恨みを買い、粛清されるのはもっと御免被りたいし……」
そう言って、彼は国境一帯の両国の地図をじっくり見ると、再び呟いた。
「あまりやりたく無いけど……、この戦術なら誰も傷付ける事なく、第一皇子の足を引っ張れるかな?
ねぇ、ちょっと!
悪いけど主要な商人たちと、領民の代表たちを至急集めて」
そう副官に伝えると、また地図に向かいブツブツと独り言を始めた。
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次回は【窮鳥入懐】を投稿予定です。(3月以降当面の間、隔日投稿となります)
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