年が明け、グリフォニア帝国帝都グリフィンでは、恒例の皇位継承者選定会議が行われていた。
選定会議と目されているが、決定的な選定理由がない限り、各候補がこれまでの戦果を報告し、対立陣営にそれを示すこと、中立派の質問や意見に答える以外は、毎年、候補者陣営同士のけなしあい、相手の足を引っ張り貶める場になっていた。
皇位継承候補のひとり、いや、現時点で最有力と目されている第三皇子グラートは、毎年行われるこの会議が憂鬱であった。
「まったく、暇な奴らだ。
ここに居る奴らの殆どは、戦場で汗を流すこともなく、自身の政治ごっこに興じていやがる。
決定的な理由があって初めて会議を開けばよかろう。
前線を離れ、毎回奴らの暇つぶしに付き合わされるのは、たまったものではないわ。
なぁ、其方もそう思うであろう?」
第三皇子は小声で隣に座る者に言葉を吐いた。
今年の会議では、嫌がる本人の意向を無視して、彼は腹心のジークハルトを伴っていた。
「その不毛な会議に、僕を無理やり連れてこられたのは、どなたでしたっけ?
やっと色々軌道に乗って、ゆっくり寝ていられると思ったのに……」
皇族に対して、臆することなく惰眠を妨げられたと訴えられる男は、彼ぐらいだろう。
第三皇子は、周囲からは変わり者と呼ばれる彼を重用し、すこぶる気に入っていた。
「いや、お前がいてくれれば狸対策も安心だしな。
前線でゆっくりしていたければ、お前以上の狐を見つけてきてくれ。そしたら惰眠も許してやるよ」
「僕が狐ですか? ひどいなぁ」
「大胆不敵、遠謀深慮、神出鬼没、どの言葉もお前の正体を知る者からすれば相応しい表現だろう?
狐自体は、巧妙にその正体を欺き、惰弱に化けている故、大多数の者が誤った認識を持っているがな」
事実、ジークハルトのお陰で、宮廷工作、カイル王国への対応は予想以上に進展し、隣国の内乱に乗じ逆転を図った、第一皇子陣営の思惑を見事に潰せている。
彼らの資金を奪い、委任統治する領地(旧ゴート辺境伯領)を豊かにするというオマケも付けて。
砂糖販売による資金調達も順調で、ここ数年は戦費に事欠くこともない。
「今日の会議、俺は何も言わんので、頼む」
「承知しました」
ふたりはこの短いやり取りで、お互いに全てを了解しあった。
※
各陣営の報告は順調に終わり、会議はそれぞれの質問と議論に移った。
彼らにとって、本当の闘いはこれから始まる。
「グラート殿下(第三皇子)にお聞きしたい。
先ほどスーラ公国との戦況は順調に推移しており、ある程度占領が進めば、休戦協定を締結し領土の割譲を引き出す予定、そう報告をいただいたが、それはどういうご了見なのか?
まさかもう戦いに倦まれたのですかな?
このまま一気に、公国を占領するまで軍を進められても良いと思われますが?」
「殿下に代わってお答えします。
スーラ公国の版図は広大であり、兵は精鋭揃いです。
このまま首都まで軍を進めるとなると、こちらも相応の被害を覚悟せねばなりません。そして、正面から攻め上るには強固な要塞線を突破する必要があります。
優秀な将軍率いる大規模な別動隊を組織し、敵中を迂回し、側背から攻略できれば話は別ですが……
もし、公国の滅亡をお望みなら、貴方を別動隊の司令官に任じ、その栄誉をお譲りしますよ。
まぁ、常識で考えれば別動隊の全滅は必至ですが」
「なっ……」
質問した者は言葉に詰まり沈黙した。
そんな自らの命の危険を顧みず、無謀な作戦を指揮して、やり遂げる能力のある者などそうそういない。
ジークハルトは言葉を続ける。
「本来、スーラ公国との戦いは防衛戦だった筈です。
撃退したことに加え、かの国の版図の三分の一でも得ることができれば、文句の付けようのない戦果と思われます。もしそれ以上を望まれるのであれば、それが実現可能なことを自らで以てお示しいただかないと」
質問者が完全に沈黙してしまったのを見兼ねて、代わって質問する者が出てきた。
「では、南、スーラ公国との戦線が安定すれば、グラート殿下は兵を転じ、北を攻めると?」
「失礼ながらハーリー公爵、何のために?」
「当然であろう?
我らは南だけでなく、北にも火種を抱えておる。
過去、我らはカイル王国に辛酸を嘗めさせられた。
であれば、その両方を討たねば片手落ちとなろう?」
「私は公爵閣下と意見を異にしますね。
カイル王国は単に国土の防衛戦を行ったに過ぎません。侵略したのは我々の方です。
しかもその目的は何ですか?
侵略の意図を見せず、ひたすら自国を守ることだけに専念するカイル王国を攻めたのは、極論すれば帝国の定めに倣い、グロリアス殿下が、皇位継承者たる資格を示すためではありませんか?
南の戦線で、グラート殿下がその資格と実績を示された後、更に戦を興す必要がありますか?
いたずらに軍を興し、兵たちの命と大量の物資を損ない、帝国の安寧を損なう必要があるのですか?」
「それでは我らは、常に北の国境を案じ、枕を高くして眠れぬ、そういうことにもなりかねんが?
また、カイル王国との戦いに敗れ、雪辱を果たしたいと望んでいる者たちの意向はどうするのかね?
子爵もこの辺りを、この先、帝国内でのグラート殿下のお立場を考えるべきではないのか?」
「仮に、カイル王国を攻め滅ぼしたとして、そうなれば我らは新たに2つの国と、更にイストリア皇王国とは二方面で国境を接することになります。そちらの方が、枕を高くして眠れないと思いますが……
また、北に兵を向けている間に、時を合わせて南から再侵攻されればどうなります?
公爵閣下が兵を率い、南の防壁として自ら戦っていただけるのですか?
勝敗は兵家の常、いちいちそんな女々しいことと、帝国の未来、公爵はどちらが大事とお考えですか?
グラート殿下のお立場を考えるからこそ、そんな馬鹿馬鹿しい話に聞く耳を持たないのですよ」
2人の舌戦は続く。
ジークハルトの堂々たる物言いには、誰もが驚いていた。
「いや、そもそも今の配置では、いささかグロリアス殿下には分が悪かろう。
今少し公平な機会があっても良いのではないか?」
「そもそも、皇位継承を巡る外征では公平な機会が与えられていた。私はそう聞き及んでおりましたが?
しかも、数年前のこの場において、皆様が了解の上で今の配置が決まったと聞いておりますが……」
「貴様が小賢しい真似をしたのだろうがっ!
十分な食料さえあれば我が軍は……」
「殿下っ!」
これまで黙って事の成り行きを見守っていた第一皇子が激発し、ハーリー公爵が割って入った。
そして、第三皇子が初めて口を開いた。
「グロリアスよ、其方は勘違いをしている。
定めに依って決まった、其方が担当する戦域に私が軍を率いて現れたとしよう。その時其方は……
私が勝手に戦端を開くことを許すのか?
私が勝手にその地の物資を徴発することを許すのか?
私が独断で国同士の約定を違えることを認めるのか?
そこで上がった戦果を私の功績として認めるのか?
ジークハルトはわが代理人として、また帝国の軍人として、定められた道理に従ったに過ぎない」
第三皇子の言葉に、第一皇子は怒りに震えながらも、なんとか言葉を飲み込んだ。
「グラート殿下、失礼いたしました。
殿下にも思う所はあるでしょうが、私共から提案……、いや、お願いがございます。
これより我らは、全力でスーラ公国との戦いを支援させていただきます。存分に腕をお振るいください。
しかる後、公国の領土を得ることができれば、休戦協定にも異存はございません」
「ほう?」
第三皇子は短く言葉を発し、驚かずにはいられなかった。
大狸の言葉にではない。
事前にジークハルトが示した、打ち合わせ通りに議論が進行していることに対し、驚きを隠せなかった。
「その代わり、と言ってはなんですが、どうか、次期皇帝候補最有力者として、度量をお示しください。
南での戦役に勝利した後、北の戦線にて、次代の帝国を担う者同士が功を競う場をお与えください。
もちろん、殿下の優位は揺るぎようもございません。我らもそれをお認めいたします。
ただ、グロリアス殿下にも過去の失態を挽回し、面目躍如の機会をお与えくださいますようお願いします。
旗下の兵達にも、思いを遂げる機会を待ち望んでいる者も多くございます。
さすれば、多くの貴族や兵たちも殿下の懐の大きさを知り、皇位継承に異を唱える者もなくなりましょう」
『ふん、狸め。
南では負けたが、北で南に匹敵する戦果を上げさせ、一気に手のひらを反すつもりであろうが』
第三皇子はそう思ったが、この会議の参加者、帝国貴族の重鎮たちは、どちらかというと第一皇子派だ。
彼らの意を翻らせ、納得させる理由も必要だった。
「そこまで言うなら、異存はない。
公爵の提案に乗るとしよう。ジークハルト、お前もそれで良いな?」
「はっ、殿下の決定に異存などございません。
それであれば我らは、先年グロリアス殿下の配下が苦戦した、左翼から攻め入るのは如何でしょうか?」
「左翼だとっ!
あの憎き小僧の領地かっ! それはならん!」
「グロリアス殿下、ここは私から……
先ほども申し上げた通り、第一皇子旗下の戦力、ブラッドリー侯爵は左翼で非業の死を遂げ、全軍崩壊に至った敗因も元を辿れば左翼の惨敗にあります。
グラート殿下、左翼は何卒我らにお譲りくだされ」
「うむ……、そういう事情であれば致し方ないな。
ジークハルトよ、我らは右翼から攻略し、王都を攻め上る算段をつけるとしようではないか」
「殿下、誠にありがとうございます」
恭しく頭を下げたハーリー公爵の対面に座り、不承不承の態で主人の意見に顔を伏せていたジークハルトは、誰にも見えぬよう、会心の笑みを浮かべていた。
※
こうして会議を無事終えたあと、第三皇子とジークハルトは、別室にて安堵のため息を吐いていた。
「それにしても、あの狸を手玉に取るとは流石だな。
ここまで其方の書いた筋書き通り進むとは、思ってもいなかったぞ」
ジークハルトは、会議の前に第三皇子に3つのことを提案していた。
それは、第三皇子が思いもよらない内容だった。
順調に戦果を積み上げている第三皇子陣営の、最大の課題は背中から味方に矢を射られることだ。
南の前線で戦う第三皇子は、前面の敵だけでなく、後方の味方をも警戒しなければならなかった。
それに対して、後顧の憂いを断つには、第一皇子陣営に餌を見せ、逆転の機会があると思わせることだ。
貴族たちの協力と、第一皇子陣営の邪魔だてがなければ、スーラ公国との戦いは、この先一気に進む。
第三皇子は安心して強固な地盤を獲得することができ、成果に伴う強い発言権も得ることができる。
そして、翌年の終わりに切れるカイル王国との休戦協定。
そうなれば、第一皇子陣営、特に大狸は、何かと理由を付け、第三皇子に対して北でも戦果を上げるよう、求めてくることは目に見えている。
ならば、会議で激発させ、こちらの描いた筋書き通りに誘導すればいいことだと。
「それにしても、こちらの思惑のとおり、奴らが左翼を望むとは思ってもいなかったぞ。
すんなり我らが左翼を取ること、奴らが認めたら、どうするつもりだった?」
「第一皇子陣営は焦っています。
仮に殿下から譲歩を引き出したとしても、殿下を出し抜き、敵国の王都を先に占領しなければ、結果として優劣は殿下に決します。
中央は王都まで最短距離にありますが、幾つもの砦や要害を抜く必要があり時間がかかります。
王都騎士団も中央から迎撃に出てくるでしょう。
右翼は単に回り道をするだけで、結局中央から進むしかありません。
ですが左翼は、テイグーンさえ抜けば、王都まで遮るものはなく、一気に軍を進めることができます。
多少の諜報を理解していればむしろ当然の結論です」
「奴らが我々の想像以上に阿呆だった場合、左翼を我らに譲っていたらどうしたのだ?」
「それなら、もっと楽にことは運びますよ。
我らは左翼側で敵右翼に苦戦……、いえ、睨み合うだけの物見遊山に出掛け、遊んでいれば良いのです。
ソリス魔境伯には、昨年の面会にて殿下のご内意、私の策など、ご了解いただいた内容は伝えております。
彼はテイグーンの守りはほどほどにして、全力で中央または敵左翼に援軍として出て行くでしょう。
そうなれば、彼の率いる軍は、とても強いですよ。
先年、イストリア皇王国が完敗したのも彼ひとりの戦果ですからね。
我らが遊んでいる間に、グロリアス殿下の軍勢は酷い目に遭うでしょうね。
我らは予定通り物見遊山を終え、帰るだけです」
「敵には敵を……、か?」
「ちょっと違いますね。敵には、優秀で信頼できる敵を、ですかね。
そもそも我らは、カイル王国を領土とする意思がありません。
ならば、先の内乱ではせっかく助けてあげたんです。
その返礼として、今度は、こちらのために全力で戦ってもらえれば良いことです」
そう言って、不敵な笑みを浮かべたジークハルトに、第三皇子は背筋が凍るような思いを感じていた。
帝国の政治闘争に端を発した侵略の魔の手は、確実にカイル王国に伸びつつあった。
帝国軍による、かつてない大規模侵攻は2年を置かずして始まることになる。迎撃のために残された準備期間は、もう僅かしかなかった。
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次回は【南部諸侯会議】を投稿予定です。
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