街道の西側から現れたカーミーン子爵率いる軍勢は、戦場に到着すると迷うことなくヴィレ王国軍に突入を開始した。
この軍勢は敵味方の誰もが予想だにしなかった軍であり、味方であるドゥルール子爵軍でさえ彼らの参戦に大いに驚いていた。
しかも彼が率いていた数はおよそ五千、これはカーミーン子爵領の全軍より遥かに多い。
「先ずは味方を窮地に陥れている侵略者を撃退せよ! 逃げ散る敵兵などこの際放置して構わん!」
そう叫ぶと、ドゥルール子爵軍と戦うゴルパ将軍の率いた騎馬隊に襲い掛かった。
これは、先ほど将軍が行った攻撃を、正に攻守入れ替えて再現したに等しい。
「ふっ、ここに来て五千もの新手か……。儂ですら予想してしておらなんだわ。
まさか魔王はいずこからともなく軍勢を湧き出させる魔術でも持っていると言うのか……」
老練の将軍は窮地にあっても落ち着いていた。
直ちに副官に命じ、軍を引かせる角笛を各所で吹き鳴らさせた。
「陛下はお救いしたし、全軍の崩壊は防いだ。まぁ今はここまでじゃろうな……。
これより各隊は小集団で離脱して再集結せよ、転輪の円陣で味方を集めつつ撤退する」
将軍の軍は不思議な円陣を敷いた。
一見すると車掛りの陣に見えるが、合流した小集団は円を描きながら敵軍を削り取りつつ一周し、更にその外側には新たな集団が合流して外周を巡る。
回転しながら渦巻きのような流れを持つ円陣は、次第に大きくなり、次々と味方を糾合していった。
最終的に配下の兵たちを全て吸収して巨大な渦巻きと化した円陣は、徐々に東へと移動し、混戦を離脱すると一気に輪がほどけるように縦列陣となって撤退していった。
ゴルパ将軍が突入した時点で、敵の圧力を受けなくなった南側の退路も落ち着き、ヴィレ王国軍は南と東、双方から整然と戦場を後にしていった。
「ちっ、鮮やかだな……。うまく引かれてしまったか。
これより我らは、一人でも多くの味方の命を救うことを第一とせよ!」
カーミーン子爵は敢えて追撃を行わず、戦場に残った味方の救護に取り掛かった。
不退転の覚悟で最後まで勇戦した、ドゥルール子爵軍は相当の被害を受けていたように見えたからだ。
もろん敵側、ヴィレ王国軍もこの一連の戦いで約2,000名もの兵を失ったが、ゴルパ将軍の参戦が無ければおそらくその倍は失っていたであろうとも言われた。
ヴィレ王国軍が去ったのち、大きな痛手を被ったドゥルール子爵の軍はカーミーン子爵軍によって救い出され、カーミーン子爵軍と合流していた。
「それにしても、閣下のご参戦がなければ、我が軍は全滅するところでした。
主に変わり、改めて深く御礼申し上げます」
「いや、同じ帝国貴族として侵略者を討つのは当然のこと。礼には及ばんよ」
本来は第一皇子を支える派閥のカーミーン子爵が、五千名にも及ぶ兵を引き連れて戦場に現れたのには幾つかの理由があった。
※
彼はこの少し前、『帝国貴族としての矜持』により事実上第一皇子陣営を離反し、自領の全軍を糾合することに成功していた。
だがこの時はまだ、二千名にも満たない兵力だった。
次に彼は、その兵力を背景に主要街道の近隣に領地を持つ、同じ陣営の貴族たちを説得し始めた。
その際彼は、北部辺境域に侵攻した敵国に対し、何ら対処を行わず南への派兵を命じる第一皇子を暗に批判した。
「帝国を治める皇位継承者とは、帝国の領土とそこに住まう領民を守ろうとする意志のあるお方、それが必要不可欠な要件である。他国より侵略を受けた際に『政治』を考えるなどもっての外」
その言葉は第一皇子の派遣した使者から高圧的な命令を受け、不信を抱いていた各貴族の胸に響いた。
まして彼らは、第一皇子の捕虜返還にあたり、家を傾けるほどの財貨を費やしていたにも関わらず、彼らの領地の安寧はその当人より『些事』とまで言い切られていたのだから。
これで腹を立てない者など居ない。
『我らは侵略に苦しむ同胞(第三皇子陣営)の領地と、戦後の経済発展に寄与してくれた盟友(ウエストライツ魔境公国)への恩を返すために立った。
いつか我が身に降りかかるかも知れない災厄に、まして帝国の名誉と尊厳が侵されている今、他人事でいられようか?』
その言葉が決定的だった。
ジークハルトやかつてのゴート辺境伯、ブラッドリー侯爵やマインス伯爵など、旧ローランド王国に領地を持つ者を除けば、帝国の北部辺境に領地を持つ貴族は国境にある伯爵家を除き、その他はみな中央に影響力のない子爵家や男爵家ばかりであった。
『帝国の政治』にとって彼らは、いわば使い捨てにされる可能性の高い者たちであり、だからこそ庇護を求めて第一皇子の親派となった。
だがここ数年来、彼らに与えられてきたのは庇護ではなく、負担ばかりだった。
そして彼らは見ていた。
ウエストライツ魔境公国と誼を結んだ第三皇子派各家の発展と隆興を。
同じ第一皇子派で貧困に喘いでいた、カーミーン子爵領の急激な発展を。
この結果、カーミーン子爵は最終的に各家より兵力を糾合することに成功し、5,000名もの軍勢を旗下に収めていた。
※
「それにしてもカーミーン閣下、我らの窮地によく駆け付けてくださいました」
「いや、我らも魔境公国の入札に参加する商隊を抱えているからな……。
空に飛翔するランタンを見て駆け付けたまでのこと」
子爵は言葉を濁したが、まさか本人が何度も商隊を率いていたとは言えない。
だがその過程で、商人たちに向けた施策のひとつ、救難要請については理解していた。
「所でドゥルール殿は? 姿が見えないようだが……」
「はっ、閣下は常に最前線で勇戦され……、もはや……」
そう答えたドゥルール子爵軍の将は、苦悶の表情を浮かべて下を向いた。
胸に矢を受けたまま、それすらものともせず勇戦していた主君は、激戦のなか遂に力尽きていた。
「そうか……、おいたわしいことだ……」
カーミーン子爵は表情を翳らせて瞑目した。
※
この時、当のドゥルール子爵は満足気な表情を浮かべながら横たわり、最期を迎えようとしていた。
肺まで貫通した矢の他にも複数の矢傷を受け、剣による傷も全身に受けており、誰が見てもう助からないほどの致命傷を受けていた。
『ふむ……、愛する者を守り命を燃やす、これこそ男子の本懐というものだな。
どうしようもなかった私が、このような生き方をできたのも全てローザ殿のお陰……。
あの時(テイグーン攻略戦)とは違い、どうやら今回は満足した最後を迎えられそうだ……』
混濁した意識の中で、ドゥルールはそう思っていた。
『今、儂は……、誰かに抱きかかえられているのか?』
硬い大地に横たわっていた先ほどまでと違い、自身の上半身を柔らかい、そして優しい何かに包まれていることを、彼は初めて自覚した。
そして重くなった瞼をゆっくりと開くと、そこには驚くべき光景が移った。
「そ、其方は……、無事、に……、逃げ(おおせたのではないか?)」
そこには泣きはらした表情で彼を抱き抱える、ローザの姿があった!
「ドゥルール子爵、貴方のお陰で子供たちはみな、誰一人として欠けることなく無事です。
そして多くの護衛の方々の命も救われました。
貴方はいつも……(何故そこまで……)」
ローザは逃亡の途中、友軍の危機を知らせるランタンを上げると、子供たちを安全圏まで送り届けた後、負傷者を自身の聖魔法で救うため引き返していた。
そして味方が勝利したとの知らせを受け、先を急ぎ戦場まで戻ってきていた。
彼女が本来与えられていた使命を果たし、一人でも多くの命を救うために……。
『ふっ、貴方はいつもそうだ。多くの命を救うため必死で頑張り、優しい笑顔と慈愛に溢れた女神。
だからこそ、私も生涯かけて貴方を守りたいと願った……』
そう思いながらドゥルールは、以前は彼女によって妨げられた『最後の口上』を述べようと、短い呼吸を繰り返しながら、言葉を綴り始めた。
これまですっと、想いを秘めて言えなかった言葉を。
「愛する……、あなたを……、守る、ため……、生きてき……。
心より……、愛して……、私は……、本懐、を遂げて……、満足……」
「そのお言葉、もう一度聞かせてください。必ずですよ!」
涙ながらに笑うローザを見て、ドゥルールは心の中で苦笑した。
『いや……、最後の口上なんだから、次はないぞ。
ローザ、其方は最初に会った時からそうだ。常に私の言葉を聞かず、受け答えが天然で……。
まぁそれが、愛らしさでもあるのだが……』
そう考えていたとき、彼の身体は柔らかい光に包まれ、心地よい安らぎにも似た感覚が全身を巡った。
それは……、以前に彼女より受けた聖魔法の治療を遥かに凌ぐものだと感じた。
「大丈夫です、今度は私がお救いする番です。
必ず助かります、いえ、助けてみせます!」
そう言うと、ローザは笑った。
彼女の聖魔法は、以前と比べ格段に進化しており、治癒効果も強化されていた。
それには幾つか理由があった。
・王都で医学を学び、人体の構造や治癒に関して高い知識を身に着けていたこと
・格段に高くなった地位により、教会より庇護を受けて、古より聖の氏族に伝わる知識を得ていたこと
・日々の激しい訓練や幾たびかの戦乱を経て、格段に多い聖魔法行使の機会を得て習熟が進んでいたこと
いわば理論武装と実践機会、そして秘伝を得ていた彼女は、今や地位だけでなく聖魔法でも王国随一の存在となっていたからだった。
「あっ……、いや、儂は?」
「ふふっ、暫くの間は安静が必要ですが……、続きを聞かせていただくこと、楽しみにしておりますね。
これから他の方々の治癒に参りますが、先ほどの約束は忘れないでくださいね」
絶対に助からない、そう思っていたので唖然とした表情の子爵をよそに、その言葉を残してローザは彼女の戦場、一人でも多くの命を救うため動き出した。
愛する人に抱かれて最期を迎えること、子爵が夢に見ていた『男子の本懐』は、中途半端に叶えられ……、中断されており、最期と思って自身が口にした言葉には改めて赤面することとなった。
※
この戦いの経緯について、伝騎による報告を受けたアレクシスは、その報告を何度も読み返していた。
「嬉しい誤算と嬉しくない誤算か……、カーミーン子爵の参戦は非常に嬉しいんだけど、敵にも戦を知る本物の将が居るということか……。
その男が一万もの軍勢を率いているとなると、思うようにいかない可能性もあるな……」
そしてドゥルール子爵の戦線離脱も痛手だった。
味方の優秀な指揮官の脱落と敵の優秀な指揮官の出現、彼はこの先の困難を予測して一人溜息を吐いていた。
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次回は『間話12 女神爆誕』を投稿予定です。
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