《レティシア・バロウ視点》
「……う……ん……」
――目が覚める。
意識が戻って最初に感じたのは、冷たい床の感触。
そしてカビ臭い密室の匂い。
徐々に視界が鮮明になっていく。
まず見えてきたのは、金属の鉄格子。
その向こう側には、乱雑に置かれた木箱と煉瓦の壁。
窓がないのか非常に薄暗く、点々と設置されたランプだけが周囲を照らしている。
「ここは……私は一体……。うっ――!」
身体を起こそうとすると、後頭部に鈍い痛みが走る。
――そうだ。
確かアルバンたちの帰りを待っていたら、シャノアが何者かに殴られて……。
私も――
「そ、そうだわ、シャノアは……!」
慌てて辺りを見回す私。
すると、すぐ傍にシャノアの姿があった。
どうやら意識がないらしく、ぐったりと横たわった姿勢で――オマケに額から血が垂れた痕がある。
「……! シャノア、しっかりして! シャノア!?」
「う……うーん……」
少し身体を揺さぶると、小さく声を上げてくれる。
よかった、ちゃんと生きているみたい。
シャノアは続けて、ゆっくりと瞼を開けてくれた。
「あ、あれ……? 私……――痛っ!」
「大丈夫よ、落ち着いて。少し動かないでね……」
まだ意識が朦朧としているシャノア。
怪我の状態を確認すべく、彼女の後頭部を見てみる。
……小さな裂傷。
外観からだと、そこまで大怪我をしているようには感じられない。
出血はまだ続いているみたいだけれど、頭の怪我は得てして大袈裟に見えると聞いたこともある。
とはいえ、医者に詳しく診てもらわない限り油断は禁物。
今の私にできるのは、これくらい――
「――〔ヒール〕」
シャノアの後頭部にそっと手を添え、私は魔法を使う。
すると見る見るうちに傷口は塞がり、出血が止まった。
「……ふぅ、応急処置は大丈夫かしら」
「ふぇ……? レ、レティシア様、魔法を使えたんですか……?」
「ちょっとだけね。いつか役に立つかもと思って、オードラン領にいる時から独学で勉強していたの」
もっとも、アルバンが使う魔法とは比べ物にならないけれど。
彼は既にSランクの高等魔法から”混合魔法”まで、実に様々な魔法を使いこなしている。
私には、まだそんな芸当は無理だ。
使えるのは精々初歩的な魔法くらい。
いずれは、支援魔法だけでも彼に追い付けるようになろうと思ってはいるけれど。
「す、凄いですね……! あっ、そ、それより、ありがとうございます……!」
「礼には及ばないわ。それに――喜ぶのは、まだ早いと思うわよ」
私は周囲を見回しつつ言う。
今、自分たちがどこにいるのかわからないのはまだいい。
それより厄介なのは――私とシャノアが檻の中に閉じ込められている、という事実だ。
檻の形状や大きさ的に、たぶん大型動物を一時的に閉じ込めておく可搬タイプのモノだろう。
扉には如何にも頑丈そうな南京錠と鎖が付けられており、私たちを逃げられなくしている。
一体、誰が私たちを――
「……お、目が覚めたみてぇだな」
そう思っていると、コツコツという足音と共に二人組の男が現れる。
どちらも見覚えのある顔だ。
「! あなたたち……!」
「俺らを覚えてるよなぁ? あのボロ喫茶店じゃ世話になったぜ」
現れたのは、シャノアの喫茶店を地上げしようとしていたゴロツキの二人組だった。
二人はニタニタと気味の悪い笑みを浮かべ、私たちを見下ろす。
彼らの姿を見た瞬間、私はおおよその事態を察した。
「……なるほどね、これはあなたたちを追い返した報復ということかしら?」
「そういうこった。よくもあの時は舐め腐った真似してくれたな」
「ヒヒヒ、見ろよこの腕の痣……! テメェと一緒にいた男にやられた痕が、まだこんなにクッキリ残ってやがる! この痛み、倍にして返してやらねぇと気が済まねぇぜ!」
「あら、腕を折られなかっただけ幸運と思うべきではなくて?」
「なんだとこのクソアマッ!?」
「おいよせ。――ボス、女共が目を覚ましましたぜ!」
男の片方が振り向き様に言うと、数名のゴロツキに守られた中年の男がやって来る。
黒レンズの丸眼鏡を掛け、撫でつけた七三の髪をした、如何にも”小金持ちの悪人”といった風貌の男だ。
「お初にお目にかかる、レティシア・バロウ。悪いがアンタは、俺たちの金儲けの道具になってもらうぜ」
「……なにを企んでいるのか知らないけれど、やめておきなさい。大人しく私たちを解放した方が身のためよ」
「ハッハッハ、噂通り気の強い女だな。だが喫茶店の時と違って、もう脅しは効かねぇぞ? なにせこっちには”支援者”が付いてくれたからな」
「支援者……?」
「ああ、”串刺し公”とかいう薄気味悪い仮面を被った野郎だが、俺たちに多額の支援をしてくれた。オマケにお前さんたちの動向まで教えてくれて、最高のビジネスパートナーだよ」
「それだけじゃねぇぞ! テメェらにどんなことがあっても事件を隠蔽してくれるよう、幾つかの貴族家に手配までしてくれたんだ!」
「そうそう! 俺たちは心置きなく悪事ができるって寸法よ!」
「貴族家に……手配ですって……?」
――誰だ?
おそらく、いや間違いなく、どこかの貴族が裏で手を引いている。
レティシア・バロウに明確な敵意を持ち、なんとしてでも排除しようと考える、高位階級の何者かが。
でなければ、ゴロツキ風情がこんな大胆な行動に出られるものか。
いや、そもそも複数の貴族が町のゴロツキと繋がろうなどと思うものか。
まず考えられるのは、マウロの一件以降現れた”アルバン・オードラン批判派”の勢力。
でなければ……私個人を貶めようとする者たち。
”串刺し公”という名前に聞き覚えはないけれど、まさかこんな堂々と動いてくるなんてね。
「……それで、私たちをどうなさるおつもりかしら?」
「さあ、今考えてるところさ。ま、とにかく先に礼の喫茶店を潰しちまおうか」
「ヒヒヒ、娘が人質にされたとくれば、あのババアも大人しく土地を明け渡すでしょうや」
「そ、そんな……! お、お願いします! あの喫茶店だけはどうか……!」
「うるせぇ! テメェに選択肢なんざねぇんだよ!」
「ひゃあ!」
ガン!と鉄格子を蹴られ、怯え下がってしまうシャノア。
そんな彼女を、私はぎゅっと抱き締める。
「……全て自分たちの思い通りになる、なんて思わないことね。必ず報いを受けさせてあげる」
「おぉっと、妙なこと考えるなよ? ここは百人以上の構成員が見張ってて、逃げ場なんかねぇんだからな」
「そうだそうだ! それにテメェらを運んでくる最中、誰にも見られなかったしよぉ!」
「助けなんざ来ないと思え!」
完全に勝ち誇ったかのように笑い声を上げるゴロツキたち。
……なるほど、状況は最悪ね。
でもどうにかして、逃げる方法を考えないと……。
アルバン――私は必ず、生きてあなたと再会してみせるわ。
▲ ▲ ▲
「……ダークネスアサシン丸の話だと、二人は城下町の西端にある倉庫に、連れていかれたみたい……」
「カァー!」
まるで肩に乗るカラスの鳴き声を翻訳するかのように、カーラは言う。
「――本当なのか?」
「嘘だと思うなら……ここを出てみるといい……。どこにも二人の姿はないはず……」
「…………そうか、わかった。その倉庫まで案内してくれ」
「……いいけど、貸し一つ……」
「貸しでもなんでも作ってやる。だから一刻も早く、俺を連れていけ」
「カァー!」
「……ちなみにその倉庫は、百人以上のゴロツキで守られているって……」
「だから?」
「え……?」
「百人以上いるからなんだ? それがレティシアを助けない理由になるか? あ?」
――ああ、不味い。
このまま立ち止まってくっちゃべってると、腕が滑って誰かを斬り殺してしまいそうだ。
それくらい――俺は今キレてる。
「ま、待つんだオードラン男爵! せめて一旦、学園に報告を……!」
そんな俺を押し留めるように、レオニールが声を発する。
でも悪いなレオ。
今の俺には、お前の声も雑音にしか聞こえないんだわ。
「いい、これは俺個人の問題だ」
「な、ならせめてオレも一緒に――!」
「レオ、お前さ……生の人間を斬ったこと、あるか?」
「え……? い、いや……」
「じゃあ足手まといだ」
――俺はある。
マウロの腕を斬り落とした。
でもあの時、なにも感じなかったよ。
たぶん首を斬り落としても、一切の感情が湧かなかっただろう。
それは今も同じだ。
俺にはどうだっていい。
そんなことよりも――レティシアの方がずっとずっと、ずぅっと大事だ。
「行くぞ、カーラ」
「……わかった」
俺はカーラと一緒に歩き出す。
ダンジョンの出口へ向けて。
剣を鞘に納めることなく。
「――皆殺しだ」