コツ、コツ――という、石畳の床を蹴る甲高い音が聞こえた。
それは明らかに、女性モノのハイヒールの足音。
そんな音が耳に入ってくると同時に、ホラントとその部下たちがビタッと立ち止まる。
まるで、とても驚いたかのように。
「エ……エルザ・ヴァルランド第三王女!? どうしてここに……!?」
「控えなさい、騎士ホラント。頭が高いのではなくって?」
「は……も、申し訳ありません! これはご無礼を……!」
バッと床に片膝を突き、頭を下げるホラントたち〝王家特別親衛隊〟。
それにより――俺のいる場所からも、その高貴な女性の姿が見えるようになった。
――艶のある長い黒髪。
肌は真珠のように白く、瞳は飲み込まれそうなほど黒い。
その佇まいは気品に溢れ、素性を全く知らぬ者が見ても一目で貴い人物だということがわかるだろう。
美しい――と、彼女を見れば誰もが思うはずだ。
貴いお方にして、絶世の美女である、と。
彼女にお仕えできるなら、自分の一生を投げ出してもなにも惜しくない――そう思う輩もいるかもしれない。
それほどの美女なのだ。
だが……俺は彼女を見て、少しも魅力的だとは思わなかった。
俺が抱いた感情は――〝嫌悪と殺意〟。
一瞬でわかった。
コイツが――コイツこそが、これまでレティシアを付け狙ってきた諸悪の根源であると。
「……」
彼女はその真っ黒な瞳で、じっと俺の方を見つめてくる。
「あの男と話がしたいの。あなたたちも看守も、全員席を外しなさい」
「は……? い、いやしかし、彼は危険人物で――!」
「席を外せと言ったのが聞こえなかったかしら?」
「っ…………承知、致しました……」
かなり冷たい口調で命令され、致し方なく牢屋の傍から離れていく看守と〝王家特別親衛隊〟の面々。
そして、場には俺とエルザ第三王女だけが残された。
「「……」」
鉄格子を挟み、無言で見つめ合う俺たち。
いや、睨み合うって言い方の方が正しいか。
だって俺も向こうも、瞳に〝殺意〟が宿っているから。
「……こうして直接会うのは初めてね、アルバン・オードラン」
「ああそうだな。お会いできて全く光栄じゃないね、第三王女サマよ」
「言葉を慎みなさい下郎。誰に対して口を利いていると思っているの?」
「誰? 誰ってそりゃ――レティシアの敵に対してだよ」
こうして話していても、心底胸糞が悪い。
俺にとっては因縁の相手が、鉄格子の向こうから見下すような目を向けてくるのだから。
もしレティシアに待っていてと言われなかったら、今すぐ鉄格子を破壊してぶっ殺しに行っているところだ。
「お前なんだろ? 今までレティシアを執拗に破滅させようとしてきたのは」
「だったら、なに?」
「今までよくも……よくも俺のレティシアを付け狙ってくれたな」
俺はスッと立ち上がり、鉄格子へと近付いていく。
「お前だけは許さない。いいや、許せない」
「……」
「お前が王女だろうがなんだろうが、俺には関係ない。お前が愛する妻を狙ったというだけで、お前を殺す幾億もの理由足り得る」
鉄格子の前に立ち――エルザ第三王女と向かい合う。
我が人生において最も殺したい相手が、目と鼻の先にいる――。
俺は自分の殺意を抑え込むので、もう必死だった。
「お前には、レティシアが味わった苦しみ以上の絶望を味わわせてやる。この国全てを敵に回し、この手足が千切れ、目も喉も潰されたとしても俺はやる。絶対に――絶対に、だ」
「……………………フフッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
俺の言葉を聞き、大声で笑うエルザ第三王女。
彼女は数秒間に渡って俺を嘲笑い続けると、
「やっぱり、あなたおかしいのね。この状況で、この私に、そんなことが言えるなんて! 正気の沙汰じゃないわ」
「ふざけんな、俺は至って正気だ。ただ妻のことしか考えてないだけで」
そうだそうだ、俺はなにもおかしくなんてないぞ。
妻が何度も殺されかけてるんだから、怒って当然だよなぁ?
むしろ今すぐ襲い掛からない俺の冷静さを褒めてほしいくらいだわ、うんうん。
などと内心で自分を褒め、心を落ち着かせる俺。
こうでもしないと、頭に上った血が今にも噴火を起こしそうだからさ。
俺は話を続け、
「――ところで、一つだけ聞かせろ」
「あら、なにかしら?」
「どうしてレティシアを付け狙う? 彼女に一体なんの恨みがあるっていうんだ?」
単刀直入に俺は尋ねる。
どうしても聞かずにはいられなかったから。
……エルザ第三王女のレティシアに対する執念は、相当なモノだった。
何度も何度もレティシアを付け狙い、それどころか俺たちの周囲の人間をも利用して破滅させようとしてきた。
明らかに――極めて明確な怨恨があるとしか思えない。
だが、あの心優しいレティシアがこんなにも恨み憎まれる理由が、俺にはどうしてもわからない。
まあ得てして権力が絡む貴族なんてのは、なにもしてなくても恨まれるなんてザラではある。
でも……そういう類の恨みじゃないはずだ。
エルザ第三王女はレティシアの権力ではなく、レティシア個人を激しく憎んでいるはず。
だが、何故……?
俺はそう思っていたのだが、
「どうして……ですって?」
――エルザ第三王女の様子が変わる。
彼女はほんの僅かに声を震わせ、
「……アンタなんかには理解できないわよ。あの女が破滅しないと、私はこの世界で永遠に幸せになれないなんて……」
「は……? なんだそりゃ、一体どういう――」
「フフ……悪役は悪役らしく〝設定〟を守って、とっとと破滅しろって言ってるの」
「――――なに?」
彼女の口から出た、その一言。
その一言は俺の鼓膜の奥で強烈に突っかかり、脳内で咀嚼するのに幾分かの時間を必要とさせられた。
「……おい待て。お前、今なんて――」
「お話はもうおしまい」
エルザ第三王女はこちらにクルリと背を向け、
「今日来てあげたのは、処刑される前に顔を拝んでおこうと思っただけだから。でも――痩せてもブサイクなままだったけど」
そう言い残し、俺の前から去って行こうとする。
「お――おい待て! お前、一体なにを知ってるんだ!? お前は――!」
俺は鉄格子を掴んで叫ぶ。
しかしエルザ第三王女は答えない。
そして石畳の上をコツコツと歩き、彼女は俺の視界から姿を消した。