《イヴァン・スコティッシュ視点》
――食い散らかされた緑色の肉片が、ボトボトと地面に落ちる。
終わりだ。
呆気ない最期だったが、汚らしい断末魔を上げなかったことだけは褒めておこう。
肉片と化した怪物へ背を向けつつ、僕は細剣を鞘へとしまう。
そして静かに歩き始め、ユーリの横を通り過ぎた。
「行くぞユーリ。早くオードラン男爵と合流せねばな」
僕がそんな風に声をかけた、その直後であった。
ユーリの身体からフッと力が抜け、地面に尻餅を突く。
「! ユーリ……?」
「あ……い、いえ、申し訳ありません……。安心したら、腰が抜けてしまって……」
見ると――ユーリの足は僅かに震えていた。
そんな弟の姿を見て、
「――プッ、ハハハハハ!」
僕は思わず、笑いを堪えられなくなってしまった。
「お、お兄様……?」
「いや、スマンな。だが先程まであれほど勇猛に剣を振るっていたユーリ・スコティッシュは、一体どこへ行ってしまったのだ?」
「う……そ、そう言わないで頂きたい……」
恥ずかしそうに頬を赤らめる我が弟。
僕は「やれやれ」と小さくため息を吐き、さっきと同じ様に手を差し伸べる。
ユーリもその手を取り、グッと立ち上がる。
「も、もう大丈夫です。ありがとうございます、お兄様……」
「それでいい。しかしな、いつまでも兄の手を取ってばかりでは――」
――そんな風に小言を言おうとした、その時だった。
ユーリの背後で、なにかが蠢く。
僕の視界に映り込んだそれは、八つ裂きにした怪物の肉片の一部だった。
肉片はおぞましく蠢きながら己の形状を変え、一部を槍のように鋭利に尖らせる。
その鋭利な先端は――明らかにユーリの背中を捉えていた。
「ッ! ユーリ、危ないッ!!!」
反射的に、僕はユーリの肩を掴んで横へと押し退ける。
同時に細剣を抜き取ろうとしたが、間に合わなかった。
槍のように鋭利な肉片が飛び掛かり――僕の腹部を貫く。
その一撃は容易く胴体に風穴を空け、真っ赤な血が地面へと飛び散った。
「――ガ……ハ……ッ!」
「お……お兄様ッ!!!」
地面へと倒れる僕。
両目を見開き、顔を真っ青にして僕の身体を抱きかかえるユーリ。
「お、お兄様! しっかり……!」
「バ、バカ者……! 油断するな……敵がまだ……生きて……!」
『――ソノ程度デ壊レルナド……ヤハリ人間ハ脆弱ダ……』
僕の身体を貫いた肉片が蛇のように身体を揺らし、言葉を発する。
『人間風情ガ、オレヲ殺セルナドト……思イ上ガルナヨ……』
せせら笑うように喋る肉片。
同時にバラバラにした他の肉片も動き出し、地面を這いながら一ヵ所に集まっていき――先程と全く同じ形の怪物へと再生した。
その光景に、ユーリは驚愕の表情を見せる。
「バ、バカな……!」
『虫ケラ如キガ、〝大イナル神〟ニ勝テルワケガナイ……。サッキハヨクモ、コケニシテクレタナ……』
怪物は僕たちのことを見下しながら、ゆっくりとこちらに近付き――
『死ネ――虫ケラァッ!』
鉤爪の付いた巨腕を振り上げる。
腹部を抉り抜かれた僕は動くこともままならず、ユーリもそんな僕から離れない。
……ここまでか。
僕はこの瞬間、明確に自分たち兄弟の死を意識した。
しかし――
「――なにが〝大いなる神〟だ、醜い怪物め」
そんな声が、どこからともなく聞こえてくる。
直後――振り上げられた怪物の巨腕が、何者かに斬り飛ばされた。
それと前後して、僕らのすぐ傍に貴族衣装をまとったやや背の高い赤髪の剣士が着地する。
その剣士の姿を見て、ユーリは目を丸くした。
「キミは……Dクラスのスティーブン・ブラッドレイ!」
「助けに来てやったぞ、ユーリ・スコティッシュ。精々オレに感謝しろ」
ぶすっとした顔のまま剣を構えるスティーブンという男。
一応、彼のことは僕も知っている。
王立学園に今年入学してきた、ブラッドレイ男爵家の令息だ。
なんでも剣術の達人らしいなどと噂で耳にしたが、怪物の腕を一太刀で斬り飛ばせるほどとは。
どうやら心強い増援が駆け付けてくれたらしい。
だが、どうして彼がここに――
『ナンダ……? マタ虫ケラガ一匹、死ニニ来タノカ?』
「…………いえいえ~、一匹ではなく二匹、ですね~」
怪物の言葉に答える、女子の声。
そのすぐ後、大きな帽子を被った背の低い丸眼鏡の女子が、僕らのいる場所に現れる。
彼女の手には魔法用の杖が握られており、一目で魔法使いだとわかる出で立ちだ。
――エレーナ・ブラヴァーツカヤ女史。
今回の事態を僕に伝えてくれた人物である。
エレーナ女史はスティーブンの下まで歩み寄ると、
「うんうん~、よくやりましたねスティーブン~。お二人を守れて偉いです~」
とにこやかに笑って、背伸びをしつつナデナデと彼の頭を撫でた。
「だ、だから子供扱いするな! お前が助けろって言うから、仕方なく助けたんだからな! そもそもオレは、お前の護衛としてここまで来たのであって……!」
「わかっておりますよ~。ですから~ここから後はお任せを~」
どうにも気の抜けた喋り方の彼女は、杖を握ったまま怪物を正面に捉える。
「――〝眠れる■■、夢見る内に待ちいたり〟……。お初にお目にかかります~神様~。お会いできて光栄の至り、ですね~」
『貴様……オレノコトヲ知ッテイルノカ……?』
「はい~、なにせ私~神智学を研究している魔法使いでして~。文字通り〝神を智る〟ことを専門としているのですね~」
他にも〝魔導書〟とか諸々研究しておりますけれども~、と答えるエレーナ女史。
そんな彼女の口元は、少しだけ不敵に笑っていた。
「ですから~あなた様の完全なる復活を阻止するために~馳せ参じたのですね~」
『……オレノ復活ヲ、阻止スル――ダト? フ……フハハハハハハハハハハハハッ!』
耳障りな声で高笑いを上げる怪物。
だがすぐに笑いは止み、
『――図ニ乗ルナァ! 虫ケラァッ!!!』
巨腕を振りかざし、エレーナ女史へと突進してくる。
だが彼女に避ける素振りはなく、スティーブンもその光景を傍観している。
そしてエレーナ女史は、杖の先端を怪物へと向け、
「――〔虚空〕」
一言唱え、魔法を発動。
刹那――周囲の光景が一変する。
遥か彼方、どこまでも続く真っ暗な空間。
その中に光り輝く砂粒が広がり、その僅かな光が僕らを照らしてくれる。
――〝宇宙〟。
夜空を見上げた時に見えるあの景色が、天地の全てを支配している。
地面への接地感は完璧に消え、僕らの身体は宙に浮く感覚に包まれた。
これによって怪物も身動きが取れなくなってようで、ジタバタと手足を動かして空を切ってばかりいる。
『ナ、ナンダ……コレハ……!?』
「如何ですか~、魔法によって疑似的に再現された~〝虚無〟のお味は~」
エレーナ女史もフワフワと宙に浮き、一切取り乱すことなく問う。
そんな彼女に対し、僕も流石に面食らっていた。
――なんだ、この魔法は?
こんなのは見たことがない。聞いたことすらない。
おそらくは〝結界魔法〟の一種。
膨大な魔力で現実とは切り離された結界領域を生み出し、そこに対象を封じ込める特殊な魔法。
それは推測できるが――疑似的に再現された〝虚無〟だと?
明らかに、僕の理解の範疇を超えた魔法だ。
これでも魔法の知識は多少なりともあるつもりだが、これに類似する魔法など一つも記憶にない。この魔法の属性がなんであるのかすら予想できない。
こんなの、僕は知らない。
今、僕にわかることと言えば……エレーナ女史の魔力が、並外れて膨大であるということ。
そして、これが断じて普通の魔法ではないということだけだ。
エレーナ女史は「少し自分語りをば~」と前置きを置くと、
「私の魔法使いとしての淵源の一つは~、不可逆の反証でして~。かつては旧い友人と一緒に~屍体蘇生術の研究をしたりもしておりましたね~」
『ナ……ナニガ言イタイ……!?』
「……ある時、気付いたのです~。〝死んだ人間は生き返らない〟と〝神は死なない〟というのは~根源的に意味が一緒~。裏を返せば~〝死んだ人間が生き返る〟ならば〝神は殺せる〟ということに~」
『――!』
「まあ結局~私たちは真の意味での死者蘇生を達成することは叶わず~、神の殺し方の研究も不完全に終わりました~。その代わり――〝神を封ずる〟という魔法を編み出すことに成功したのですが」
エレーナ女史の声色が変わる。
先程までとは打って変わって、真剣な口調へと変貌した。
「今から、我が人生最大の秘術をお見せ致しましょう」
彼女は自らの杖に魔力を込める。
途方もない、膨大な魔力を。
「――出でよ、生命の樹」
エレーナ女史の背後に、大きな紋様――いや〝図式〟が出現する。
それは十一の円をそれぞれ線で結んだモノで、その円の一つ一つが異なる属性の魔力を宿して発光している。
凄まじい――。
どれだけの魔力があれば、こんな――。
「■■……あなたはこの虚無の中で、永久の循環に囚われる。あなたの過去・現在・未来は虚空の中で始まり、そして終焉を迎える。ちっぽけな石板に閉じ込められて……鬱な夢を見続けなさい」
エレーナ女史の身体から放たれる魔力が、全て杖に集められる。
そして――
「――〔虚空封印〕」
彼女は、魔法を発動した。
十一の円を持つ図式が、まるで大きな扉のように中央から左右に開く。
そして開かれた扉の中から、光り輝く植物の蔦のようなモノが無数に伸びてくる。
蔦は怪物に絡み付くと――その巨体を、扉の中へと引きずり込んでいく。
『ヤ……ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』
怪物にはもはや成す術もなく、断末魔と共に図式の中へと姿を消し――開いていた扉は、完全に閉ざされた。
直後、展開していた宇宙のような景色が図式と共に一点に収縮。
その場には一枚の石板だけが残り、ポトリと地面に落ちる。
さらに周囲の風景も気持ちの悪い壁が覆う異界へと戻り、僕とユーリは地面への接地感を取り戻した。
エレーナ女史は「よいしょ~」と石板を拾い上げると、
「うんうん~。これで少しは~オリヴィアちゃんに申し開きもできるでしょうか~」
気の抜けた声で、そんなことを言った。
本当は〔虚空封印〕の部分を〔夢想封印〕とか〔夢想天生〕にしたかったけど、どう考えてもアウトなのでやめました(_´Д`) _
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