《イヴァン・スコティッシュ視点》
「――はい。これでよし、ですね~」
僕の腹部に空いた風穴を、エレーナ女史は魔法で治療してくれる。
魔法は見事なモノで、流血も止まって傷口もほぼ完璧に塞がった。
「か、かたじけない、エレーナ女史……」
「お気になさらず~。ですがあくまで応急処置ですので~激しく動いちゃダメですよ~」
動くと傷口開いちゃいますよ~、と彼女は気の抜けた声で注意喚起する。
エレーナ女史は回復魔法は専門外らしいが、それでも十分過ぎる腕前であろう。
やはりこの人物は只者ではない。
彼女は「さてと~」と立ち上がると、
「それでは~私とスティーブンは先へ行きますね~。残りも封印しないと~」
「……? 神だとか名乗った怪物は、さっき封印したのではないのか?」
「はい~、確かに封印しました~。ですが周りをご覧の通り~異界が消滅しておりません~」
それは――確かに。
ここは本来〝サタニア教会〟の中であるはずなのに、今だ不気味な肉壁が蠢く風景が消えていない。
つまり――まだこの異界を制御している者がいる、ということか。
「さっきのは不完全に覚醒した~、言わば〝魂〟の片割れだったのでしょうね~。全く~邪神というのは本当に厄介です~」
エレーナ女史は「やれやれ~」とため息を漏らしながら、自らの肩を手でトントンと叩く。
「……オリヴィアちゃんがこの老骨に仕事を依頼してきた時から~、最悪の事態を想定してはおりましたが~……できれば的中してほしくはなかったですね~」
「エレーナ女史……さっきの発言といい、あなた本当の年齢は一体……。いや、今はそんなことを悠長に聞いている場合ではないか」
「そうですね~。オードラン男爵……はともかく~レティシアさんの安否が心配です~」
少し不安気に言うエレーナ女史。
するとその時、遠くから〝ズ――ン!〟という鈍い音が聞こえ、僅かな揺れと地鳴りを感じる。
「! 言った傍から~――」
「ああ、いや……今のはおそらく違う。たぶんエステルの仕業だ」
僕はフッと苦笑する。
爆発音がするワケでもなく、ただ馬鹿力で壁がぶん殴られただけのようなこの振動、以前も感じたことがある。
大方、エステルがあの半魚人に似たモンスター共の残党を相手に暴れているのだろう。
ということは、Fクラスの面々が到着したのだ。
きっとすぐにでもここへ駆け付けてくるはず。
「エレーナ女史、僕はもう大丈夫だ。だから行ってくれ」
「……わかりました~。後のことはお任せを~」
エレーナ女史は「行きますよスティーブン~」と言って、彼を引き連れて僕たちの下を離れていった。
この場には、地面に横たわる僕と、そんな僕の頭を膝に乗せたユーリだけが残される。
「……ユーリ、キミも行くといい。オードラン男爵たちの力に――」
「いえ、いいのです」
僕の顔を見つめるユーリの顔は――どこか諦観したような表情をしていた。
「オードラン男爵の下へ向かったところで、私ではお力になれません。お兄様も、それはよくおわかりでしょう」
「ユーリ……」
「……この目で見ましたよ、オードラン男爵の強さを。あの方の前では、私など虫ケラに過ぎないのですね」
力ない声色で、ユーリは言う。
ああ――そうか。
見たのだな、キミも。
彼の、オードラン男爵の実力を。
「私は、自分が分不相応であるとよくわかりました。所詮……ユーリ・スコティッシュなど井の中の蛙に過ぎなかったということも」
……ユーリは、すっかり心折れてしまっている様子だった。
無理もない。あの規格外の強さを目の当たりにすればな。
遅かれ早かれ身を以て知ることにはなっていたであろうが、誇り高いユーリのことだ。
その心情は、察するに余りあろう。
僕もユーリと同じ一年生の時、同じ気持ちを味わった。
だから、その胸中はよくわかる。
よくわかるからこそ――
「……そうか。ならばなにを落ち込む必要がある?」
「え――?」
「僥倖ではないか。なにせお前は、たった今〝自分が蛙である〟と知れたのだ」
そう言って、僕は微笑して見せる。
「己が百獣の王なのか、はたまたちっぽけな蛙であるかなど、それ自体は重要ではない。大事なのは〝自分が何であるか〟――それを自覚し、知ることではないか?」
「――!」
「確かにお前は百獣の王ではなかったかもしれん。お前に〝王〟たる資格はなかったかもしれん。であるならば、堂々と蛙として生きてなにが悪い? 蛙には蛙の生き様があるだろう?」
「お兄様……」
「僕も同じだ。所詮は井の中の蛙だった。なればこそ、蛙として誇り高く生きてやると決めたのだ」
僕は――天井に向かって手を伸ばす。
そして五本の指を大きく開く。
「惨めだと笑うなら笑えばいい。だがな、例え蛙であろうとも、百獣の王の僕として役に立てる時はある。僕はそう思っている」
ああ、そうとも。
僕にも〝王〟たる資格はなかった。
悔しいが、百獣の王のように威風堂々と荒野を駆け抜ける足を、僕は持ち得なかった。
だがそれでも――大地を踏み締めて立ち上がる足に、百獣の王と蛙になんの違いがあろうものか。
その足に、差などあるまい。
「ユーリ……我が弟よ。お前は挫折したまま終わる奴ではないだろう。違うか?」
「…………お兄様も、そうだったのですか?」
どこか自信のない、小さな声でそう聞き返してきた。
「お兄様がオードラン男爵に敗れた時も……お兄様はご自分の意志で、挫折から立ち直られたのですか……?」
「――ああ、そうだ。僕は自分の意志で立ち上がり、自分の意志でオードラン男爵に仕えている」
今や遠い昔のように感じる。
オードラン男爵との決闘に敗れ、〝串刺し公〟の陰謀に利用された、あの頃が。
あの時、僕は人生に絶望すらしたが――
「何故、僕が絶望の中で立ち上がることができたのか……知りたいか?」
「……はい」
「簡単なことさ。それが――僕が理想とする〝貴族〟の姿だからだ」
僕はそっと、掲げた手でユーリの顔に触れる。
「ユーリ……お前も、本当は気付いているのではないか? スコティッシュ公爵家が隠している、僕とお前の秘密に」
「――!」
「僕とお前は、純粋な意味での兄弟ではない。僕らは異母兄弟なんだ」
包み隠すことなく、僕は言う。
それを聞いたユーリは一瞬だけ目を見開くものの、決して取り乱したりすることはなかったが――
「……ええ、それとなくは察してはおりました。やはり私は……妾の子なのですね」
「違う。妾の子なのはお前じゃない。それは――僕の方だ」
そう言ってやると、ユーリは初めて本当に驚いた顔して見せた。
「――な……ん、ですって……!?」
「僕は父様が妾に生ませた子なんだ。母様が中々子を授からぬからと、妾に生ませた僕を長男として他貴族たちに公表したらしいが……幸か不幸か、その僅か一年後に母様がお前を生んでしまった」
「そん、な……!」
「あらぬ噂が立たぬよう、スコティッシュ公爵家は必死になって事実を隠蔽し続け、僕を表面上の跡継ぎとして育ててきたのさ」
僕は知っている。
実のところ、スコティッシュ公爵家は家督をユーリに譲らせる機会を虎視眈々と狙っていた。
血筋の正当性という意味では、彼の方が跡継ぎとして適格だからだ。
なら、物心付く前に僕を消してしまえばよかったのに、と思わなくもない。
病気でも事故でも、適当な理由を付けて。
それをしなかったのは、ひとえに父様と母様に情けがあったからであろう。
如何に大きな権力を握らされた人間だとしても、自分たちの都合で生ませた幼子の命を奪うのは忍びないと、そう思うくらいの人情はあったのだ。
もっとも、安易に長男を死なせるのはスコティッシュ公爵家の面子に傷が付く、という判断も多分に含まれていたであろうが。
そうして僕は、どこか有耶無耶さを残したまま長男として育てられ、スコティッシュ公爵家の教育を受けてきた。
スコティッシュ公爵家がユーリの才を喧伝しなかったのも、ユーリが目立つことで事実が露呈し、他貴族に付け込まれる隙が生まれるのを恐れたから。
権力、面子、人情……それらが絡み合った結果生まれたのが僕ら兄弟という、全く以て貴族らしい話なのである。
実に、粗略だな。
そうして月日が流れていく内に、僕がオードラン男爵に敗れ――スコティッシュ公爵家が待ち望んだように、ユーリが跡継ぎとして繰り上がった。
実際、ユーリは僕より優秀で才覚がある。
僕はずっと昔から、なにをするにも弟に抜かれないようにと必死だったくらいだ。
弟に抜かれないようにと、弟が自慢できる兄であるようにと、ずっとずっと影で努力を続けてきた。
それでも――スコティッシュ公爵家の当主となるのは、やはりユーリが適任だろうさ。
今は、そう納得できる。
優秀な弟を持つと兄は苦労するもの、ただそれだけの話として。
――しかし、
「それでも、な……僕はお前の兄なのだ」
そう言って、僕は笑う。
「全てを失い、自分が蛙だと気付かされたとしても、それでも立ち上がる。そうやって生きた方が、誇り高い〝貴族〟のままで――お前が自慢できる〝兄〟のままでいられるだろう?」
「お兄……様……」
「ユーリ、お前は――僕の自慢の弟だよ」
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