「ふーんだ。コピルってば、いつまでも余を子供扱いして……」
コピルの目を盗んでこっそり馬車から脱走したアルは、城下町の中を一人で歩いていた。
彼は不満そうに鼻を膨らませ、
「余はもう十歳、充分に大人だ。小言など聞き飽きた」
などと宣う。
十歳という年齢は彼の母国ネワール王国でも余裕で子供の歳なのだが、少なくともアル自身は自分を子供ではないと思っていた。
実際にはただの背伸びなのだが、確かに彼の性格や思考回路は同年代の子供と比較すると些か大人びてはいる。
それも、一国の王子という生い立ちと境遇故であった。
アルは「それに」と独り言を続け、
「どうせ花嫁など、ヴァルランド王家から適当な者を宛がわれるだけに決まっている。余だって……妻を選ぶ権利くらい欲しかった」
叶わぬ願いだと頭では理解しつつも、心の内では納得がいっていなかった。
アルはギュッと右手の拳を握り、
「……これからのネワール王国には、強い女性が必要だ。古びた家父長制になど囚われず、国の停滞感を打ち破り、小国だとバカにされないような――そんな新たな時代を作っていける、強い女性が」
彼には理想の女性像があった。
――〝強い女性〟。
男の後ろを歩くのではなく、率先して男より前を歩き、民衆の前に立って彼らを先導できるような、屈強な心を持つ女性。
言い方を変えるなら、カリスマ性を持つ女性。
ネワール王国は古典的な家父長制が根強く残る国であり、現在でも〝女は男に付き従うべき〟といった風潮がある。
しかし、アルは「それではダメだ」と常々思っていた。
小国であり国民の数が決して多いとは言えないネワール王国にとって、人的資源は極めて重要。
国民の半数を構成する女性の社会進出を率先して図りたいが、古びた考え方がそれを拒んでいる状態。
故に、アルはその状態を打破できるような強い女性を欲していた。
強く、気高く、カリスマ性に溢れた女性が。
それでいて腕っぷしまで強ければ、お国柄的に尚〝善し〟だろう。
できることなら、そんな女性を妻にしたいと思っていたアルだが……それは叶わぬ願いであろうと諦めつつもあった。
国やら結婚やらアレコレ面倒なことを考えて、微妙にうんざりするアルであったが――
「ハァ……まあよい。コピルの下から逃げ出したのに、こんなことばかり考えても仕方なかろう」
邪念を振り払い、うーんと背伸び。
「せっかく幾ばくかの自由を得たのだ。後学のために、大国の市民の生活とやらをじっくり観察させてもらおうではないか」
コピルに捕まるまで、精々町の中を歩き回ってやろうと決める。
そんな折り、
「……おや? この香ばしい匂いは……!」
彼の鼻を、なにやら美味しそうな匂いがかすめる。
その匂いは肉を焼いたモノであるらしく、実に食欲をそそる。
スンスンと鼻を鳴らし、誘われるままに匂いの下へとアルが行ってみると――
「いらっしゃい! お、見ない顔だね。旅行中のお子さんかな?」
そこには小さな屋台があり、人柄のよさそうな中年男性が串に刺された様々な肉を焼いていた。
如何にも庶民的でジャンクなそれら肉料理を見た瞬間、アルの脳内が〝カチッ〟と切り替わる。
「うわぁ……! ねえおじさん、この料理はなんていうの!? すっごく美味しそう!」
真新しいモノを見て、アルは一気に〝子供モード〟へ。
目をキラキラに輝かせ、馬車の中から街並みを見ていた時と同じ様に歳相応の表情となる。
「ああ、ソーセージっていうんだ。ヴルストなんて名前で呼ばれたりもする料理だな。お前さん可愛らしい顔してるから、無料で試食させてやるよ」
「いいの!? やったぁ!」
「えーっと、異国のお子さんだと……食べられない肉はあるかい?」
「牛肉と豚肉以外なら大丈夫!」
「そんじゃあチキンソーセージだな。ウチは鶏肉料理も自慢だからよ。ほら、どうぞ」
串に刺された焼き立てのチキンソーセージを受け取ったアルは、おもむろにそれを頬張る。
すると鶏肉であるにもかかわらず、ジューシーな肉汁が彼の口内一杯に広がった。
「お……美味ひぃ~……!」
店主自慢のチキンソーセージに、アルは思わず舌鼓。
その時のアルの顔は、どこにでもいる幸せそうな子供のそれだった。
――人柄のよさそうな店主から試食を貰ったアルは、その後も城下町の中を散策。
あっちへ行ってこっちへ行って、色々な建物やお店を見て回った。
早足だったため、時間にして僅か一時間程度のことだったが――その一時間は、アルにとってとても有意義なモノとなった。
「はぁ~、楽しい~♪ やっぱり大都会って違うなぁ!」
すっかり城下町散策を漫喫したアル。
自分の国では体験できないことの数々に、彼は大満足であった。
――しかし、
「……あれ? ここ、どこだろう……?」
気が付けば、アルは馬車から脱走した場所から離れた路地裏に来ていた。
夢中で町の中を散策していたために、自分の居場所をすっかり見失っていたのだ。
――アルがいる路地裏は薄暗く、ゴミなどが散らかっていて、どうにもガラの悪そうな男が数名たむろしている。
どことなく、というか明らかに治安の悪そうな場所だ。
表通りからそう離れているワケではないが、すぐに離れた方がよさそう――とアルが思った時だった。
「……おいおい、なんか身なりのよさそうなガキがいるじゃねーか」
路地裏にたむろしていた男の一人が、アルに近寄ってくる。
それに続いて他の男たちも近付いてきて、あっという間にアルは四人の男に囲まれてしまった。
「見たことねぇ服着てるな。なんか金持ってそうだぜ」
「コイツ女? いや男か? へへへ、まあどっちでもいいや」
アルの姿を見て、ニタニタと小馬鹿にするように笑うガラの悪い男たち。
そんな彼らの姿に、危険を察知したアルの脳内は〝カチッ〟と切り替わる。
「な……なんだお前たち! 余を誰と心得る!? 余はネワール王国王子にして、次代国王でもあるアル・マッラであるぞ!」
「ネワール王国ぅ? なんだそりゃ?」
「ああ、なんか聞いたことあるぜ。確か東の方にある、大国の間に挟まれたド田舎の小国だとかなんとか」
「なーんだ、田舎者のくせにデカい面しやがってよ。小綺麗な服まで着て、気に入らねぇなぁ!」
徐々に殺気立ってくる男たち。
その中の一人が、遂にアルの胸ぐらを掴み上げる。
「まあ田舎者でもよぉ、王子は王子なんだろ? 身代金とかせびったら、いい額払ってくれるんじゃねーか」
「! は、放せ! 余は貴様らの思い通りになどならぬぞ!」
男の手から逃れようと、全力で抵抗するアル。
だが華奢な彼の腕力では全くと言っていいほど男の腕を振りほどけず、成す術がない。
「おいおい、暴れんじゃねーよ。あんまジタバタすっと、痛い目見せなきゃ――」
男は空いた片腕を僅かに掲げ、拳をグッと握り締める。
そしてゴツゴツとした拳が、いよいよアルの顔目掛けて振り下ろされそうになった――まさにその時、
「――そこまで、ですわよ」
カッカッカッという、踵の高い靴で走る軽快な足音。
それが路地裏に響いたかと思うと――ドレス姿の女性がバッと力強く地面を蹴り付け、宙へと飛び上がる。
「へ?」
直後――射出された砲弾の如き強烈な勢いの飛び蹴りが、アルの胸ぐらを掴み上げる男の顔面へとクリーンヒットした。
「ぶああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
〝ゴシャアッ!〟という凄まじく鈍い音を奏で、思い切り顔面を陥没させながら吹っ飛んでいく男。
当然アルの胸ぐらから手は離れ、地面を何度も何度もバウンド。
最後に建物の壁へ激突して停止。
男はそのまま、完全に気を失った。
「お子様を舐め腐るのは結構ですれけどね……〝お手出し〟は厳禁ではなくって?」
フン、と鼻を膨らませ、グルグルの金髪縦ロールをバッと優雅に払うドレスの女性。
そう――
その場に現れたのはなにを隠そう、王立学園二年Fクラスが誇る浪花の喧嘩師――エステル・アップルバリであった。
突然のエステルの登場に、ガラの悪い男たちは流石に狼狽える。
「な、なんだぁ、手前!?」
「私? そうですわねぇ……最高の試合を観た帰り道に最低の弱い者イジメを見つけてしまった、通りすがりの〝喧嘩殺法お嬢様〟とでも名乗っておきましょうか!」
口元に手を添え、「オーッホッホッホ!」と高笑いを上げるエステル。
そんな彼女の豪快な姿と覇気に圧倒されるガラの悪い男たち。
「ふ、ふざけやがって! やっちまえ!」
「オラァッ!」
彼らは拳を握り、エステルへと殴りかかってくる。
だが彼女は彼らのパンチを容易く回避し、逆に自慢の剛腕をお見舞い。
「おしばきッ!」
「ぶがぁッ!!!」
「ほげぇッ!!!」
エステルのパンチはたった一発で大の男を吹っ飛ばし、瞬く間に二人をノックアウト。
そして最後に残った一人は、
「ッしゃオラアアアアアァァァッ!」
エステルの怪力可憐な両腕で身体全身を担ぎ上げられ――すぐ傍に置かれていた大きな木箱目掛けて、叩き付けるようにぶん投げられた。
「うわあああああああッ!!!」
凄まじい腕力で投げ付けられた男の身体は、木箱を木端微塵に破壊。
そのまま地面へと叩き付けられて背中を強打し、白目を剥いてダウン。
もう、しばらく立ち上がることはできないだろう。
「ホホホ、このエステル・アップルバリに喧嘩を売ろうだなんて、5000兆年はえーですわ!」
ふんす、と胸を張って余裕たっぷりに勝利宣言するエステル。
彼女がガラの悪い男たちを一掃したことで、ようやく路地裏に静けさが戻る。
「…………」
――突如現れたエステルの剛腕無双っぷりに、アルは地面に尻餅を突いて唖然。
完全に開いた口が塞がらない状態であった。
「さてと」
パンパンッと手を払ったエステルはアルへと近付き、彼の前でしゃがみ込む。
「お怪我はありませんこと?」
「え……あ……うん……」
茫然としたまま返事をするアル。
するとエステルは、そんなアルの額に向けて〝パチン!〟とデコピンをお見舞いする。
勿論、限りなく弱い力で。
「痛っ! な、なにをする!?」
「あなた、見たところ良家のお坊ちゃんでしょう? お金持ちのクソガキが一人でこんな治安の悪い場所へ来るなんて、襲ってくれと言っているようなモノですわ」
アルのことをジトッとした目で見つめ、説教っぽく話すエステル。
言ってしまえば、彼女はアルを叱っているワケなのだが――この〝叱る〟という行為を明確にアルが受けるのは、初めての経験だった。
「今回は運よく私がお見かけしたからよかったものの、次はありませんからね。今回の件でお懲りになられたなら、もう危ない場所に近付かないこと。はい、お返事!」
「は……はい」
「ん、よろしくてよ」
エステルは立ち上がり、アルに背中を向けてその場を立ち去っていく。
「それではごきげんよう。エステル・アップルバリは、優雅に去りますわー! オーッホッホッホ!」
高笑いと共に、彼女の後ろ姿は表通りの方へと消えていった。
――その場に一人残されたアル。
彼はすっかり腰を抜かし、立ち上がれないでいたが――同時に、あまりの衝撃に脳が焼かれてもいた。
去っていくエステルの背中が、両目に焼き付いて離れなかったのだ。
「…………見つけた……。余の……〝理想の花嫁〟……!」
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