「今回の件でひとつだけわからないことがある。なぜあんたのような男がセラフィーナ伯爵家にそれほど忠義を尽くす?」
記憶を読み取る魔術は一瞬でその者の記憶すべてを読み取れるわけではない。記憶の表層にある直近の出来事しか読み取ることはできず、古い記憶を探るには時間がかかり、その者の感情などは一切読み取ることができない。
俺もこれまでにいろいろと目立っていたこともあって、暗殺者のような裏の連中と関わったことがある。そういった輩の大半は金や自分の欲望を満たす者が大半で、ここまで依頼主や主人に尽くす者は非常に稀だ。
俺から見たら娘想いではあるが傲慢で平民や他の者を見下すあの貴族にそこまで尽くすこの老執事の忠誠心だけが謎でしかない。この老執事なら国に仕えることもできただろうに。
「……私にとっては先代がすべてでした」
すべてを諦めたのか、俺の問いにゆっくりと答える老執事。
「あなたのように才能に恵まれた若者にはわからないと思いますが、私は戦争で家族を失い、それこそ泥水をすすりながら生きてきたのです。先代は野垂れ死にしそうな私を拾い、食べ物を与えてくれました。私は先代に命を救われたのです。たとえその行為に別の意図があったとしても、何も与えてくれない神などより、私にとっては先代の方がよっぽど偉大でした」
その先代とやらは優しさで孤児を拾ったというわけではなく、この老執事に裏の仕事をさせるために拾ったのかもしれないが、それでも当人にとっては神様に見えたのかもしれない。
そうだな、元の世界やこの世界でも比較的恵まれていた俺にとってはこの老執事の気持ちはわからない。
「先代が伯爵家の地位を賜り、マルキウス様が生まれた時は本当に嬉しかったです。先代にすべてを捧げた私には伴侶や子は不要でしたが、まるで我が子のように思えました。先代は病で倒れてしまいましたが、去り際に私のような者を執事としてマルキウス様を任せると命じられました。その時は本当に嬉しかったものです」
「………………」
「マルキウス様は浅慮な行動を起こされることも多少ございましたが、私はセラフィーナ伯爵家のために尽くすのみです。赤ん坊のころから知っているイザベラお嬢様も本当に大きく可愛らしく成長しました。だからこそ私はあなたがどうしても許せず、この計画を立てたのです。あなたさえ死ねば、すべてがうまくいくと思ったのですよ」
「……そうか」
この老執事が計画を立てて俺を殺そうとしたという部分は嘘だ。記憶を読み取った際にマルキウス伯爵や他の貴族が関わっていることはすでに知っている。
むしろこの老執事は俺に手を出すことに対して強く反対し、イザベラを別の学園へ転校させることを提案していたが、マルキウス伯爵と伯爵婦人が無理やりこの計画を強行したのが真実だ。前回の二重尾行を俺に見破られた際、この老執事も俺がただの臨時教師ではないと理解したのだろう。
そして失敗した場合には捨て駒にされることも織り込み済みでこの老執事は計画を実行した。本当に仕えるべき主人を間違えたものだな。
「ギーク先生、学園長がいらっしゃいました」
「ああ、今そっちへ行く」
シリルが俺を呼びにこちらへやって来た。どうやらアノンが街の騎士団を連れてやってきたらしい。
「あなたに頼むのが筋違いであることは重々承知です。ですが、どうかご慈悲を……」
慈悲というのはこの老執事にではなく、セラフィーナ伯爵家に対してという意味だろう。
「……それについては諦めるんだな」
残念ながら罪をすべてこの者に被せてセラフィーナ伯爵家を許すという選択肢はない。たとえここでセラフィーナ伯爵家を許したところで、再び俺や生徒に対してなにか仕掛けてくることは間違いないからな。
俺だけではなく、生徒たちを巻き込んだ時点で今回の首謀者は徹底的に排除するつもりだった。
老執事を連れ、やってきたアノンたちと合流した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
学園が休日であるこの2日間はアノンと一緒に今回の件について動いていた。
「それにしても、娘の退学が不服だからといって、あそこまでの事態を引き起こすとはのう……」
「親バカにしても限度があるな。死者がひとりも出なかったのは不幸中の幸いといったところか」
今回の騒動から2日が経ち、今はアノンのいる学園長室で事の顛末を話しているところだ。
幸い生徒たちは大きな怪我もなく無事に街へ戻り帰宅することができた。凶暴化した魔物についてもメリアの両親を含めてサーレン村の人たちは全員無事である。レッドオーガの群れのように特に凶暴化した魔物はすべて排除しておいてよかったな。
他にはあの山付近にいた冒険者が少し負傷したくらいで、大きな被害は出なかったようだ。