「……相変わらずのようだな、公女は」
柔らかな顔つきで見送る第1王子殿下。
この方とまともに顔を合わせたのは、もう何年も前の、学園だった。
いつも冷めた瞳で、無表情に過ごす印象しかなかったけれど、そんな顔ができる人だったのね。
「……逃げの猛者……迷いのない、逃げの極ぶり。
いっそ清々しいスタートダッシュだ」
どこか疲労感を滲ませ、諦めたような顔つきでため息を吐くのは、ロブール公子。
いつも耳にしていた噂では、元養女だった優秀な義妹には、甘い。
けれど無才無能で魔力が少なく、性格の悪い実妹には、いつも辛辣で手厳しいとの事だった。
でもロブール公女の噂と同じで、実際に2人がいる場面を2度も目にすると……違うのかもしれないと感じる。
「放しなさい、ミハイル!
あの出来損ないを追わなきゃいけないのに!」
暴れて、魔法を繰り出そうとするロブール公爵夫人は、悪魔でも取り憑いたのかと思うような形相で、息子を睨みつける。
その上、娘を出来損ないって……。
けれど魔法を使う素振りを見せた夫人に、王子と公子もまた、風や水を近くに発生させ、魔法で対抗する姿勢をわかりやすく見せる。
すると、ままならない怒りをどうにか抑えようとしたのか、夫人はフーフーと荒い息を吐いて魔力を散らせた。
夫人の噂も……違う。
こちらは確信を持ってそう判断せざるを得ない。
四大公爵家の内の1つ、ロブール公爵家当主にして、歴代の魔法師団長の中でも、随一の実力を持つとされる夫。
そして頭脳明晰、幼い頃から目覚ましい魔法の実力を発揮し、特に治癒魔法にかけては、通常の優秀さを更に抜きん出た才覚を持つ、優秀な息子。
そんな素晴らしい家族に恵まれた、社交界の先駆けだと、耳にした事があった。
本当に、もう随分前。
まだ私が聖獣の加護を授かる前よ。
そしてそんな頃から不出来な娘だと噂されていた、ロブール公女。
彼女が婚約者であった第2王子に無礼を働き、叱った際に、反抗した娘を夫人が誤って魔法で傷つけてしまった。
以来、夫人は魔法を使う事を、自ら禁じたという話は、その時期とても有名になっていた。
不出来な娘で、王族に無礼な態度を取ったのだから、そこまでしなくてもと、当時は同情が寄せられた。
それくらい貴族にとっては、魔力の高さや魔法がどの程度扱えるかは、一種のステータスにもなる。
けれど今は、どこまでが真実なのかしらと、疑問に感じるわ。
逃げる夫人をたまたま見かけて、思惑もあって公子から助けてから、約1週間。
近くに使っていなかった別荘を持っていたから、そこで匿っていた。
この間、私に見せていた顔とは全く別人のような、暴力的な言動に、面食らってしまう。
ヘイン様情報を婚約を解消してからも、ずっと集めていて、公女との親密そうな関係も知ってしまった。
2人が見かけなくなって随分経つ貴族の、趣味の為に使っていたアトリエで密会しているだなんて……正直嫉妬でどうにかなりそうだった。
でも気づいたの。
こっそり陰から見ていた時、ヘイン様が公女を見る瞳は、ふとした時に怯えが宿るって。
嫌がる素振りの彼を、無理に何処かへ連れて行く事もある。
気配を察知されないって、情報収集には本当に便利で、最近は特に、加護へ感謝する事も増えた。
ただ、彼を無理矢理連れ出す時は、後を追えない事がよくあるの。
それに公女の尾行は、どうしてもうまくいかない。
ずっとそれが不思議だったけれど、今しがた見た足の速さを目の当たりにして、納得したのは秘密。
最初からあんなに全速力で腕を振りかぶって、足を上げて疾走する人は初めて見た。
四大公爵家の令嬢というよりも、走りを極めた達人の域よ、アレ。
だから公女ではなく、ヘイン様の後をつけたり、2人のアトリエに行ったりしていた。
夫人がその近くにあった、ロブール家の別荘地に来たと知ったのは、そんな時。
公女と話せる機会をお願いできないかと、近くをうろついていたら、何かが壊れる大きな音を聞いて、駆けつけたの。