「ロブール夫人」
ロブール公子は、自分の母親に冷たく声をかけた。
「……ミハイル、お前っ……」
夫人は喉から絞り出すような、まるで怨嗟がこもっているかのような声をだす。
2つの同じ色合いの菫色の瞳が交わるのに、片方は底冷えするような、片方は怒りに燃えるような温度差。
ただ1つ。
どちらもそこに、親子の情が感じられない事だけは同じ。
この2人とロブール公女は本当に、血の繋がった家族なのかと思うくらい、似ていない。
今しがた見た公女はそれくらい、温かみと可愛らしさ、そして年相応の弾けた笑顔をしていた。
あれが巷で流行りの小説の、ギャップ萌えなのね、と妙に納得してしまったわ。
もしかしたらヘイン様も、してやられたのかもしれない。
こっそり二次創作なんかを、出版社に送った事もあるの。
作者が見てくれたら……嬉しい。
そんな気持ちで。
返事はその後刊行された後書きの、お礼の欄に書いてくれていた。
見た時は、天にも昇る心地だったわ。
冒頭は皆様へ、だったから、私の他にもそんな読者がいたのも、その時知ったけれど。
時々オリジナル……といっても流行りの小説の影響を受けてはいるのだけれど、小説も書くようになった。
最近出た新刊のイラストレーター様に、いつか私の小説も、と野望を抱いてしまう。
いえ、小説と同じね。
これからは他にも、イラストを描く人が出てくる。
イラストも少し練習し始めたの。
小説もイラストレーターも、きっと同志はいるはず。
いつかそんな集いを…………なんて、烏滸がましいかしら。
「あの時は不意打ちの魔法以外にも、どなたかの介入があったようだ」
冷えた菫色に見据えられ、思わずビクリと体を震わせて、現実に意識が舞い戻る。
立場上、私の加護を知らないはずもなく、当然事実なのだから、今更否定もできない。
公女の悪女的な噂もまた、違うのかしら。
だってこの人達のほうが、よっぽど悪女や悪人のようだもの。
けれど、と思い直す。
公女には突然、鞭で引き寄せられて盾にされたんだもの。
噂通り?
判断に迷ってしまって、ちょっとわからないわ。
もしかして、とハッとする。
あの溌剌とした顔に、してやられた?!
あの笑顔で小説で言うところの、推し認定というやつを、知らずやってしまったの?!
でもヘイン様と密会しているのを知った時は、もしかして彼を手に入れる為に、公女がひと芝居打ったんじゃないかと、そう思ったのも事実で……。
公女の婚約者だった第2王子の暴言が、日々エスカレートしていたのは、ヘイン様情報を集めている時から、知っていた。
これに関しては、間違いなく事実。
その後突然第2王子が療養を取り、2人の婚約が解消され、第1王子が臨時講師として学園に突然赴任した時に、そう理由付けしていたようだもの。
言動を諌めきれていなかったヘイン様も、何かしらは咎められるだろうと、当時少なからず察していたし。
もちろん、それで除籍なんてあり得ない。
けれどもし、公女がそこにつけこんで、アッシェ公爵に示談をもちかけたとしたら?
第2王子からの慰謝料の件は、どうやら本当らしいわ。
身分が1番高い王族が、自らの婚約者に対する暴言を、認めた事になる。
それなら側近候補として、長い間常に側にいたヘイン様にだって、公女は請求できてしまう。
除籍処分となったなら、身分的にヘイン様は平民で、あの方は公女。
公女という立場を利用すれば、平民なんて好きにできてしまう。
けれど自分が直接見た現実が、噂を否定しているの。
「だが、もう後れは取らない。
次期当主として、あなたを邸の牢へ連行する。
現当主からの沙汰も、追ってあるだろう」
「は、沙汰ですって?!
ふざけないで!
私は何もしていないでしょう!
それに私はロブール公爵夫人なのよ!
お前の母親よ!」
とうとう夫人は怒りに任せて火球を放つ。
けれどそれは、ことごとく霧散してしまう。
「何をどうやったのか知らないが、初級程度の魔法なら、どうとでもなる」
息子の言葉で、夫人は更に逆上していく。
何か、とても嫌な気配が夫人からしてくる。
あの左手の中指にはめた指輪?
よく見れば、桃茶色の指輪に、黒い靄が絡みついている?
「何、あれ……」
思わずそう漏らすくらいには、禍々しい。
けれど他の人達は、全く指輪を注視しない。
もしかして……気づいていない?