『「あははは!
さあ、行くわよ!」』
「コココココココ!」
人の2倍はありそうなバシリスクが、夫人をその手に鷲掴みにする。
手ももちろんそうだけれど、それよりも足。
更に大きい。
緑のトサカのついたトカゲは、ポンと跳ねるようにして奥へと走り、飛び降りた?!
いえ、違うわ。
そう見えたけど、確かあっち側は急勾配になっていて、その先は海岸へ繋がっていたはず。
「待て!」
公子が叫んで結界から走り抜けるのと、チリ、とした殺気を首筋に感じるのは、ほぼ同時だった。
「待って!」
嫌な予感に、公子を静止しようと、今度は私が慌てて叫ぶ。
そして視界の端から、何かが彼に飛びかかるのも、それと同時に起こった。
「ヴァルァ!」
「きゃあ?!」
野太い咆哮に驚いて、地面にへたりこんだまま、両手で耳を塞いで叫んでしまう。
太くて鋭い爪で、今にも公子を引き裂こうと襲ったのは、熊のような体つきの、顔が兎。
兎だからって、決して可愛らしくなんてない。
牙を剝いて更に吠えるし、魔獣ではよく見かける赤い目は、爛々としていて恐すぎる。
「ここは結界内だ。
それに兎熊なら、公子の敵ではない」
私に気を使ってくれたのね。
隣に立つ王子は無表情ながらも、そう教えてくれた。
怖々と公子の方を見る。
彼は障壁で爪を防ぎながらも……どうして反撃しないのかしら?
何かを思案するように、眉根を寄せている。
「ヴァルァ!
ヴァルァ!
ヴァルァ!」
その間も、普通なら吹っ飛んでいきそうな力で、兎熊は障壁を攻撃し続ける。
王子の言う通り、公子の作る障壁はびくともしていないから、きっと大丈夫。
けれどやっぱり公子は、何か思案し続けている?
「……煮こみ」
ボソリと横から声が。
そちらを見上げれば、王子もまた、何かを思案している?
……煮こみ?
小腹が空いたのかしら?
__ヂリッ。
「ヒッ」
また殺気?!
今度は全身に針を刺すような殺気を察知して、本能的に恐怖で身を竦ませる。
「「「グォン!
グォン!
グォン!」」」
__ヴォン!
__ヴォン!
__ヴォン!
3頭の黒い蝙蝠の羽を生やした黒狼が、勢いよくどこかから飛んで来て、結界に向かって吠えた。
狼だとわかるものの、上向きの鼻は、どこか蝙蝠の顔にも似ている。
その3頭は咆哮と共に、牙をのぞかせた口から肉眼でも見える、揺らぎのような波動を出す。
私のすぐ脇にあった低木が、震えたかと思えば、弾け飛ぶ。
初めて目にするけど、昔騎士団の遠征に加わった時のヘイン様から聞かされた通り、威力がある。
波動に触れると体の内側に、もの凄い共振動を与えて、ダメージを受ける、だったかしら。
けれどそれは結界の外の事。
王子の張った結界の内側にいた私には、微細な振動すらも与えない。
「音波狼か……面倒だな」
恐らく公子を視界に捉えている王子は、無表情なまま、そう漏らす。
空間を完全に遮断して保護する結界には効かないけど、ただ壁を作るだけの障壁では、こうはいかなかったかもしれない。
それにしても公女がいた時に見せた顔は、どこに行ったのかしら。
「ヴァルァ!
ヴァルァ!
ヴァルァ!」
「「「グォン!
グォン!
グォン!」」」
安全圏にいる余裕からか、もの凄く騒がしい。
どうして急にこんなにランクの高い魔獣が?
走り去ったバシリスクもそう。
全て危険度B以上……多分……自信はないけど。
こんな時は引きこもり過ぎたと反省するわ。
反省しても、私の手に負えないのは間違いないから、そっと気配を消して成り行きを見守るしか……。
「ちょっと、やだ!
騒がしいから出てきたら、これ、何事?!」
「ちょっ、師匠!
いきなり前に……って、レジルス王子?!
ミハイル?!」
突然のハスキーな声と……聞き間違うはずのない声に、思考が停止する。
「……え、何で……ミラ……」
赤い髪と自分と同じ空色の瞳が、結界の向こうに見えた。
「ヘイン、様……」
きっと彼には聞こえないくらいの声が、知らず漏れる。
何年かぶりに、正面から見すえたあの人は……。
「ちょっと、ボーッとしてんじゃないわよ!」
「んぐぁっ」
背の高い、スラッとした美女に、お尻を蹴り飛ばされた後、ゴロゴロ転がった。