「ベル、アイツ殺そう」
前触れなく王女の肩にポンと現れた九尾の小狐。
殺意が漲っている。
小狐は俺の妹の腕に抱かれていたり、王女と契約していたりする聖獣キャスケットだ。
キャスケットは、王女のこめかみにできた傷をペロペロと舐める。
すると次第に傷が消えていった。
「ありがとう、キャスケット。
殺さないよ。
それよりピヴィエラの様子は?」
「……少し落ち着いた。
産卵で弱ってたところに、あの馬鹿公子と馬鹿王太子を退けただけで深手を負わされるなんて。
ホント、碌な聖獣契約じゃないね」
「……そうだね」
忌々しげなキャスケットに、王女は言葉少なく同意する。
軽く伏せられた藍色の瞳には憂いが見えた。
碌な聖獣契約じゃない、か。
聖獣ピヴィエラが赤ん坊だった王女を助けただけで、白銀の体には裂傷ができていた。
更に王女とピヴィエラの出会いから2年後。
王女はキャスケットと契約した。
あの時キャスケットは、これが本来の契約だと言っていた。
エビアスが言った、ピヴィエラの卵を手に入れて云々。
そして今のキャスケットの言葉。
ピヴィエラの契約者がこの時点で変わっていないなら、王女が存命中の契約者はアッシェ公爵家当主。
俺が知るアッシェ公爵からは、2代前の当主になる。
ヘインズからすれば曽祖父だ。
いつからか忘れたが、もしやと考えていた事。
それが正しかったと確信していく。
「ワフ」
(ミハイル、ラルフ)
不意に小さく鳴いて、物音をさせずにレジルスが隣に並ぶ。
気づけばラルフも隣にいた。
「ワフワフ」
(俺達は過去に飛ばされたのかもしれない)
どうやらレジルスも俺と同じ見解か。
俺が瞳の力で過去を視るのとは状況があまりに違う。
踏みしめる地面も、感じる風も、ふとした瞬間に触れる草木も、全てが現実だ。
そう。
俺達はベルジャンヌ王女が存命中の、過去に来ている。
そして……。
「ベル、ピヴィエラからの伝言だよ。
ラグォンドルを聖獣に昇華させ、ベルが正規の聖獣契約を結んで欲しいって」
キャスケットが王女に話しかけるのが聞こえて、無意識にそちらに目をやる。
未だに顔色の悪い王女。
圧倒的な魔力を保持し、高等魔法を使いこなす王女。
聖獣と正しく契約する王女。
そして……。
生まれた直後の赤ん坊を廃墟のような離宮に打ち捨てる、この時代の国王。
国王は俺達の時代では、賢王と呼ばれる先々代の国王じゃないのか。
聖獣に無体を強いる、アッシェ家を始めとする四大公爵家当主達。
これまで聞いたキャスケットの言葉が本当なら、俺の曽祖父の代のロブール家当主もまた、不当な契約で聖獣を縛りつけていたはず。
王女に石を投げつけ、罵詈雑言を吐いた王太子。
俺が幼い頃から【稀代の悪女ベルジャンヌを悪魔ごと討ち滅ぼした光の王太子】と語り継がれている、先代国王の瞳と髪色にそっくりだった。
俺の知る史実と、俺が目にしている過去の出来事が違い過ぎる。
「……この状態のラグォンドルを?
本気?」
「シャー!」
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!)
それはそうと、黒蛇の殺意が甚だしい。
王女の顔がもの凄く、不本意そうだ。
表情が乏しい質のようだが、それでもわかってしまう。
黒蛇は相変わらず長い体躯で障壁を締め上げながら、鋭い牙を覗かせる口を大きく開けて障壁に噛みついている。
確実に我を忘れている。
そういえば先程から王女もキャスケットも、黒蛇をラグォンドルと呼んでいる。
まさかいつぞやの魔の森で見た、青銀色の体躯をした聖獣ラグォンドルとか言わないよな?
「うーん……」
「それに私とラグォンドルとの間には何の絆もない。
となれば現存する聖獣とラグォンドルとの間で、聖獣の力を引き継ぎをさせる必要がある。
ラグォンドルを聖獣に昇華させるのは、その後」
黒蛇の状況に困惑するキャスケットへ、王女は話を続ける。
「かりにピヴィエラが引き継ぎをするなら、アッシェ公との契約を破棄させる必要が出てくるよ。
アッシェ公がそれを許すなんて有り得ない。
無理に破棄すれば、ピヴィエラが死ぬ。
それともキャスケットが私との契約を破棄して、ラグォンドルを昇華させる?」
「それはない。
ベルは僕との契約を破棄したいの?」
「それはない」
「ふふふ、だよね!」
王女もキャスケットもキッパリと言い切る。
更にキャスケットは、どこか嬉しそうに笑う。
巨大な蛇にとぐろを巻かれて視覚的には絶望的だ。
なのに小狐が愛くるしいからか、何か和むな。
「となるとラグォンドルが正気に戻るまで……」
「ならぬ」
王女の言葉を遮るようにして現れ、白桃銀の頭に腹ばいでダイブしたのは、白銀の竜。
ミニチュアサイズだが、聖獣ピヴィエラだ。