「………………彼らは?」
長い沈黙の後、手にしていた実験道具らしきビーカーをそっと置いて尋ねるのは王女。
藍色に金環の入った視線は、リリとレジルスと共に転移した俺とラルフへと注がれている。
あの部屋の床には転移陣が描かれていた。
転移陣は場所ではなく、王女を指定して転移するようだ。
「ワンワワン!」
はち切れんばかりに尻尾を振って王女の下に駆けるレジルス。
すっかりポチが板についている。
レジルスよ、飼い犬化してるな。
お前、俺達の国の王子だぞ……。
「もしかしてポチが拾ってきたのかな?」
「ワフワフワフ」
「うーん……言ってる意味がわからない。
リリ、危険はない人達?」
王女がポチ呼びしながらレジルスの頭を撫でる。
レジルスと王女で少なからず意志の疎通ができているようだが、犬語は理解できなかったらしい。
それにしても、王女が真っ先に確認するのが危険の有無?
「はい!
金髪の男はロブール家の遠縁で、厳つい顔の方は冒険者もしている従者です!」
リリも王女に話しかけられると、嬉しそうに王女の下へと行く。
殺意と当たりの強さが鳴りを潜め、子供らしい表情になった。
犬、違った。
猫を被っているように見えなくもない。
「ロブール家の遠縁……確かにエッシュに似てるけど……その瞳は……」
やはりこの顔は使えるなと確信したものの、王女が祖父をエッシュと愛称で呼んでいる事に驚きだ。
そういえば俺が猫だった時も、王女はこの瞳に反応していたな?
「ミハイルと申します。
こちらは従者のラルフ。
他国の貴族ですが、ロベニア国には内密に渡っております。
ロブール家の遠縁は間違いありませんが、今は家名を伏せておきます。
流行病に対応するベルジャンヌ王女に接触し、場合によっては支援する為訪れた、と言えば納得していただけるのではないかと」
貴族らしく礼を取る。
多くの国で貴族が取る礼だ。
ラルフも俺に倣う。
『教会に交渉したのは、王妃と私だ。
ベルジャンヌは日頃から王族としての役割を果たしていない。
それ故に、陛下は教会で奉仕するよう命じた。
誰から何を聞いたか知らないが、虚偽の噂に惑わされるな』
少し前に聞いたエビアスの発言。
更に猫だった俺が耳にした、アッシェ公爵や国王夫妻の言動。
そして俺がいた時代の事実。
蠱毒の箱庭周辺の結界は、ロベニア国と隣国とが共同で張り直しているが、結界を張った者は不明とされている。
流行病の発生源とされる流民。
彼らは自国へと戻り、ロベニア国のアドバイスを元に発展を遂げた。
王女を除く国王を含めた王族と四大公爵家による外交手腕。
これによりロベニア国は各国間にあった緊張状態を緩和した。
少なくとも俺は、そう教育を受けた。
しかし過去に来て目の当たりにした現実は、全くの逆。
王家と、少なくともアッシェ公爵家は、長きに渡り王女の功績を奪っている。
王女が生きた時代、ロベニア国は周辺各国と緊張状態にあった。
受けた教育の内、この部分は真実だろう。
嘘を伝える必要性は少ない。
だとするなら他国は、ロベニア国内に間者を放って情報を仕入れている。
王女の存在と真実を知っていても、不思議ではない。
「私は治癒魔法が使えますし、ラルフは体が頑丈で気も利く男ですから、王女のお役に立てるかと」
何はともあれ、まずは王女の側にいる理由を作ろうとアピールする。
「ワン!」
「私よりは劣りますね!」
レジルスは肯定のワンだと信じたい。
「でも今は人手がある方が良いかなって……姫様、全然休めてないから……」
リリは対抗心を露わにしすぎだろう。
そう思ったのも束の間、リリの言葉が尻すぼみになって消えた。
リリが心配そうに見上げる王女の顔を、俺も改めて窺う。
俺が最後に視た王女は10才の頃だ。
あれから恐らく6年程経過した頃。
美しく成長した姿にほっとする。
しかし王女の顔には今、疲れが色濃く出ている。
頬は年頃の少女と比べて赤みがなく、白い。
血色が悪いとまではいかないが、決して良くもない。
目の下には、薄っすらと隈が出ている。
このまま酷くなれば、まるで……。
「公……ミハイル?」
ラルフは普段のように公子と呼びかけたのだろう。
言い直した声で、俺は無意識に両手を強く握り締めていた事に気づいた。