「何でもない」
ラルフにそう言って、拳の力を弛めてわからないように息を吐いた。
王女の姿が、教会の地下で教皇の記憶を垣間視た時の姿と重なった、とは言えない。
『今すぐ僕達への命令も、そのふざけた魔法も解除して!
王族らしい扱いなんて一度もされてこなかったじゃないか!
ベルが義務なんて負わなくていい!
こんな国、もう無くなっちゃえばいいんだ!
だから……だから……』
『初めての命令が、こんなのでごめんね、キャス。
でも王族だからじゃないよ』
契約する聖獣キャスケットと王女の会話。
この時王女の体には赤黒い文字が刻まれていた。
更に赤黒い文字の上から白銀の炎が炙っては、別の文字を刻んでいく異様な光景。
壮絶な痛みに体を震わせて堪える王女の顔は、生きる事に疲れ切っていた。
死にたいわけではなかっただろう。
王女の凪いだ瞳には、絶望の類はなかったから。
しかし生きようとする程の意志も窺えず……結局、王女は白い灰となった。
王女の姿が、あの時視た姿に近づいている。
王女は何故死んだ?
あの赤黒い文字と白銀の炎が刻んでいた文字は何だ?
稀代の悪女は悪魔ごと討ち滅ぼされたと伝えられている。
つまり悪魔を内に封じて死んだのではないのか?
体に刻みつける赤黒い文字色。
アレは教皇の体から立ち昇っていた悪魔の力の色と酷似していた。
王女が死ぬ場にいた人間達を思い出す。
部屋の隅で蹲って震えていたエビアス。
暴行を受けた直後のように、顔を腫れ上がらせていた。
腰を抜かしたように座りこみ、驚愕と恐怖の混じる顔で震えるハディク。
互いを支え合うようにして、かろうじて立っていたベリード公女とニルティ公女。
2人は目に涙を溜めながらも、決して流すまいと堪えていた。
己が泣く事を許さない、という意志を感じた。
何かを覚悟したように、目に焼きつけるようにして、未来の王妃達は消え逝く王女を見つめていた。
そしてボロボロと涙を溢していた祖母、シャローナ。
嘆き悲しんでいた。
消し飛んだように天井がなくなった部屋の出入り口にはリリ。
シャローナのような悲壮感に加え、置いて逝かれる絶望も感じさせた。
祖父、ソビエッシュは王女が亡くなってから、その場に走りこむ。
未来の伴侶よりも、元婚約者を優先し、亡くなった事実に絶望していた。
王女が亡くなった場所は、どこだったんだ?
王女が亡くなった日は、いつだった?
「……防ぎたい」
誰にも聞こえない程、小さく呟きを漏らす。
王女を死なせたくない。
過酷な人生だけで死ぬなんて、哀れすぎる。
まだ年端もいかない、妹と同い年の少女じゃないか。
どうして、もっと自分本位に生きないんだ?
不意に妹の生き様が脳裏を過ぎる。
妹は魔力が少なく無才無能だと侮られても、かなり自由に振り切って生きてきた。
最古の聖獣とされるヴァミリアと契約していながら、決して周りに力を誇示せず、俺も含めた周りの悪感情を煽ろうが、貴族の教養は断固無視。
逃走にこそ全才能を極振りし、才能1つで荒稼ぎする破天荒で自分本位な人生。
……妹よ、いつ思い出しても人生楽しんでいるな。
兄としては……まあ、良い人生を過ごせているなら問題ない……いいんだ、それで……。
対して王女は素晴らしい魔法師だ。
2体の聖獣と契約もしている。
きっと才能も豊かな人間なのだろう。
だからこそ才能や魔法師としての腕を搾取する、王家やこの国から逃げる事もできたはず。
ふと疑問が湧く。
王女は何故、そうしなかった?
もしかして、そうできない理由があったのか?
本当に、聖獣の為だけが理由だったのか?
思い当たった疑問に、王女の死を遠ざける希望が灯る。
「ワフ」
俺の呟きは、犬の耳には届いたのかもしれない。
いつの間にか俺の隣にいたレジルス。
朱色の瞳と見つめ合い、同じ事を考えているのだと察する。
「ベルジャンヌ王女。
すぐに信じる事はできないでしょう。
しかし今ロベニア国内に広まる病が、本当に流行病であるなら、我々の国にとってと他人事ではないのです。
もちろん今はロベニア国の体面もあるでしょう。
内密にすると誓約魔法も結びます。
まずは私の治癒魔法がどの程度のものか、本当にベルジャンヌ王女の力になれるのかをご覧下さい」
まずは、王女の体を休める一助になる事から始めよう。
そして必ず、王女の死を防ぐ。
「……わかったよ」
俺だけでなく、レジルスとラルフの顔を個々に見やってから、王女は許可を与えた。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
ベルジャンヌが亡くなる際のシーンが気になった方は、No.399をご覧下さい。