「ポチ」
「ワン!」
俺はポチ。
人間名をレジルス。
王女に愛称で呼ばれた俺は、喜び勇んで王女の元へ走る。
勇みすぎて、うっかりと、ついうっかりと道中のぶりっ子未来の教皇の背中を、四つ足で踏み台にジャンプした。
王女の目の前へ、秒で移動する。
俺の時代の教皇は、初老に見えない中年男。
だがこの時代のリリは幼女に擬態しているからか、ひょろっこい。
「ふぐっ」
蛙が潰れたようなリリの声が後ろで聞こえた。
まあ良いだろう。
何せ俺は今、犬。
多少の暴挙に及んでも、攻撃力など高が知れている。
「ポチ!」
擬態幼女が怒りの声を上げても、知らん!
性別も中身も、王女を狙う野獣だ!
「ポチ……」
離れた場所で豚骨風スープを器によそうラルフが、何か言いたげに俺の名前を呟いても、知らん!
「ポチ、お使いをお願いできる?」
「ワン!」
(王女よ、もちろんだ!)
王女の目の前で、ゴロンと腹を見せたい衝動に駆られる。
だが俺は人間。
犬の構造上の諸事情から、一線だけは越えられないと踏みとどまる。
尻尾が勝手にブンブンと振れるも、下腹部は見せないようにして地面に伏せをする。
「ありがとう」
俺の意図は、全力のボディランゲージで王女につたわったようだ。
眦を極々僅か、気持ち程度に下げた王女は、かがんで礼を言いながら、俺の頭と顎を擦ってくれる。
俺に向かい、王女なりに微笑んでくれているに違いない。
王女が表立って優しげな表情へと崩すのは、残念ながら未来のロブール夫人、シャローナを見かけた時くらいだ。
もっとも他に人がいると、王女は決して笑わないが。
俺は犬だからな。
人にカウントされないらしく、何度か人知れず微笑む王女を目にした。
微笑んだ王女は、ある肖像画の姿へと成長しつつある。
幼い俺が魔法呪になりかけた際、一時的に隔離された城の離宮。
その一室の壁に隠されていた、小さな紙に描かれた姿に。
蠱毒の箱庭で初めて王女を見た時よりも、姿がずっと近づいた。
つまり……王女の死期が近い。
俺は王女の死を防ぐつもりだ。
猫と子兎だったミハイルとラルフ共々、地下牢にいた時に現れた初老の男。
あの男が俺達に手をかざした際、本能的に王女と離されると思った。
あの男が放った光から逃れた瞬間、光に飲まれるように猫も子兎も初老の男も消えていた。
それにしても王女の肖像画を描いたのは、誰なのだろう?
てっきりこの時代の国王だと思っていた俺は、この時代にきたからこそ勘違いに気づいた。
曽祖父が王女の肖像画を描くはずがない。
そう確信するほど曽祖父は王女を忌み、憎んでいる。
曽祖父はスリアーダのように、直接鞭打って王女を傷つける事はしない。
ただ頻繁に、相当量の魔力を消費する魔法を使うような無理難題を命令し、魔力枯渇という地獄の苦しみを味あわせて殺そうとしている。
自分の契約聖獣であるキャスケットに、王女が助力を求める事は許されていない。
聖獣の力に決して頼るなと、曽祖父が王女の真名に命じているからだ。
曽祖父は自ら手を下す事はせず、言外に死ねと告げて長年に渡り実行してきた。
今でこそ、王女には契約したラグォンドルがいる。
いざとなれば魔力補填をしてもらえる。
この事は俺、キャスケット、リリしか知らない。
曽祖父が知れば、どんな暴挙に出るかわかりきっているからだ。
ラグォンドルは契約して比較的すぐ、王女に信頼を寄せるようになり、聖獣としての力も1年程で安定させた。
王女の体も、昔より楽になっただろう。
だが、それは結果論だ。
王族の祝福名と、自ら定めた王族印に使う花。
まさか歴代の国王達が、王族を縛る隷属のような契約に使われていたとはな。
俺にも祝福名と祝福花は存在する。
しかし俺の時代には、祝福名を肉親にすら他言しない。
他言しようにも、本能的に忌避する。
祝福名を与える聖獣が危険だと、決して教えるなと、魂に干渉して激しい警告を受けるからだ。
その聖獣の名は、少なくとも俺の時代にも伝わっていなかった。
だが聖獣ピヴィエラが最期の時に口にした、アヴォイドという名がそうなのだろう。
名を聞いた直後は、正直ピンと来なかった。
王女がキャスケットと話すのを聞いて、名もなき聖獣の名だと察した。
「ポチ、おいで」
そう言って立ち上がった王女の後に続いて、人気のない場所へ移動する。
「今から君を私の離宮に転移させる。
スリアーダが隠れて何かしそうな隠し部屋を見つけて。
隠し部屋は地下の排水用通路の内、貧民街まで流れる川に繋がっている通路の近くにあるはずだ。
この花の形を覚えて」
説明する王女は幻影魔法を使う。
「スノーフレーク。
普通の植物じゃないよ。
球根に魔力の宿った魔植物の方のスノーフレークを、1輪で良いから持ち帰って」
王女の手の平に、鈴蘭に良く似た植物が投影される。
下向きの小花は白く、花弁の縁には緑の斑点がポツンと1つあった。
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レジルスがベルジャンヌの肖像画を見つけた経緯はNo.269、No.270に。
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