「お、おいっ」
思わず駆け寄ってレジルスの犬背を撫でてやる。
暴挙の主を見上げれば、無表情。
毒かもしれない物を愛犬……多分……そうであって欲しい……いや、きっと愛犬であるレジルスに飲ませても、表情は大して変わらない。
むしろ藍色の瞳に宿る、ちょっと興味本位感がある気がしなくもないが、俺は見なかった事にする。
「ケハッ、ケハッ…………」
恐らく人生で初めての暴挙を受けただろうレジルスは、暫くむせる。
ややあって落ち着いたのか、犬顔が王女を見上げれば……。
「キャヒィン、キャヒィン……」
おいおい、そこで悲壮感漂わせた声を出すのか?!
レジルスは批難するわけでもなく、犬顔に哀愁を漂わせて犬鳴きだ。
「うん?
何ともないでしょ?」
しかし王女は意に介さない。
何が悪いのかもわからない感?!
王女の情緒が死んでいる!
「クゥ〜ン、クゥ〜ン」
おいおい、今度は甘えた声を出して擦り寄った?!
レジルス、諦めない男!
「……もしかして、可哀想な感じかな?」
王女に動物愛護の感情が芽生えた、だと?!
まさか王女の情操教育だったのか?!
レジルス、お前はやる奴……ではなかったな?
「クゥ〜ン、クゥ〜ン」
こっちでいけると思ったらしいレジルスは、甘えた犬鳴きで王女に近づき、哀愁漂う犬顔で王女を下から見上げた。
「そっか、今のは可哀想な事なんだ?
弱い者虐めになったのかな?
ごめんね、ポチ」
しゃがんで膝立ちになった王女は、レジルスを撫でる。
「やっぱり魔力そのものが無い生物には、何も起こらないか。
副作用もなさそうだし……改良したら使えそうかな」
「王女、どういう事です?」
使えそう?
王女の思案する言葉に引っかかる。
「うん、時間があればだけど。
とりあえず、まずはこの花を魔法で必要分コピーする。
優先するのはフィルン族の体内にある毒への特効薬だから。
そうでしょう、リャイェン」
王女が呼びかける方を俺も見やる。
黒髪に金眼の男がドアの辺りで立っていた。
「ああ、そうしてくれると有り難い」
「思ってたより早く魔法抗体ができたんだね」
「多分、そっちの……何かロブール公子と似てんな?」
「彼はミハイル。
君の国とは違う国から調査に来たらしいよ。
他にラルフっていう従者もいる。
ソビエッシュ=ロブールには秘密にしておいて。
説明がややこしくなりそう。
面倒臭い」
「ふーん……ま、俺がベルって呼ぶ度、睨みつけてくるベルの怖い婚約者とまともに話す機会なんてないだろう」
俺をじっと見て肩を竦めるリャイェン。
どうやら祖父と面識があるらしいが、王女を愛称で呼ぶとリャイェンを睨みつける?
もしかして……嫉妬か?
いや、まさか愛称を呼んだだけで?
「俺はリャイェン。
ベルから聞いたかもしれねえけど、フィルン族長の息子だ」
俺が祖父とは違うイメージに内心戸惑っている間に、いつの間にかリャイェンが目の前に来ていた。
リャイェンはニカッと笑って手を差し出す。
「ああ、ミハイルだ」
反射的に握り返して……ふと俺の時代で出会った祖母の護衛、ルカの顔がチラついた。
そうだ。
ルカとは違う髪と瞳の色だが、顔立ちがどことなく似ている。
ルカがあと数年、年を取ればこんな面立ちになっているかもしれない。
「へえ……」
どちらともなく手を放すと、リャイェンがどことなく感心した素振りを見せた。
「何だ?」
「ミハイルもロブール公子と同じく、偏見は持ってねえんだ?」
「何故だ?
理由がわかっているのに、触れ合う事を拒む必要はないぞ。
病気由来であれば、対処は必要だが」
「ブハッ。
そうじゃねえよ!
同じ顔でも、こっちは天然だな!」
「な、何がだ?!」
言っている意味がわからない。
毒なら接触しても……。
「いや、何でもねえ!
ワハハハ!
うん、俺、ミハイルの事気に入ったわ!」
「ど、どういう事……おいっ、力が強いな!」
リャイェンが上機嫌で俺の背中をバンバン叩き始めた。
病み上がりのくせに、力が強い。
何で気に入られたのか、さっぱりわからない。
「そんなに気に入ったんだ?」
「おうよ!
ロベニア国のいけ好かねえ奴らと接してたらな!
ベルにも好意的だし、どうやら助けてくれたみてえだし、同じ顔したロブール公子みたいに睨み利かせてこねえし!」
「エッシュが私の周りの人間を睨むのは趣味だよ」
王女よ、祖父の睨みは趣味じゃない。
ただの恋馬鹿だ。
祖父の初恋が王女なのかまでは知らないが……。
普段レジルスの初恋馬鹿に付き合う俺は、祖父とリャイェンの間で何があったのか察した。