「ベルジャンヌ様!」
肩の上にいたキャスがフッと消えたと思ったら、聞き覚えのある声。
同時に馬が駆けてくる音もする。
今日は明日の満月を控えた日中。
僅かな期待をしながら振り向けば、予想通りシャローナが馬に乗っていた。
「ベル、やはり神殿にいなかったのか」
予想外なのは、ロナの後ろで馬に跨っていたのがソビエッシュだった事。
チェリア家当主はいないらしい。
私の印章で封蝋をした手紙は、無事にチェリア家当主へと届いたはずだけど……。
届けたのはキャスではなく、ラグォンドル。
キャスには頼めない。
キャスの力を私的に使うと、国王との誓約に引っ掛かる。
チェリア家へ送った手紙が、国王にバレかねない。
思っていたより早く、私の母親、アシュリーを王家から逃がしてやれそうだ。
ミハイル達がいたお陰だね。
その為にも、できるだけ長く国王の目を欺き続ける必要がある。
更に、国王が考える裏をかかなければいけない。
それだけ国王は、アシュリーに執着している。
エッシュは何となくわかるって言ってたけど、私には良くわからない。
自分勝手な馬鹿男って言ったキャスの言葉の方が、しっくりくるんだけどな。
チェリア家当主は今夜、神殿に来るだろうか?
もしアシュリーを取り返したいなら、隣国へチェリア一家全員を亡命させる方が一番安全だ。
でも侯爵から伯爵になったとは言え、貴族の立場を捨てられるかな?
……他の人達はともかく、ミルローザがいるから無理だろうな。
領民の事なら心配いらない。
むしろチェリア家が手を引いた方が良い。
チェリア家の領収が長年減っているのは、先代と今代の国王に頼まれたニルティ家のせいだ。
契約してる聖獣ドラゴレナを使って、作物を不作にしてる。
ドラゴレナは元々魔獣アルラウネで、土属性の魔力を持つ。
作物の成長をギリギリ伯爵家を維持できる程度に、阻害してる。
全てはチェリア家に行方不明となったアシュリーを探させず、行方不明の理由を知っても、口外させない為の措置だろう。
もう1つの案は、アシュリーが隣国へ渡ったように見せかける事。
1番良いのは、チェリア家現当主がロナの父親に代を譲って、アシュリーと親子2人で辺境辺りの土地で静かに慎ましく生きる事。
アシュリーが平民として独りで生きられるなら、とっくにどうとでもなっていた。
けど高位貴族の令嬢として育ったし、精神的に不安定だから難しい。
でもアシュリーが表舞台から消えて、約20年。
ロナだけでなく、私の祖父でもあるチェリア家当主の現在の考えがわからない。
ただ少なくとも、彼は私と会おうとはしていたみたいだ。
全部国王とスリアーダが握り潰していたけど。
私も命令が多すぎて、これ以上守る人間を増やせずにいたから、あえて接触しなかった。
彼がいつ自分の娘の生存に気づいたのかは、正直わからない。
ただ決定的になったのは、ロナと私の入学式。
私の外見が、公に知れ渡ったタイミングだった。
でも私とロナが初めて出会ったのは、実は何年も前。
過去1番の魔力暴走を起こした後。
亜空間収納から出た時だった。
あの時は、亜空間収納の出口座標が狂ってしまった。
体も疲れ切っていたから、すぐに帰る気にもなれなくて、今見えてる、あそこの木陰で転がって眠った。
貧民街の治安は悪いけど、暴漢ならキャスの眷族が防いでくれるし、スリなら盗る物はない。
服を剥がされるくらいで、城で寝るより安全だと思って寝た。
『死んじゃ駄目!』
何を勘違いしたのかな。
貧民用の炊き出しに参加してたロナは、そう言って私の頬を無駄に叩いて起こした。
『ほら!
コレ食べて!
飲みこんで!』
『……』
更にパンを私の口にねじこもうとしたロナを、寝ぼけた私はスリアーダの仕向けた暗殺者と勘違いした。
『へ?
いたたたたた!』
ロナを地面に転がして押さえつけ、踏んづけながら落ちたパンを齧った。
以来、私は暇を見つけて貧民街や、その近くに住む子供に文字を教えるようになった。
もちろん身分を隠し、髪と瞳の色は変えている。
本来の私の姿から、ロナは何か察したんだろう。
初対面の時、王家の特徴である髪の銀はローブで隠していただけだったから。
常に敬語を使うロナも時々、手伝いだと言って混ざった。
貧民街近くの平民も混ざるようになって、治安がマシな場所にたまり場を移して教えていたら、私の行動を瞳の力で察したエッシュも混ざった。
ロナが血縁上の従姉妹だというのは、すぐに気づいた。
ロナの髪色はアシュリーの兄譲りだし、金環を除けば私と同じ瞳の色だったから。