「来週の学園祭後にある後夜祭。
そこでエビアス王太子が重大な発表をする。
お前はその為に、当日はある人物の世話をしろ」
人気のない校舎横を通り過ぎようとして、不意に聞こえたのはハディクの声だろうか?
風属性の魔法が得意なせいか、俺の耳はかなり良い。
微かな声を、正確に拾う。
「こっちだ」
そう声をかけたのは、ソビエッシュ=ロブール。
未来でミハイルの祖父となる男だ。
諸事情から、共に行動を始めた。
ソビエッシュは空き教室のベランダの手すりを乗り越え、開いた窓近くの壁に体を預ける。
どうやらソビエッシュも耳は良いらしい。
俺も後に続いて、ソビエッシュの後ろで耳を澄ませた。
「当日ですか?」
女生徒の声か?
どこかで聞いたような……。
「モニカ=ニルティ。
何か問題でも?」
「最終学年の副生徒会長として、会場の指揮を取っているかと」
思い出した。
この時代の学園に、初めて飛ばされた時だ。
ミルローザに絡まれるミハイルと、1度だけ聞いたニルティ公女の声だ。
「ベリード公女に任せれば良い」
「ベリード公女は王太子殿下の婚約者として、国王夫妻や王太子殿下の側にいなければなりません。
それに私は貴方の婚約者ですが、当日はどうなさるのです?
後夜祭には国王夫妻だけでなく四大公爵家、ならびに高位貴族も出席します。
両家の体面もあるかと思いますが?」
至極当然な事しか言っていないニルティ公女。
なのにハディクは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ふん。
いつまで俺の婚約者気取りでいるつもりだ。
お前との婚約は、もうじき解消となる。
俺は別の者と婚約する。
どうやらお前の父親であるニルティ公は、お前にまだ伝えていないようだな」
「……そうですか」
ニルティ公女の声音が、幾らか低くなる。
「ふん、縋るどころか、表情すら変えんとはな。
最後まで可愛げのない婚約者だ」
「……」
ニルティ公女は押し黙っているが、パラリと軽く何かが擦れる音がしたな?
扇子か?
「何だ、虚勢を張っていただけか。
ふん、扇子で顔を隠して、後悔した顔でも隠したつもりか。
今さら後悔しても遅い。
女としては行き遅れとなりそうな年だが、ニルティ家の金と権力を使えば、次もすぐに見つかるだろう。
次はもっと可愛げのある女になるんだな」
なるほど。
やはり扇子の音か。
貴族の女子は感情を見せたくない場合、扇子を使って口元や顔を隠す事がある。
ニルティ公女は、ハディクの言うようにショックを受けているのか?
「当日は、スリアーダ王妃に嫌われているベリード公女より、もっと優先するべき者が現れる」
「まさかとは思いますが、王太子殿下も婚約を解消されるわけではありませんよね?」
「さすがにベリード宰相が許さない……そうか、お前……くっ、あははは!」
ハディクが何かに気づいたように、高笑いし始める。
感情が豊かな奴だな。
そういえば俺の時代のハディクは、王女の死後にどうなったんだ?
記憶では、ハディク=アッシェという男は存在していなかったような?
と言っても歴史は嫌いだし、学園に入学するまで四大公爵家と俺が関わる事は、一生ないと思っていた。
まさかラビアンジェ=ロブールが、俺と同じD組になった上に、同じチームになるなんて、誰が想像できただろう。
「俺と婚約を解消して、エビアスと婚約するとでも思ったか!
あははは!
酷い勘違いだな、モニカ!
お前ごときが、王妃でも狙ったか!
あははは!」
ハディクよ、モニカ=ニルティは未来で王妃となるんだぞ。
勘違い野郎はお前だぞ。
もしかすると王妃となるきっかけは、ハディクとの婚約解消か?
ハディクの高笑いが響く中、ソビエッシュの表情が凍てついたものに変わった事に気づく。
ソビエッシュはミハイルと違い、完全なる公子のイメージが強い。
別にミハイルが不完全と言いたいわけではない。
ソビエッシュが自分の感情を隠しきる様が、俺の中の高位貴族そのものなだけだ。
そういう意味でなら、ミハイルよりラビアンジェ=ロブールの方が高位貴族らしい一面があるのかもしれないな。
「くっくっ、最後に婚約者らしく笑わせてくれたお前に、教えておいてやる。
エビアスは側室を迎えるが、お前は王妃にも側室にもなれない。
ああ、俺の婚約者のままでいようと、無駄な抵抗はするななよ。
ソビエッシュ=ロブールの婚約に空きが出るから、ロブール公爵にでも今の内に媚びておくんだな」
ハディクは言うだけ言って、教室を後にした。
直後、冷ややかな殺意が、俺のすぐ前にいる人物から放たれたのは、言うまでもない。
「やったわー!
きゃー!
念願叶っての、婚約解消ぉー!
お父様、珍しく良くやりましたわー!
ありがとう、ありがとう、ありがとぉー!
きゃー!」
直後、そんな歓喜の叫びが聞こえた。
カタン、カタンと2回音がしたな。
扇子を放り投げて、天井に当たって、床に落ちたのか?
誰の声かは言うまでもない。
しかし全くの予想外だったのもまた、言うまでもない。