「ワン!」
「レジ……ポチ」
ソビエッシュの付き人として、ロブール邸を訪れてから2日後。
学園祭の2日前だ。
御者を兼任してソビエッシュと共に城へ向かい、城内の馬車停に馬を停めれば、どこからともなくレジルスが駆けて来た。
「お前、ベルの……」
ソビエッシュも馬車の中から出てきた。
「ワンワン!」
ポチが吠えて、首輪を後ろ足で引っ掻く。
「「……」」
痒いのかと思って無言で見守れば、ポチが無動無言になり、目が合った。
「ワンワン!」
ポチが再び吠えて、再び首輪を後ろ足で引っ掻く。
やっぱり痒いらしい。
「「……」」
再び無言で見守れば、ポチも再び無動無言。
互いに見つめ合う。
「首輪の亜空間収納に干渉して、何かを取り出せと言っているんだろう」
陽に反射したのか、透明度が増した瞳でポチを見やったソビエッシュが、そう言ってポチの横にかがむ。
首輪の裏側に指を這わせた。
そうなのか。
俺に犬語はわからない。
すまない、ポチ。
「グルルル……」
「これは何と言っているんです?」
ポチが眉間に皺を寄せ、唸り始めた。
よくよく思い返せば、ミハイルもポチの犬語をどこか理解しているような様子を見せていた。
魔力の高い四大公爵家ならば、息を吸うように魔法で犬語を解読できるのかもしれない。
そう思って尋ねてみる。
「……お互い様だ。
ベルは私の婚約者だという事を忘れるな
…………どういう意味だ?
ソビエッシュは突然、犬に向かって何を言っている?
思わず首を捻ると、首輪の辺りから忽然と小瓶が現れた。
「所詮、ベルの愛玩動物に過ぎないこの犬は、私が気に食わないらしい」
「……そうですか」
小瓶を手にしたソビエッシュと、未だに唸るポチ。
睨み合う両者の間には、火花が散っているような幻覚が見えた気がした。
きっと気の所為だろう。
「ロブール公子」
その時、後ろから声をかける者が現れた。
「アッシェ公爵」
声だけで判断したんだろう。
ソビエッシュは小瓶を上着の内ポケットに入れてから、後ろに立った男へと振り返る。
「どうかしましたか?」
「単刀直入に聞く。
今日、ここへ呼ばれた理由を父親から聞いているか?」
「ええ、もちろん」
少し赤みのある黒髪を、オールバックで後ろに流した男。
赤紫色の瞳は、聖獣ピヴィエラと同じ色だ。
10歳だった王女にピヴィエラを亡くした責任を押し付け、慣れた足取りで王女を地下牢へ連行した光景は、絶対に忘れない。
「ヴウゥゥゥ」
睨みつけたくなる衝動が湧くも、ポチが本気で唸っているのを耳にして、堪える。
俺が下手な行動を取れば、ポチが危険に……。
「ふん、相変わらず可愛気がない野良犬だ。
王女に相応しい、小汚い野良犬が。
首輪さえなければ、焼き犬にしてやるものを……」
アッシェ公爵がポチを睨みつけ、吐き捨てた言葉に緊張感が霧散した。
どうやらアッシェ公爵は、既にポチへ何かしらの危害を与えようとしたらしい。
王女がポチに着けた魔法具で、ポチは無傷。
多分、そういう事だ。
「そんな犬、放っておけば良いのでは?
野良犬など、頭の程度も知れているでしょう。
四大公爵家当主が気にする事ではないかと。
もちろん私も、ベルジャンヌ王女の犬になど興味もありません」
「ふん、それもそうだな」
ソビエッシュ。
ポチと遭遇して早々、睨み合ったのは誰だ。
あれからまだ、数分も経っていない。
もちろん今の俺は、御者兼侍従。
本来の俺自身も、下級貴族の次男だ。
立場を弁え、馬車横にそっと移動して気配を消して、目も合わせない。
「理由は父から聞いています」
「ならば何と返事をすべきかも、理解しているな」
「もちろんです」
「そうか。
やはりベルジャンヌ王女との婚約は、父親のロブール公爵が無理を言って公子に押しつけたのか」
アッシェ公爵が、ソビエッシュの返答で気を良くしたように、饒舌になる。
「我がアッシェ公爵家も、ベルジャンヌ王女などと政略的な理由がなければ、ハディクに嫁がせようとは思っていなかったのだ。
王女と名ばかりの、平民の血が流れる、使えん小娘だからな。
ハディクと婚約していたニルティ公女にも、悪いと思っている。
だが王女を王家から遠ざけるなと、国王両陛下から命じられてな。
アッシェ公爵家はスリアーダ王妃の生家だから、ロブール公爵家よりも王家に近いだろう。
だがベルジャンヌ王女がハディクと婚姻を結んでも、城で住まわせるつもりだ。
ハディクもエヴィアス王太子の側近として、城にいる時間か長いから、夫婦生活は送れるだろう。
ロブール公子がニルティ公女と縁を持ちたいならば取り持つし、ハディクの婚姻して王女がハディクの子を1人産めば、ロブール公子に貸し出してもかまわない」
「なるほど。
ベルジャンヌ王女は私と婚約を解消すれば、城から出る機会も無くなり、物のように扱っても良いと……」
ソビエッシュが公子らしい笑みを、アッシェ公爵に投げる。
しかしアッシェ公爵から見えない位置にある拳は硬く握られ、白くなっていた。