「月が高いな」
空を見上げれば、月の位置が高い。
さっきドンドンと花火が上がる音がしたから、後夜祭が始まってしまった。
急がなくてはと思うも、魔力が乱れた状態では、転移で謁見の間から離宮の近くへ移動するのが精一杯。
体の聖印が魔力で抑えられるとわかって、魔力はそちらに割いている。
お陰か、聖印の進行は落ち着いて、体表からは消えたように見える。
体の内側に移動しただけかもしれないけど。
私が住む小屋には学園に繋がる転移陣があるからと、徒歩で向かっている。
ガサリ、と背後で枯れ葉を踏む音がして、袖口に隠した暗器に手をやる。
謁見の間では一切使わなかったけど、いつ魔力枯渇しても暗殺に対応できるような対策はしていた。
「ベル、私だ。
良かった、探し……ベル、その聖印は何だ?!」
「エッシュ?」
ホッとした様子のエッシュが、突然顔色を変えた。
慌てて走り寄って、私の肩に手を置く。
金緑の瞳が煌めいているから、エッシュの瞳的には、未だに聖印が健在だったんだろう。
「何があった?!
どうしてこんな……」
「エッシュ、落ち着いて」
「ベルこそ落ち着きすぎだ。
放っておいて良いような聖印じゃない」
「こういう時こそ、落ち着いて状況確認だよ。
どうしてエッシュがここに?
というか、そんなに汚れているのは珍しいね」
するとエッシュは、顔を顰めて大きく息を吐き、軽く吸って、吐いた。
「ちょっと地下牢にいて、エビアスに魔力を吸われた。
魔力枯渇が落ち着いたから、ベルも知っているラルフとポチが見つけた隠れ通路を使い、脱出したのだ。
ベルがこんな所にいると思ってなくてな。
エビアスから学園祭で裏方をしろと言われていただろう?」
「ああ、忘れてた。
それよりエビアスに魔力を吸われたって、何?」
「忘れていて良い。
そのままの意味だ。
エビアスから黒い靄がでて、黒い人型のシルエットが現れた。
シルエットと話したエビアスが、私に手をかざすと、魔力が吸い取られてしまった。
エビアスはすぐ去ったし、ラルフとポチが隠し通路から居合わせて、エナDを飲ませてくれたものの、暫く動けないでいた。
やっと動けるようになって、ベルの小屋の中の転移陣を借りようとしていたところだ。
私はベルの小屋に承認されているからな。
エビアスが学園祭に向かえば、必ずベルと鉢合わせするだろう」
色々と新事実が出てきたな。
エビアスは元々、色々な人間の魔力が詰まったポーションを飲んでいた。
黒いシルエット……まさか悪魔?
スリアーダは悪魔への警戒心から壁を作っていて、取り憑かれていたのとは様子が違っていた。
でもエビアスは……エビアスの性格なら、悪魔の甘言には普通に乗ってしまいそうだ。
もしエビアスが悪魔に取り憑かれて、他人の魔力を吸い取れるなら、ポーションよりも手軽に魔力を増やせる。
でも人の器には限りがあり、魔力枯渇で死にそうな苦しみと引き換えになら、器が大きくなる。
でもエビアスはそんな苦しみを味わっていなそうなんだよね。
なのにエビアスの魔力は、昔と比べれば、極端だと言えるくらい増えている。
もし、もう1つ魔力を増やす方法があったとしたら……。
【魔法呪は魔法とは似て異なるもの。
万物の理を歪めし悪魔の力に頼りしもの。
呪う者、呪われる者のどちらも不幸にせしもの。
決して使う事なかれ】
万物の理を歪めし悪魔の力……なら、器の限界突破もできるんじゃ……。
「なあ、ベル……いっそ、私と二人でロベニア国を出ないか?」
エッシュが不意に、絶対口にしないような事を口にして、思わず顔を見上げる。
エッシュの顔がクシャリと歪んでいて、長年の付き合いなのに、初めて泣きそうな顔を見せた。
もしかして、謁見の間で起きた事を視た?
「せめてベルの体が、本当の意味で成人するまではと、婚姻するのを待っていた。
婚姻すれば夫として、こんな生死と隣り合わせの、悪意ばかりの環境から、すぐに連れ出せると思っていた。
ベルの体が幼いのは、生まれてすぐに時間を止められていたからだ。
だけど今日、ベルの体は成人した。
元々私達はこの国の法律上、成人している。
家から出奔して貴族でさえなくなれば、平民は自由に籍を入れられる」
「ああ、そう言えば……」
今日は私が生まれた日だった。
誰に祝われるでもなく、キャスケットとラグォンドルは元々魔獣だったから、人間と違って誕生日の概念がない。
まさかエッシュが私の誕生日なんて、覚えていると思わなかった。
それも体の年齢を数えていたなんて。
国王の目があるから、私達の婚約者としての交流は最低限だったし、誕生日を祝い合う事もなく過ごしていたのに。
「もう、ベルが傷つけられるのも、良いように扱われるのも……こんな……酷すぎるだろう」
そうか。
エッシュは、もうずっと長い事、もしかすると最初から私の境遇に同情して、婚約を結んでくれていたのか。
「ありがとう、エッシュ。
同情からでも嬉しいよ」
「違う、同情じゃ……」
「でも、駄目なんだ……私は聖獣達を見捨てられない。
それにもう、私には時間が残っていない」
「ベル、それはどういう意味……ベル、何の魔法、を……」
エッシュに睡魔の魔法をかける。
魔力枯渇に陥ったなら、休息を取らないと低体温になったりして命が危なくなる。
ガクンと両膝から崩れ落ちそうになったエッシュの体を支えて、寝かせる。
「シャローナと、ついでにチェリア家も。
きっとこれから、悪意と殺意に襲われる。
シャローナは、物理でなら魔法をかけてあるから守れるけど、それ以外の事からは難しい。
チェリア家ごと守れるのは、四大公爵家の中でもロブール家だけだと思う。
エッシュ。
私の代わりに守って。
最初で最後のお願いだ」
「……待っ……て……」
エッシュの上にポケットから出した、保温用の魔石を乗せて、小屋に向かった。