「あんな綺麗なお姉さんに介抱されてたのは、正直羨ましいけど」
「顔なんか、全然記憶にねえわ。
そもそも見てなかった気がする。
だけど連絡先も聞けてないとか、俺の弟は薄情だな」
「仕方ないじゃんか。
聞こうとしたら、断られたんだよ」
「まあ、ゲロまみれの男のツレに、今時言わねえか」
めちゃくちゃ吐いたもんな、俺。
「まみれてないよ」
「あ?
なわけないだろ。
間違いなく吐いたぞ?」
「まったく、吐いてた記憶はあるんだね。
保冷バッグだよ。
弁当入れるやつじゃなかったのかな」
「保冷、バッグ……」
ふと何かのキャラクターが脳裏を過ぎる。
『保冷バッグだから、すぐに液漏れなんてしないわ。
ここで床に吐き散らかすよりいいでしょう。
いいから、さっさと吐きなさい』
言葉は強めだったけど、綺麗な声で……そうだった……何かのご当地キャラクターみたいな、奇怪な柄刺繍入り保冷バッグを差し出して……。
『ぅおえっ』
『そうそう、それでいいの。
ほら、全部吐いて。
我慢して、後から目も当てられない大惨事になるよりマシでしょう』
背中をポンポンしてた、柔らかそうな手の平の感触を思い出して、めまいがしそうになった。
「そういや……あ〜、やらかしたな!
つうか普通、そんなん差し出すか?」
「お陰でトラ兄はタクシーに乗って帰れたんだよ。
まみれてたら、乗車拒否されたよ」
「マジか……我慢出来なかったんだよなぁ」
「ああいう時は、吐いてアルコール出しとかないと、病院行きにだってなるんだから、吐いて良かったんだよ」
「あれ?
で、それどうしたんだ?」
せめて洗って……いや、新しいやつ買い換えてもらって……。
「そのまま持って帰ってたよ」
「マジかよ?!
あの駅の近くに住んでたのか?」
持って帰ってたって事は、どっちに向かって歩いてたかくらいは見て……。
「違うと思うよ。
ささっと携帯でタクシー2台呼んでくれて、その時ついでにビニール袋も貰えないかって頼んでた。
多分、保冷バッグを入れるつもりだったと思うよ。
俺達乗せた後、すぐに自分ももう一台に乗ってたから。
トラ兄介抱してて、終電逃したみたいだね」
そういやあの時、急いで改札の方に向かってる奴らもいたな。
彼女も……外から中に入って来てた気が……。
「連絡……先は、知らねえから、何か手がかり……」
「はぁ……だから無いよ。
でもハイ、これ」
味噌汁を置いた弟が、スケッチブックを持って来て、見せてくれた。
趣味で絵を描いてんだが、なかなか上手い。
「……美人だな」
年は20代真ん中から後半くらい?
切れ長の、奥二重で、左の目元にホクロがあって、色っぽい。
モデルでも通用しそうな綺麗系の顔だ。
肩のあたりまでしか描かれてないが、シャツにスーツっぽいな。
「いかにもデキるOLって感じの人だったよ。
見た目より年上かもしれないね。
テキパキ動いてたし、タクシーも呼び慣れてる感じだった。
あとこれ。
多分、昨日の人のハンカチでしょ?
握りしめてたよ。
一応洗って、アイロンもかけといた。
次付き合うなら、ああいう人にしてよね。
トラ兄は今日非番でしょ?
ゆっくりね。
それじゃあ、大学行ってくるよ」
「ああ、行ってらっしゃい」
微かに記憶にあった白いハンカチを受け取って弟を座ったまま、見送る。
ズズッと味噌汁をすする。
「はぁ……うちの弟、良いお嫁さんになりそうだな。
うめえわ」
独り言ちて、白い花の刺繍がされたハンカチと、もう1回スケッチを見て……。
「はぁ……せめて連絡先……まあ、無理か」
ブルッと携帯が震える。
元カノからだ。
言い訳がましい冒頭に、またため息を1つ。
携帯を伏せた。
「確か結婚相談所で働いてた友達が、婚活アプリとかってのの、テストモデルをお試しでやらねえかって言ってたな。
まあ、結婚相談所よりはお手軽……か?
ある程度身バレしてるテストモデルなら、安心っちゃ安心……か?」
誰にともなく、そう呟いた。
その日の午後。
気晴らしに外で飯食ってたら、後ろの席から昨日聞いたばかりの声がして。
意を決して振り返ったら、弟の絵で見た通りの女性だった時には驚いた。
声を掛けようかと思ったものの、昨日の今日だし、ストーカー事件とかも出てきてる昨今だ。
弟が連絡先を聞いても拒否られたって事だったし……と悩んでる間に、いなくなってた。
運を天に任せて、結婚相談所で働く友達に速攻で連絡入れた。
※※※※
「結局あの時のハンカチは、月和にハンカチ返してカミングアウトしてからプロポーズしようと思ってた日に、元カノに襲われて捨てられたんだったな。
でも友達に連絡取ってみて正解だった。
約半世紀も夫婦やって、死んでからも惚れ抜いた奥さんと出会うんだから」
しかも俺の次の転生は、俺が元いた世界からすれば、異世界だ。
アヴォイドは俺と月和の繋がりが切れたら、俺は元の世界に還るって思ってる。
けど、月和はラビアンジェとして、この世界に俺の名前を無意識に広めた。
デザイナーの月影。
作家のトワ。
俺と自分の名前を繋げて、ラビアンジェが広めた名前は、俺をこっちの世界に縫い止めるくらいには、俺の魂に影響力を与えている。
ただし1度こっちの世界で転生したら、もう2度と俺と月和の子供達がいる世界に戻る事はできないだろう。
そんな気がしてる。
子供や孫と巡り会えなくなると思うと、寂しくはある。
けど俺の1番は、月和なんだから仕方ねえ。
次がいつ、どんな形で月和の魂に会うのかも、その時影虎の記憶があるのかもわかんねえ。
でも、絶対俺達の魂は惹かれ合うって信じてる。
「またな、月和」
そう言ってから、輪廻の輪へと入って行った。
これにて影虎視点の、黒歴史な月和との本当の出会いは終了です。
恐らく次章で約3年書き続けた【稀代の悪女】は完結するかと。
次章が完結したら【IF影虎が転生したら〜】みたいな千文字くらいの小話を幾つか投稿する予定にしております。