「いらっしゃい、モニカ。
あなたの可愛い甥孫が、顔を見せに来たのでしょう」
ウォートンからトワの新刊を受け取った日の夕方。
そう言って、呼び出した私の手元を見ながら、人払いした自室に招いたのはブランジュ。
私とブランジュは、四大公爵家の公女として、ロベニア国の王妃として、今は先代王妃と王太后として、長い人生を共に歩んだ。
私にとってのブランジュは、人生のパートナー。
昔から……そう、もうずっと昔から……。
「座ってちょうだい。
トワの新作が出たのでしょう」
いつものソファに私が腰掛けた直後、ソワソワした様子でブランジュが私に尋ねる。
朱色の瞳は、もうずっと私が手にするトワの新巻に釘づけね。
思わず唇が孤を描くのを、自分でも感じる。
そんなブランジュの表情は、ベルジャンヌ王女が亡くなり、王妃となってから冷たく強張っていた。
ジルガリムが国王に即位し、ソフィニカが王妃となった事で、名実共に表舞台から降りた後も、ブランジュが感情を見せる事はなかった。
それがトワの小説を読むようになって、こんな風に柔らかくなるなんて。
「妬けるわね」
「え?」
思わず小さく漏らすも、ブランジュには聞こえなかったらしい。
軽く首を傾げている。
ブランジュがこんな風に、無防備な仕草が増えてきたのも喜ばしい。
同時に、顔も知らない作家に、年甲斐もなく嫉妬を覚えてしまう。
長年連れ添った私では守れなかった、ブランジュの心の余裕。
トワの小説はそんなブランジュに、心を取り戻させた。
ベルジャンヌ王女が亡くなった後。
王太子だったエビアスは、悪魔を宿した後遺症のせいか、魔力を消失させた。
更に精神を病み、人の目を極端に恐れるようになった。
そのせいで操り人形としても、使い物にならなくなった。
ブランジュが予定より早く、エビアスに嫁ぐ事が決まった原因。
ベルジャンヌ王女が目の前で灰になった事で、絶望の淵にいた私は、そのお陰で気持ちを立て直す事ができた。
「何でもないわ。
そうよ
持つべきなのは、趣味仲間の甥孫ね」
言いながら、テーブルの上にそっと本を置く。
途端、ブランジュの表情から、落胆が見て取れた。
「ウォートンには頭が上がらないわ。
けれどモニカのように、百合シリーズには興味が持てないのよ」
知っている。
ブランジュの恋愛観は、実生活でも趣味の範囲でも、いわゆるノーマル。
私の恋愛観とは、根本的に違うもの。
「そう言うブランジュは、いつも男女の恋愛物ばかり。
たまには百合の小説を読んで、楽しんでみてもいいんじゃないかしら」
ブランジュへの想いは、私の二度目の恋。
そして数十年来の片想いでもある。
そんな私の初恋は、ベルジャンヌ王女。
けれど、あの想いが初恋だと気づいたのは、ベルジャンヌ王女が灰になった直後。
喪って、初めて気づいた初恋だった。
ベルジャンヌ王女への関心と独占欲は、妹に対するような感情だと、ずっと思いこんでいた。
もしもあの頃、トワの百合小説が存在していれば、もっと早く自分に芽生えていた初恋に気づけたかもしれない。
とは言え、今さらブランジュが、私の想いに応えるなんて思っていない。
気づいて欲しいわけでもない。
ただ少しは私の、秘めた恋愛観に染まらないかと、トワの百合シリーズが発売される度、いつも誘ってしまう。
「女性同士の恋愛観にも、百合シリーズにも、偏見はないのよ。
ただ心惹かれるのは、やっぱり男女の恋愛模様を描いた作品なの。
特に女性が男性を調教、んんっ、陥落させるような」
今、調教って言いかけたわね。
確か最近になって、販売規制が入りそうな小説が、一部の成人した淑女達の間で、密かなブームになっているわ。
特にそのジャンルでは、先駆者的な作品があると、私に長年使える侍女長が言っていた。
その小説には、必ず【虎和】というロゴが使われているとか。
【虎和】作品には大奥シリーズの他、調教シリーズというものが……まさかブランジュ……いえ、何でもないわ。
「ジェシティナは薔薇派だけれど、エメアロルは百合派よ。
エメアロルと百合の話に、花を咲かせてみてはどう?」
それとなく私の趣味を、エメアロルに押しつけるブランジュ。
エメアロルだけでなく、今の王家と私に血の繋がりはない。
けれど私は、少なくとも今の王家直系の王族達を、実の息子や孫のように感じている。
ブランジュの血を引いているから、というのももちろんある。
けれど1番の理由は、ジルガリムと私の生んだ息子達が、私の研究によって誕生したからだろう。