「そうよ、ヴェヌシス。
この世界で名を取り戻せば、あなたが悪魔となる前の、人だった頃の人生の軌跡を、全て思い出せるはず」
「何故、人だった時の記憶があやふやだと……」
「私の中に、悪魔の種が在るから。
そう言えばわかるのではない?」
公女がジャビ、いや、ヴェヌシスの言葉を遮り、告げる。
するとヴェヌシスは、ハッとした顔になる。
「まさか時逆魔法か?
だがお前は魔法を成功させたのではなかったのか?」
「魔法の成功や失敗に限らず、時間を巻き戻そうとする行為そのものに、代償が必ず必要だったのでしょうね。
種が芽吹く要因の1つは、人として培った記憶が薄らぎ、破壊的な衝動に抗えなくなる事じゃないかしら。
ただ私には、私の名を呼んでくれるお兄様と聖獣達が、時逆魔法を使った後も側にいてくれたし、これからも側にいてくれると確信しているの。
だから私の種は、これからもきっと芽吹かない。
といってもこの事を実感したのは、前世の旦那さんを見送った直後、お兄様に名を呼ばれた時だったけれど」
「前世の旦那?
…………そうか、お前は何度か転生をしていたのか」
最初こそ訝しげな顔をしたヴェヌシスだが、暫しの沈黙の後、正解に辿り着いたようだ。
「……そういえば、言った事なかったわね?
まあ、そういう事よ。
だからね、ヴェヌシス。
既に悪魔となったあなたは、人には戻れないし、いくら私がこの空間の創造主といっても、人とは異なる違う存在となったあなたを人に戻すには、水に混じった果汁を取り出すくらい、難しい」
「わかっている。
不可能だ」
「ただ、あなたの中にある、悪魔としての破壊衝動を抑える事は可能よ。
ヒュシスだけでなく、魂に干渉できるアヴォイドが、あなたの側にずっといてくれるもの」
公女の言葉に、ヒュシスとアヴォイドが頷き合う。
「アヴォイドはともかく、ヒュシスは本当に……俺の知るヒュシスなのか?」
「もちろん」
「どうやってヒュシスの魂を得た?
ヒュシスが俺に贈った魔石の空間に、俺はヒュシスの魂と共に眠っていた。
だがスリアーダがベルジャンヌの実父を突きとばした時、弾みで魔石が割れ、ヒュシスの魂は消えたと思っていた。
わかっていると思うが、ヒュシスは長らく現世に留まり続けたせいで、転生すら不可能な程、ぼろぼろだった。
魔石の中に存在したヒュシスの世界が壊れれば、世界と共に魂も壊れ、消滅するはずだったのだ。
それともアヴォイドが干渉し、ヒュシスの魂は消滅を免れていたのか?」
「ヒュシスの魂は、限りなく消滅に近い状態だったわ。
アヴォイド自身も全盛期と比べて力を削ぎ落としていたからか、魔石からヒュシスの魂を感じ取れなかった。
けれど視る人が視れば、実は割れた魔石の中にヒュシスが神で在れる空間が不完全ながら残っていて、魂が散り散りになりながらも留まった状態だったみたい」
「どういう意味だ?
視る者が視れば、とは一体……」
困惑するヴェヌシスに、公女が微笑む。
ちなみに隣の魔法馬鹿は、興味津々の顔で娘の話を聞き入っておる。
大人しくて良い。
「偶然だったけれど、狒々の血を被ったせいで、魂を視る力に長けたS級冒険者と出会えたのよ」
S級冒険者だと?
公女と接触したS級冒険者は、鮮血の魔女しかおらぬはず。
まさかあの者に、そんな力があったのか?
「ジルガリムもお父様も、秘匿……」
「ライェビスト=ロブールの名にかけて、秘匿しよう。
話を続けろ」
ライェビストよ、娘に最後まで言わせぬ勢いで誓約魔法を使うでない。
「もちろんジルガリム=ロベニアの名にかけて、余も秘匿しよう」
後で隣の魔法馬鹿が鮮血の魔女に接触せぬよう、釘を刺さねばならんな。
そう思いつつ、余も誓約魔法を発動した。
公女は軽く余達を振り返ってから、再び視線をヴェヌシスに戻した。
「その冒険者に、ピヴィエラから教わった古代魔法の1つをアレンジして、膨大な魔力を消費するような魔法を発動してもらったの。
もちろん新旧合わせた聖獣達の素材と、力をこめたブローチ。
そして私が創造した世界の、どれか1つでも欠ければ、ヒュシスが元いた魔石の空間に留まる微かな魂を、私が創ったブローチの世界に魂移しし、こうやってヒュシスを顕現化させる事はできなかったわ」
「……ふ、どんな奇跡なんだ」
公女の言葉に、子供の姿をしたヴェヌシスが、くしゃりと泣きそうに顔を歪めた。
真っ黒な瞳には、安堵の色が見てとれた。