余所者だろう冒険者の男たちは、カレンを庇う住人たちにたじろいだ様子で声を捻り出す。
「こ、殺そうとしたっていっても、魔力なしだって話だろう!?」
憲兵たちもその男たちにうなずいて、カレンの建物への侵入を阻むように立ち塞がる。
これ以上被害を増やさないために。
魔力なしや役立たずなら、どうなっても構わないから――
「だからなんだ! うちのカレンは誰にでも優しいんだよ!」
「そうじゃ! 若い頃の無理が祟って膝を痛めたわしがダンジョンへ採取も行けなくなった途端、これまでわしの稼ぎで食っておった息子はわしを家から追い出してこのアパートにぶちこみおった! じゃが、そんなわしのために、カレンちゃんは自作の湿布を作って見舞いに来てくれたんじゃ! その湿布を貼っていたらな、治ったんじゃ。固定化した怪我はポーションでも治らないものと言われておるから気のせいかと思っておったが、わしがまたダンジョンで採取できるようになったのは、やっぱりカレンちゃんのおかげだったんじゃ!」
杖をつくおじいちゃんが叫ぶ。
いつもカレンが湿布を作ってあげていたおじいちゃんだ。
カレンはそれを聞きながら微笑して、錬金術師のブローチをつけた、大事な錬金術師のマントを脱いで心配そうな顔をして近づいてきたおばさんに預けた。
「私の時もそうだったわ! つわりが辛くて何も食べられなくて、ポーションでも治らなくて、けれど命がけでダンジョンで戦う夫に弱音も吐けなくて、周りからも家にいるだけなのに大げさだって笑われて、飢えと吐き気で頭がどうにかなりそうな時にカレンは何とか私が食べられそうな料理がないかって、効きそうなポーションはないのかって、試して作っては差し入れしてくれたわ! ……おかげで食べられるものが見つかったの。カレンのおかげでこの子は生まれたのよ!」
二階の奥さんが、ティムやハラルドぐらいに見える年齢の子どもを抱きしめる。
カレンは髪を革紐でまとめ、靴紐をきつく結び直した。深呼吸し、屈伸し、脚の腱を伸ばす。
全速力で駆け上がるために。
「オレだってカレンがいなけりゃ今ここにはいない! 初のダンジョン探索でスライムに襲われて、オレはビビりまくって小便を漏らした! 次からはダンジョンに入ろうとしただけで恐くて足が竦んだ。パーティーメンバーはそんなオレを見捨てたよ! オレも、そんな自分が情けなくて死のうとした! だが、カレンはアパートから飛び降りようとするオレを止めて、元気になるポーションだって言ってよくわからない草の茶だのを飲ませて、料理を食わせてきた。そのおかげでオレは生き延びたんだ! 魔力密度が高すぎて、他のやつらよりオレはダンジョンの魔力に酔いにくいんだってあとで知った。だから恐怖を感じやすかった。その魔力密度の高さのおかげで超優秀な魔法使いになり、今じゃCランクの冒険者だ! これもカレンのおかげなんだ!!」
三階の魔法使いのお兄さんが叫んだ。
彼らを助けられた時、自分でも誰かを助けられることがあるのだと、カレンは感動したのだ。
そう、だから、カレンは錬金術師を目指すようになったのかもしれない。
カレンは魔法使いのお兄さんが盥にためてくれた水を頭から被った。
中に突入する準備は整った。
憲兵たちが道を空けてさえくれれば――
「――昔、ライオスという貴族の孫がいた」
背後から聞き覚えのありすぎる声が聞こえて、アパート突入後の最短ルートを考えていたカレンも息を呑んで振り返った。
「貴族の血を継いでいるために、平民でありながら強すぎる血筋の祝福を受け継いだために、幼い頃から寝たきりだった。母親は実家の貴族に助けを求めたが手酷く断られた。母親以外のすべての人間が、その子どもの命を見捨てていた――」
「ライオス」
そこにいたのは、ライオスだった。
ジークの快気祝いの時より背が伸びている。
頬は痩けて目は落ちくぼみ、無精髭を生やしている。
その顔には疲労の色が濃い。手には大きな鞄があり、くたびれた王国騎士団のマントを身につけている。どこからか王都に帰ってきたばかりなのだろう。
ライオスが、燃えさかるアパートを見上げていた。
何を考えているのかわからない、静かな表情でライオスは続ける。
「だが、カレンは諦めなかった。子どもの家に遊びにいき、子どもを励まし、勇気づけようとし、弱った子どものために様々な発明をした。石鹸をはじめとしたポーションから、リバーシなどという遊び道具まで……やがて子どもは無事に成長して血筋の祝福を克服した。だが、そいつはすべてが自分の努力の賜物で、カレンのおかげだとは思わなかった。だからカレンを捨てた。見捨てられていた頃から婚約までしてくれていた幼馴染みを――自分のためにすべてをなげうっていたからFランク錬金術師のままでいたカレンを、Fランクの錬金術師だからという理由で王国騎士団の騎士となる自分にはふさわしくないと思ったからだ――だが、違った」
ライオスはカレンを見やって言った。
「逃げ遅れたやつは七階にいるのか?」
「ライオスが行くつもり? いいよ、わたしが行くから。大体、どれぐらい息を止めていられるの? 魔力で身を守れば火は大丈夫でも、煙を吸い込んだら危ないのは知ってるでしょ?」
「……一番短い香時計で、半分」
「わたしは香時計二本分」
「はあ!? そんなわけないだろう!」
ライオスはおよそ五分。恐らくライオスの性格上、盛っている。
ぎりぎり七階には上がれるかもしれないが、迷ったり探しあぐねたりすればライオスも危なくなるだろう。
それなのにカレンはおよそ二十分だ。
魔力が多いからといって呼吸をしなくても生きられるようになるわけじゃない、はずだ。
Sランクの魔力量の人の中には化け物じみた身体能力の人がゴロゴロいるらしいので、そういう人たちは生きられる可能性もある。
もちろんカレンの魔力量はライオスより少ないので、魔力が理由ではなかった。
「薬草を口に含んでいると、息を止めていられる時間が長くなるんだよ。ただこれ、できるのはわたしだけで弟にも他の誰にもできなかったけど」
「それが本当なら、場所も内部の構造も正確に把握していない俺よりもおまえの方が確実……か」
前世の小学生の頃、登下校中白線を歩いている間だけしか息ができない、なんて遊びをやったことがある人は多いだろう。
カレンももちろん例に漏れない。生まれ変わってからもやっていた。
採取してきた薬草を口のすさびにもてあそんでいる時に、記録が更新されていることに気がついた。
ポーチの中から薬草を取り出し、カレンは口の中に押し混んだ。
苦い味が口の中に広がり、カレンは眉をひそめつつ言った。
「じゃ、もし彼女の旦那さんの様子が危なそうだったら窓から飛び降りるから、ライオスは受け止めて。それぐらいできるよね?」
「いいだろう」
ライオスはうなずくと、王国騎士団の紋章を憲兵に見せて言った。
「この女を通してやれ」
「は……かしこまりました」
王国騎士団は憲兵団よりも上位組織だ。
ライオスに従う憲兵たちが道を空けてくれる。
濡れ鼠になったカレンは息を大きく吸い込み息を止め、体の表面を覆うように魔力を張り巡らせると、もうもうと煙を吐き出すアパートの中に入っていった。