早朝、サラがカレンを叩き起こし、寝ぼけ眼のカレンの身支度を整えはじめた。
「サラ……? どうしてここに……?」
「早起きをしていらしたトール様に入れていただきました。ユリウス様とお出かけされるのでしょう? ですので、私がドレスアップして差し上げます」
「うぷっ」
顔を濡れタオルでぐいぐい拭かれ、カレンも少し目が覚めた。
「わざわざ来てくれてありがとう、サラ」
「ふふん、いいのですよ」
サラは得意げに胸を張る。
しばらく夢うつつだったカレンだが、やがて気づいた。
「あれっ!? このドレス見覚えがないんだけど!」
「アリーセ様がカレン様のために仕立てた夏用のドレスです」
白い薄手の布地に、金の糸で刺繍が施されていた。
その上からを透けるくらい薄い白の布地を幾重にも重ねていて、ふわふわとしたデザインがとても可愛らしい。
「いつの間に!? いただいていいのかなあ……」
「良いのですよ。アリーセ様の義理の弟妹のお出かけのためなのですから」
「そっかぁ。ユリウス様のためだもんねぇ」
カレンが朝の眠気でポヤポヤしながら言うと、サラはやれやれとばかりに首を振る。
「まあ、今のところはそれでよいのではありませんか? 楽しんできてくだされば、アリーセ様も本望でしょう」
そう言って、サラは手早くカレンの身支度を整えていった。
「ああ……とても綺麗だよ、カレン」
貴族の礼装姿をしてきたユリウスが目を細めて言うので、カレンはへらりとはにかんだ。
「そ、そうですかね。ユリウス様もとってもかっこいいです!」
隣にいるのがカレンがどうしても見劣りしてしまうくらい、とは、思ってもカレンは黙っておいた。
ユリウスはカレンの首を見てますます笑みを深めた。
「そのネックレスも付けてくれたのだね」
「はい。ドレスの色味的に、問題なく付けられそうだったので」
カレンは胸元に手を当てた。そこに輝くのは黄金色の宝石が輝く、ユリウスの瞳の色をしたネックレスだ。
セットのイヤリングもあるのだが、ピアスがあるのでお留守番だ。
いつぞやに、カレンが作ったサシェのお返しと言ってユリウスがカレンに贈った宝飾品である。
「君が私の色を身につける姿は、とても快い」
そう言ってユリウスがカレンのネックレスを覗き込むので、カレンはユリウスのクラバットの刺繍に気がついた。
白い薄手のクラバットに、金の刺繍が施されている。
「ユリウス様、そのクラバットって……」
「クラバットだけでなく、今日の私の服の仕立ては君のドレスとおそろいだよ、カレン」
「……嬉しいです」
カレンは静かに微笑んで言った。本当に心から嬉しいと思っていた。
だが同時に、傍目には滑稽だろうとも思ったが、カレンがそんなことを思っていると知ってユリウスが嬉しいわけがないので口には出さない。
「それでは行こうか、カレン」
「はい! いってくるね!」
ユリウスに差し出された手を笑顔で取り、見送りのサラとハラルドに手を振りカレンは馬車に乗り込んだ。
「今日はどこへ行くんですか?」
「君さえ嫌でなければ、むしろひと目のあるところに行こうかと考えを変えたのだが、どうだろうか?」
「わたしはユリウス様と一緒ならどこでも構いませんよ」
「なら、私のパートナーとして今夜開催されるパーティーに参加してもらえるだろうか?」
「今のわたしでよければ……でも、パーティーってそんな飛び入りで参加できるものなんですか?」
ジークの快気祝いの時にアリーセがパーティーの準備をしているのを見たことがある。
パーティーの招待状を送ったあと、出欠の可否について返事を返さない人々にやきもきしている姿を見かけた覚えがあった。
「招待状を受け取っているパーティーがあってね、すでに断りの返事は送っていたのだが、試しに昨晩使いを送ってみたら、朝早くに出席してもよいという返事が返ってきたのだよ」
「なるほど。ユリウス様が来てくれるなら誰だって大歓迎ですもんね」
アリーセも、ジークの快気祝いを盛り上げるためにと有名な演奏家や、音楽家を呼ぼうと苦心していた。
招待客たちが参加したいと思うように、ユリウスのような有名人ならいつでも参加大歓迎なのだろう。
事前に招待客にユリウスが参加することを伝えられなかったことが悔やまれるぐらいだろう。
カレンのようなおまけは誰もお呼びではないだろうけれども。
「私にどれほどの価値があるのかはわからないが、それだけの評価を受けている私が傅く相手は君一人だということを、他の者たちに見せつけようと思う」
「そういうの、嫌いじゃないです」
むしろカレンの大好物であるロマンスな物語の分野である。
だがしかし、とカレンは首を傾げた。
「それがユリウス様の夢見たデートなんですか?」
ユリウスが子どもの頃に夢に描いたデートが、隣でドヤ顔をする女とのデートだというのは少々考えにくい。
カレンの問いに、ユリウスはあっさりと答えた。
「実は私はヘルフリート兄上とは母親が違ってね。表向きは実の息子ということになっているので、真実を知る者は使用人にもほとんどいないが」
カレンは驚きの合いの手を入れかけて、すんでのところで呑み込んだ。
「屋敷に引き取られたあとの私を母上は――ヘルフリート兄上を産んだ母のことだが、分け隔てなく我が子として扱おうとしてくれたが、私が申し訳なくてね。様々な場所につれていってくれようとしたが、私はそれを拒んできたのだ。大抵は、剣術が好きだからだとか、ダンジョンに潜りたいだとかいった理由をつけてね」
あまりにも軽い口調で語られる過去に、カレンは開きかけた口を閉じて耳を傾けた。
「だが本当は、私も共に出かけてみたかった……と、たまに思うことがあるのだ。そうしたら私は、父よりは母上に似ていると言われていたから、きっと家族に見えただろう。そう見られたいという気持ちもあったが、当時はそれが申し訳ないと思ってしまったのだ。本当は血など繋がっていないのに、母上似などと言われるのが申し訳なくてね。こうしたパーティーもその一つなのだよ」
ユリウスは、胸元から取り出した招待状を見て微笑んだ。
ユリウスが夢想した場所は、デート先というより家族と共に行きたかった場所なのではないかと思ったカレンだったが、指摘はしなかった。
代わりに、カレンは馬車の向かい側からユリウスの隣の席に移動して、ユリウスに寄り添った。
「これから色んなところに行きましょうね、一緒に」
「……ありがとう、カレン。君とパートナーに見られるのが楽しみだ」
家族に見られるのが申し訳なかったという当時のユリウスの気持ちが、今のカレンには少しわかる気がした。
ユリウスのパートナーに見られるのは、今のカレンは申し訳ないと感じてしまう。
胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。
だがその痛みは、ユリウスへの申し訳なさよりも、当時きっとまだ幼かっただろうユリウスの心を思うからだった。
その心を少しでも理解できたかもしれないことが、嬉しかった。
気になることばかりだったが掘り下げず、カレンは別のことを訊ねた。
「パーティーは夜からということは、それまでは何をして過ごしたいですか?」
「買い物はどうだろう?」
「それってユリウス様の行きたいところであってます?」
「もちろんだよ、カレン。男は愛する人の喜ぶ顔を見る時、生きていることの意味を実感するとヘルフリート兄上が言っていた。実際、それは正しかった」
ラブラブ伯爵夫妻である兄と義姉から薫陶を受けたユリウスが、昔から心密かに本気で夢見ていたことらしかった。
ユリウスは心から楽しげにカレンの耳朶に、ピアスに触れた。
「今ならこのネックレスやピアスを君に贈った時より更に生を実感できる気がする」
どう考えてもユリウスはカレンに何かを買い与える気満々だった。
プレゼントが嬉しくないわけではないものの、お金を出させるのは申し訳ないという気もする。
だが、ユリウスがあまりに楽しみだという感情を滲ませながら言うので、カレンは過度な遠慮はやめることにした。
「ユリウス様が楽しいなら、それでいきましょう」
ユリウスがカレンに何を買い与えようとしたところで、カレンがそれを欲しがらなければいいだけの話である。
もちろん、ユリウスはカレンのために何かを買ってプレゼントしたがっているので、何かしらは買ってもらおう。
欲しいもののうち、ちょうどいい値段のものを選んでプレゼントしてもらい、盛大に喜んでみせよう。
ユリウスもプレゼントしがいがあって、カレンも末永く大事にできるようなものが理想だ。
演技などではなく心から喜んでみせる自信がある。
カレンは心のうちで完璧な計画を立て、目的地をユリウスに任せた。
それがカレンの最大の失敗だった。
「着いたよ、カレン」
ユリウスに手を取られ馬車を出たカレンは、目の前にある店を見て愕然とした。
「『ウルゴの魔道具店』……!?」
それはアースフィル王国最高峰の魔道具の老舗だ。
全錬金術師、及び魔道具師など魔道具を扱う者たち憧れの店である。
「だ、だけどこの店は紹介制で……! 条件が揃わなかったら王様ですら入れてもらえないっていう、とても気難しい店主の店で……!」
しどろもどろに言うカレンの目の前に、ユリウスがスッとカードを差し出した。
「ウルゴの魔道具店への紹介状ならあるから大丈夫だよ、カレン」
カレンは果たして何も欲しがらないことができるのか。
そこそこの値段のものを買ってもらって、それで心の底から大満足であるというそぶりをしてみせることができるのか。
カレンの煩悩との戦いの幕が開けた。