「トール、エーレルトの人たちは貴族だけど良い人たちばっかりだから、あんまり緊張する必要はないよ。だけどね、やっぱり貴族だから、いつもより丁寧に接してもらえたら嬉しいな」
「わかってるって。任せとけよ、ねーちゃん。Bランクの冒険者ともなれば貴族と関わること、結構あるんだぜ?」
「そっかー」
再会してから今日までカレンが見てきたトールを思い返すと疑わしい言葉ではあったが、きっとエーレルト伯爵家の人々なら多少の無礼は許してくれるだろう。
カレンは息を吐くと、最後にトールのクラバットをもう一回整えた。
そうしていると、馬車の音が近づいてきた。
「迎えが来たみたいだな」
「……うん」
カレンは緊張した面持ちでうなずいた。
今夜、カレンたちはエーレルト伯爵家の夕食会に招待されたのだ。
カレンだけならこれほど緊張はしなかっただろう。
だが、今夜はトールまでもが招待されている。
その意味するところに、カレンは気負いまくっていた。
「大丈夫だって。ねーちゃんの頼みなんだから、上手くやるって」
トールはよそ行きの格好でいつも通りの明るい笑顔を浮かべた。
いつもは奔放な橙色の髪を、今日は整髪剤で整えて額を出している。
服装は貴族の礼装で、今夜のために一から仕立ててもらったものである。
かなり似合っているように見えるのだが、カレンの姉としての欲目かもしれない。
カレンのドレスもまた、トールと同じように仕立てたものだ。
アリーセがくれたドレスにはまだ袖を通していないものもあるものの、今夜着ていくのは違う気がして、カレンは自分でドレスを用意した。
カレンがぎゅっと招待状を握りしめたとき、ベルが鳴った。
「行こうぜ、ねーちゃん」
トールが腕を差し出してくる。少なくとも、エスコートの振る舞いは知っているらしい。
ほんの少しだけほっとしつつ、カレンはトールの腕に支えられ、ハラルドに見送られて家を出た。
「カレン、トールくん、迎えに来たよ」
馬車を降りてきたユリウスもまたドレスアップしていた。貴族の礼装だ。
「今回のドレス、どうですか? わたしが自分で選んだんですけど、おかしくないでしょうか?」
カレンの必死の問いに、ユリウスは目を細めた。
「今日もとても美しいよ、カレン」
「う~ん。ユリウス様はわたしがどんな格好しててもそう思いますよね?」
「ああ、そうかもしれないね。何よりも美しいのは君だから」
「ユリウス様もあてにならないよぉ!」
「ハイハイ、オレを挟んでイチャイチャすんな」
トールはユリウスを押し退けてカレンを馬車に乗せた。
続いて馬車に乗り込んでトールがカレンの隣を占めると、ユリウスはカレンの向かい側に座った。
馬車は一路、エーレルト伯爵邸に進んでいった。
「エーレルト伯爵、伯爵夫人、本日はお招きいただきありがとうございます。Bランク錬金術師カレンの弟、Bランク冒険者のトールと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
カレンは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてトールを見上げた。
そんなカレンを見て、出迎えに出てきたヘルフリートが苦笑した。
「私はヘルフリートだ。君の話は聞いている。普段通りに過ごしてくれて構わないぞ、トール」
「これは姉によくしてくださったエーレルトの皆様に対する私からの敬意の表れです。どうぞお気づかいなく。無理をしているわけではありませんので」
「あなたの姉が無理そうよ、トールさん。ふふっ」
ポカンとした顔が戻らないカレンの姿に、アリーセは堪えきれないとばかりに吹きだした。
トールはカレンを見下ろして、「あのなあねーちゃん」と言葉使いを元に戻した。
「オレだってこれぐらいできるんだぜ? 全然信じてなかったな?」
「だ、だってえ」
「貴族相手だから失礼がないようにって何度も念押ししてきたのはねーちゃんじゃん。だから丁重に振る舞ってんのに、ねーちゃんが驚いてどうするんだよ」
「カレン姉様が困っているから、いつも通りに過ごせばいいよ。父様と母様もそれでいいと言っているんだからね」
「ねえさま?」
怪訝な顔をするトールに見下ろされると、ヘルフリートとアリーセと共に迎えに出てきたジークはぐっと眉間にしわを寄せてトールを見上げた。
そんなジークを見下ろして、トールは愛想笑いを浮かべた。
「だが次期当主殿は、オレの態度が気に食わないように見受けられる。そのお心を曇らせてしまうことがないよう、態度を改めたいと思うのですが」
「別に。あなたの態度なんてどうだっていい」
ジークはぷいっと顔を背けた。
その態度に、アリーセは眉をひそめた。
「ごめんなさい、トールさん。私はアリーセと申します。息子が失礼な態度を取りましたね。改めさせますわ。ジークったら、トールさんには目上の方として接しなさいと言ったでしょう?」
「お気になさらず、伯爵夫人。オレはBランクの冒険者であるとはいえ、平民ですので」
カレンはトールの言葉に皮肉が滲んだことに気づいてヒヤッとした。
Bランクの冒険者相手には、貴族とて敬意を払うべきだ。
だが、それでも出身が平民だというだけで侮らずにはいられない貴族もいるだろうが、それも仕方のないことだ、と。
だが、アリーセはトールが言葉に混ぜた毒に気づいたそぶりもなく穏やかに微笑んだ。
「平民であることも、Bランクの冒険者であることも関係ありませんわ。あなたは私たちの大切な方であるカレンさんの弟です。ですから心からの敬意を表させてほしいの」
アリーセの言葉に、トールは目を軽く瞠った。
「ジーク、あなたにとっても、カレンさんは大事な方ではないの?」
「カレン姉様は大事だけど、でも……」
ジークは珍しく、年相応の子どものようにぶんむくれていたかと思うと、キッとトールを睨みつけた。
「カレン姉様の弟として、血が繋がっていなくともぼくは負けるつもりはないからね!」
ジークは高らかに宣言すると、くるっと背を向けてずんずん歩いていってしまった。
その後ろ姿をトールはポカンと見送った。
「トール、うちの息子がすまない。君に対抗心を燃やしているようでな。あとでよく叱っておくので、どうかこの場は許しをいただきたい」
「いや、大丈夫です。叱る必要もないですよ。オレを平民だから見下しているならともかく、あれはそういうやつじゃなさそうなんで」
「身分で見下すなど断じてありえない。我らの大恩人であるカレンも平民なのだからな」
「……そっすか」
ヘルフリートの断言に、トールは目をパチパチとまたたく。
「ジークはカレンをとても慕っているんだよ、トールくん」
「……そうみたいだな」
ユリウスの言葉に呟くように応えると、トールは微笑ましげな顔をしてジークが消えていった方角を眺めていたカレンを見やった。
「ねーちゃんって、やっぱすごい」
「ん? 何か言った?」
「なんでもねーよ」
トールはヘルフリートとアリーセに向き直って礼を取る。
「お言葉に甘えて、オレらしい振る舞いをさせていただきます」
トールの言葉にヘルフリートは目を細め、アリーセは温かく微笑んだ。