ペトラとロジーネは時折いがみ合いつつも、概ねつつがなくカレンを案内してくれた。
「狩猟祭に参加する紳士の方々はあちらに天幕を張っているのです。ご令嬢やご婦人方はあちらです。ご家族用の天幕はこちらにあって、観覧のご家族がいらっしゃる参加者の方々は個人用の天幕とご家族用の天幕の二つの天幕を行き来するのですよ」
「家族の応援という体でやってきて、狩猟に参加するわけでもない物見遊山の暇な子は家族用の天幕にいるから、カレンは近づかない方がいいわ。暇潰しに手近な平民をいたぶろうとするかもしれないし」
「ペトラ様! 言い方というものがありますでしょう! ――でも、確かにカレンさんお一人ではあまり貴族の天幕には近づかない方がよいと思いますわ。ユリウス様の天幕を訪ねる際は私たちを伴ってくださいね」
二人は乱立しているようにしか見えない無数の天幕の間を慣れた足取りで進んでいく。
例年、誰がどこに設営するのか大体決まっているようで、その上、掛けられた旗や天幕に描かれた紋章でどの家の誰が来ているのかも大体わかるらしい。
「暇な方々は狩りの成功と無事の帰還をお祈りするって名目で、お気に入りの殿方を物色して、刺繍入りのハンカチを贈るのよ……って、げっ」
ペトラが苦い顔をしたから、まさかその視線の先にユリウスがいるとはカレンもすぐには気づかなかった。
カレンがそちらを見やれば、遠く豆粒のように小さくではあるが、ユリウスが複数の令嬢たちに囲まれているのが見えた。
ロジーネが扇子で顔を隠しつつ、今にも舌打ちしかねない顔になる。
「ユリウス様はカレンさんを籠絡中だから、手出しは禁じているというのに……!」
「狩猟祭でやってきた他領の令嬢じゃないの? ロジーネ様。顔に見覚えがない子ばかりだわ」
ペトラは目がいいのか、遠くの令嬢たちの顔を見分けて言った。
ロジーネは困惑顔になる。
「まあ。その方々のことは確かに、私たちでは止められませんわね。ユリウス様にハンカチを渡すぐらいのことでは目くじらを立てられませんもの……申し訳ありません、カレンさん」
ロジーネがすまなそうにカレンに謝罪する。
どうやら、エーレルトではカレンを自領に引き込むために令嬢たちはユリウスに心を惹かれつつも結束して自制してくれているらしい。
ありがたい配慮だが、令嬢たちの自制心がなければ一体どうなっていたのかが恐ろしくもある。
――今、カレンは自制のない状態を目の当たりにしているのかもしれなかった。
ユリウスがうら若く美しく、可愛らしい少女たちに囲まれている。
カレンよりも若い子がほとんどのように見える。
貴族の場合、カレンぐらいの年齢になれば大抵結婚しているのが普通だろう。
今度の新年祭で、カレンは二十歳になる。
ユリウスは華やかなドレスを来た花のような若い令嬢たちに囲まれて、ハンカチを受け取るようにせがまれている。
無碍にできないのか、遠目にもユリウスが笑顔で対処に困っているのが見えた。
カレンはユリウスに群れる令嬢たちにガンを付けつつペトラたちに訊ねた。
「あのハンカチって、絶対に受け取らないといけないものなんですか?」
「殿方が令嬢から差し出されたハンカチを受け取るのはほとんど義務ですわ。断れば女性に恥をかかせることになりますもの。受け取ることがマナーと言えます」
「でも、いらないなら断れるわよ。断っちゃいけないなんて決まりはないもの」
「ふうぅん」
ロジーネとペトラの相反する助言を受け、カレンは軽くピアスに魔力をこめた。
ユリウスのピアスと繋がっている魔道具のピアスだ。
魔力をこめればあちらに熱となってそれが伝わる。
耳朶が軽く温まっただけだろうに、弾かれたように顔をあげたユリウスがカレンを見つける前に、カレンは顔を逸らして踵を返した。
「あっちに行きましょう、お二人とも」
「そうねっ、カレン! ユリウス様がこっちに来ようとしてるわっ! 早く行くわよ!!」
「ペトラ様……貴女、一体どんな無礼をユリウス様に働いたのです?」
ロジーネは呆れ顔をしつつもカレンとペトラに続いた。
ユリウスと顔を合わせたくないペトラに上手く誘導されたおかげか、それともユリウスにカレンを追う気がなかったからか、カレンたちが追いつかれることはなかった。
「前は婚約者がモテモテなら鼻高々だったのに、今はなんか……嫌な気分……!」
「ユリウス様、着々とあなたを籠絡中なのね」
ペトラが素直に感心した様子で天幕の影で頭を抱えるカレンを見やった。
「嫌なら嫌って言えばいいじゃない。Bランクの錬金術師になったあなたが言えば、ハンカチを受け取らせないことぐらい簡単にできるわ」
「……わたしがBランクの錬金術師だからじゃなく、わたしを好きで愛しているから自発的にハンカチを受け取らないでほしいんです」
「それは強欲すぎないかしら?」
「わたしとユリウス様は両想いなんです!!」
「ここまで思い込ませるほど籠絡するなんて……ユリウス様って意外と恐ろしい男だったのね。飛び抜けて強い以外は普通の男より女に甘くて疎いように見えたのに……私の伴侶はもっと扱いやすい男がいいわね」
ペトラがごくりと息を呑む。
これまでのユリウスが一体ペトラの目にはどう見えていたのか、その女への甘さや疎さに付け込もうとした側の意見なので、ある種の真実なのだろう。
それにしても、先程のユリウスを見つけた時の態度といい、この言い草といい、ペトラは本当にユリウスへの興味が失せたようである。
「カレンさん、ユリウス様にも色々とご事情がおありなのですよ」
ロジーネはカレンの嫉妬を窘めるように言った。
「幼少期、ユリウス様は例に漏れず血筋の祝福のためにお体が弱かったこともあって、エーレルトの社交場に出てくるのがジーク様のように遅れましたの。恐らくはお命が危ぶまれるほどだったのでしょうね……お体が回復して新年祭でお披露目されるまで、お生まれになったことすら誰も知りませんでしたわ」
カレンはぎくりとした。
ユリウスの誕生をエーレルトの誰も知らなかったのは、ユリウスが嫡出子ではないからだ。
だが、血筋の祝福で命が危うかったからお披露目が遅れたという体で、前伯爵夫妻の嫡出子ということになっているらしい。
「ある程度ご成長なされてからお披露目されたこともあり、エーレルトでのお立場を固めるために、ユリウス様は苦労されたそうです。カレンさんはご存じないでしょうが、ユリウス様のお父上である前当主様はご自身の子であるユリウス様でさえ、競争相手とみなすような血気盛んなところがおありでしたから」
「その話は、ユリウス様から聞いたことがあります」
ユリウスに懸想する女性たちが起こした『ダンジョン連れ込み事件』なる言いがかりも、元々はユリウスに対抗するユリウスの父、ヴィンフリートが、ユリウスがモテているのが気に食わなくて言い出したことだったはずだ。
「ご存じなのでしたら、ユリウス様が和を尊ぶことを寛大な心で受け入れてくださってもよいと思いますよ」
ロジーネの言葉には一理ある。
どうやらユリウスはある程度の年齢まで、市井で平民として生きていたらしいのだ。
あの容姿でどうやってと思いつつも、突如貴族社会に引っぱり出されたユリウスが苦労したことは想像に難くない。
だから、ユリウスなりのやり方をカレンも尊重するべきなのだろう。
が、しかしだ。
ユリウスのためにカレンを窘めるロジーネは一体、どういう立場からユリウスを庇っているのか。
何やら一抹の怪しさが感じられて、カレンはじっと見つめてロジーネをたじろがせた。
本日17時頃に二つの素敵なお知らせをする予定です。
Xアカウント(https://x.com/neko_yamanashi)と活動報告にてお伝えします。
お楽しみに!!