「カレン、目が恐いわよ」
ペトラに指摘されてカレンが言い訳を繰り出そうとしたのを、何かに気づいたロジーネが止めた。
「お二人ともお静かに――あちらにホルスト派の令嬢たちが集まっているようです」
ペトラは猫のようにすばしこく動き、カレンの手を引いて天幕の影に隠れさせた。
その動きの俊敏さは、昨年毒白粉に蝕まれていた時の動きとは比べものにもならない。
昨年のペトラはカレンの目にはごく普通の健康な令嬢に見なくもなかったが、これが本来のペトラの動きなら、確かにあの時のペトラはめったにないほど体調が悪かったのだろう。
カレンに遮られたくらいでユリウスに近づけなくなったあの時のペトラは、確かに不調だったのだ。
あの時、兄のフランクがペトラを心配していたのも当然である。
「それで――むぐっ」
「しっ、静かにしてちょうだい」
「カレンさん、あの者たちは罪人ホルストに与していた家の令嬢たちです」
ロジーネが冷たい眼差しで集まっている十数人の令嬢を見すえた。
ペトラに口を押さえられつつ、カレンはうなずいた。
彼女たちの見た目はペトラやロジーネと変わらない、ごく普通の令嬢たちに見える。
ホルストは失踪したが、彼らが犯した罪は反逆罪に問われる予定らしい。
調査中のため正式な発表はないものの、来年にでも国王から発表があるだろうとはヴァルトリーデの言である。
複数領地の魔力の少ない者たちが結託して起きた事件のため、一つの領地が特に罰されるわけではないから、エーレルトが特別咎められるわけではないゆえ安心するように―――そんな文脈で語られた時、すぐにカレンも気がついた。
その各領地内では反逆罪に加担した者の家族やその支持者たちに、当然、冷たい眼差しが注がれるだろう。
だからカレンは魔力の少ない子どもたちがこうも簡単に引き取れる。
どこか人目を避けるように人の気配の少ない場所に集まる令嬢たちは、現在、反逆者の支持者とみなされている家の子たちなのだろう。
カレンが人目を、というよりユリウスを避けてひと気のない方角にあるいていったことで、同じように人の目を避けようとしている集団と鉢合ってしまったらしい。
「カレン様、私が外国の商人からあの毒白粉を購入したのは、彼女たちが得意げに外国から取り寄せた化粧品を自慢していたからなのですわ。元より商売とそれを営む商人に興味があったので、それなりに商人や商売というものには詳しい自負があります。――それなのに、私よりも商売や商人に疎いはずの彼女たちは毒白粉の被害には遭いませんでした」
ロジーネは暗い微笑みを浮かべた。
「彼女たちはホルストの計画への関与を否定していますけれど、そんなことありえないと思いますわ。あの子たちはホルストに協力して、私たちを何らかの邪悪な企ての実験台としたのです」
「関わらない方がいいわよ、カレン。次は何を盛られるかわかったものじゃないわ」
ロジーネとペトラが冷ややかにささやく。
ゴットフリートがカレンに取引を持ちかけてきた理由がひしひしと伝わってきた。
前伯爵派にいる親戚たちを助けたいが、ゴットフリートが動けば自身も反逆への加担者だと疑われかねない。
実際にダンジョンの異変を解決したカレンが直々に動くのでもないと、救いようがないのだ。
しかし助けようにも、ペトラやロジーネのような人々の冷たい眼差しからどう助ければいいというのか。
そもそも、彼女たちはロジーネの言うように無実などではないかもしれない。
――それでもカレンが肩身が狭そうに身を寄せ合う令嬢たちの暗い表情を見て胸を突かれた時、令嬢たちの一人が言った。
「やはりわたくし、ユリウス様に懇願して末席の妻にしていただこうと思います」
その言葉一つで、カレンの彼女への同情心は綺麗さっぱりと消え去った。
「なんてお覚悟でしょう」
「この状況を打破するためとはいえ、爵位も継がない殿方の末席の妻となろうだなんて、お労しいですわ。伯爵様やジーク様ならばいざしらず……」
他の令嬢たちはどういうわけか、勝手にユリウスの妻になろうとしている女に同情を寄せている。
カレンの中の彼女たちへの同情心は完全に消滅した。
「さすがに今のわたくしたちの状況では、エーレルト伯爵家の当主とそれを継ぐ方がお相手では、末席の妻とはいえ難しいかと存じます。どちらも年齢が離れていますしね。ですが、いずれ家を出るユリウス様の末席の妻でしたら可能でしょうから」
カレンはそこで我慢がならずに飛びだそうとしたが、ペトラに羽交い締めにされて叶わなかった。
「離してくださいっ、ペトラ様!」
「カレン、ちょっと落ち着きなさいよ」
「だってユリウス様の妻になるなら可能って、あの方は一体何をおっしゃっているんですか……!?」
カレンの剣幕を見おろして、ペトラはぞっとしたような顔をした。
「去年もユリウス様に懸想していたのは見て取れたけど、ここまで盲目じゃなかったわ……ここまでたらし込むなんて、恐ろしい男」
「口が過ぎますよ、ペトラ様。しかしカレン様、ペトラ様の仰る通り落ち着いてくださいませ。オティーリエ様はただ末席の妻になろうとしているだけではありませんか」
何が『ただ』なのかまったく理解できないまま、カレンは問題発言をした令嬢を睨んだ。
オティーリエという名前らしい。黒髪に赤い眠たげな目をした美しい少女だ。
ペトラも美少女だが、ペトラとは違った雰囲気の、大人びた色っぽさのある令嬢だった。
「オティーリエ様ほどのお方が末席の妻だなんて、ユリウス様はお幸せですわね」
「これほどのお覚悟がおありなんですもの。エーレルト伯爵家も、オティーリエ様のお家をお救いくださるでしょうね」
カレンは顔をしかめた。
ユリウスの妻には誰でもなりたがるだろう。
それになろうとしておいて、そうなることがまるでオティーリエにとって罰であるかのような言い草である。
「わたくしがユリウス様の末席の妻となった暁には、皆様を決して見捨てはしません。きっとお助けしますから、どうかそれまではどれほど冷遇されても耐え忍んでくださいませね」
「なんてお優しい方なんでしょう……!」
「年齢さえ見合えば、エーレルト伯爵になる方の第一夫人になってもおかしくない高貴なお方ですのに……!」
「どうか皆様、応援してくださいね」
令嬢たちの中では、オティーリエがユリウスの末席の妻になれることはすでに決定しているようだった。
しかも、周囲の令嬢たちはユリウスの末席の妻になろうとしているオティーリエを哀れんでいた。
「Bランクの錬金術師とはいえ平民の第一夫人の下についてでも贖罪の意を示そうだなんて、オティーリエ様はなんて健気なのでしょう」
このままいけばカレンとユリウスは結婚するだろう。
その暁には、平民がユリウスの妻となる。
だから、その末席の妻となることは反逆者を支援していたかもしれないと疑われるオティーリエやその家への罰に値するほどの仕打ちで――だからこそ、断られるわけがないと踏んでいるのだろうか。
たとえ錬金術師ランクをBランクまで上げても、表面上は敬意を表してくれているように見えても、平民だというだけで内心ではこれほど侮られている。
それほどカレンがユリウスの妻として相応しくないとみなされている。
だからペトラもロジーネも、大したことなどないように言うのだろう。
新年祭での婚約発表を控えて浮かれていた気持ちが冷えていき、カレンはぶるりと震えた。
狩猟祭の熱気から離れたためか、山から吹き下ろす冷たい風が天幕の間を縫っていったせいか、気づくと体が冷え切っていた。
その時、カレンの耳元がふわりと温かくなった。